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第2話
『溶けちゃうからだよ』
……なんで、あんなこと言っちゃったんだろう。頭のおかしな男の子だと思われたんじゃないだろうか。
人間は水に触れて溶けるわけではない。身体の中の七割が水分であることだって知っている。自分の身体の構造だけが異なっているわけではない。だけど、柚木にとって水は忌むべき対象、脅威でしかない。
バスを降りて、校門を通過する。さっきの男の子は隣町の県立高校の制服を着ていたからきっと、終点まで揺られているんだろうなぁなんてことを考えながら。
屋根のある場所まで歩き、ようやく柚木は傘を畳み、レインコートを脱ぐ。はたはたと、地面に吸い込まれていく雨粒を見送り、水滴が落ちなくなるのを確認してビニールに入れる。レインコートは持参のポーチに大切に、丸めて入れる。
念のため、足ふきマットに革靴を乗せ、ようやく上履きに履き替える。
「ゆのきっ、おはよう」
隣で声をかけられて振り向く柚木。慌てて声の主の濡れそぼった傘から逃げるように離れて抗議する。
「……先生。傘向けないでくださいっ」
声の主は柚木のクラスで副担任をしている楢原 だった。雫の滴る傘の先を突きつけられて柚木は不機嫌そうに反論する。
「あぁごめんごめん。ゆのき水駄目なんだったな……それにしても雨の日は大変だな、そこまで神経使って学校に来るなんて。梅雨の季節や台風の季節が来たらどうすんだ?」
「学校休むかも」
教師の前であっさり応えた柚木に、彼は意地悪そうに言い返す。
「できないくせに」
うっ、と言葉に詰まらせた柚木の顔色は、晩秋の紅葉のように紅い。
「う、うぬぼれないでください」
「うぬぼれてなんかいないよ? もの欲しそうな目を向けているのはゆのきだろ?」
「……仕方ないじゃないですか」
楢原の隣を、少し離れて歩く柚木。彼にはかなわないとわかっているから、素直に肯定する。それが、三十二歳、既婚者、子持ち、である彼を困らせるには一番効果的だから。不毛な恋だと弁えていても、恋心を隠せずに、彼のヒトコトに一喜一憂する自分だから。
「仕方がないのか?」
「今は、そう思いたいだけです」
「ならいいや」
顔を火照らせたまま、自分の意見を述べる柚木。生きることに対して仕方がないと諦めてしまったというなら、楢原はきっと、彼を救おうとしただろう。柚木のことは生徒でありながら弟のような存在でもあるから。でも、今だけそういう気分でいたいのなら、彼にできることは何もない。それに柚木の繊細な心情を、完全防水することは難しいから。
彼を突き放して、傷つけることのできない楢原は、それこそ仕方がないと自分の甘さを痛感する。それでも。
「先生に迷惑、かけないから。好きでいさせて?」
……柚木の真剣な眼差しが、俺を惑わせるのは、仕方のないことなのか?
何も言わない楢原から視線を逸らし、逃げるように教室に入っていく柚木。彼を見送った彼は、誰にもわからないように溜め息をこっそり、漏らす。
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