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第3話
空飛ぶしいたけを見た。
あくる晴れた日。春とはいえまだ冬のような寒さが残る午後。学校から帰る途中。空を飛ぶしいたけ……?
バスの窓際に座っていた橋上は、その、不思議な光景を呆然と見ていた。
しいたけは春風に巻き上げられ、空を舞う。やがて、パラシュートのようにふわりと道路に着陸する。一つ、また一つ。
どうしてこのような現象が起こっているのだろう? 橋上は進行方向から飛んでくるしいたけの行方を追う。
六つ目のしいたけが地面に落ちたとき、バスが一台の自転車と並ぶ。ブレザー姿の少年が必死になって自転車を漕いでいた。心なしか雨の日にバスで遭遇した少年と似ている気がする。だけど遠目で見ている橋上は、それが彼だと断言できる自信がない。
しいたけは彼の運転する自転車の後ろカゴから飛び出していた。ぽん、ぽん、とスーパーの袋からできたてのポップコーンが弾けるように。
国道で信号待ちにつかまる。全速力でペダルを漕いでいた少年も、だらんと両足を地面について、周囲に目をやる余裕を持ったのだろう、隣で停車しているバスを見上げる。窓の向こうで少年を見つめている橋上を発見したのだろう、微笑を浮かべて右手をあげる。
……やっぱりあのときの男の子だ。
橋上も手を振り返す。そして、勢いよく停車ブザーを鳴らす。
* * *
橋上が乗っていたバスに追い抜かれてからも、柚木は一生懸命自転車を走らせていた。後ろカゴに積んでいたしいたけが飛んでいってしまったことには気づいていない。
「おーい!」
近づいてきたバス停の方角から、声がきこえる。さっき、手を振り合った男の子だ。
自転車の速度を落とし、少年の前で一端、停車する。
後ろカゴを示されて、柚木はようやくしいたけが失踪したことに気づく。スーパーの袋に入れておいた長ネギや特選スダチ、魚肉ソーセージと牛乳パックは残っているのに、しいたけだけが消えているのだ。どういうことだろう?
「しいたけ飛んでたよ」
「きっとぼくに食べられたくないって逃げ出したんだ」
肩をすくめて、はぁ、と気の抜けた声を出す柚木。今夜の献立を立て直さねばならないと苦吟する。
そんな柚木を見て、橋上が不思議そうに問う。
「今夜は鍋にするつもりだったの」
「うん。しいたけとネギと冷蔵庫に入れたままだった賞味期限ギリギリの鶏肉でシンプルに」
「そっか」
柚木が当然のように応えていたから、橋上は気づかなかった。彼が自分で献立を考えていることに。
「ね。どうしてバス降りてきたの? 家まで遠いんでしょ」
雨の日、自分が乗る前からバスの中にいた彼を見た柚木だ。それに、彼の学校はバスの終点だったはずだ。いくら学校帰りだからってこんな中途半端な場所で降りてする用事もないだろうに。柚木は、不審そうに途中下車した少年を見つめる。
「ここからなら歩いて一時間さ」
……一時間って。それじゃあ日が暮れちゃうよ、と柚木は唖然とする。
「……なんで降りたの」
「なんでって……君と、話がしたかったから」
想像もしていなかった回答が、柚木の内耳に届く。
「え」
「雨に濡れたら溶けちゃう男の子のことが、気になった……それは、理由にならない?」
冷たい潮風が二人の間を流れる。ふわり、最後のしいたけが、宙に舞う。
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