14 / 14

第14話

あの絶望の夜から二週間が過ぎた。 地獄のような脅迫動画の存在と、毎夜のように繰り返される「調教」によって、俺の日常は形骸化していた。 昼間は現場で汗を流し、夜はタカネの手料理を食べ、そのままタカネの「玩具」として抱かれる。 朝になれば何事もなかったかのように二人でスタジオへ向かう。 肉体も精神も、タカネの歌声と指先に慣らされ、抵抗する気力すら少しずつ削ぎ落とされていた。 だが――バンドとしての『BEAST』は、皮肉なことに過去最高に研ぎ澄まされていた。 「よし、決まったぞ! 再来週の土曜日、新宿の『CLUB CYCLONE』のイベント枠だ!」 スタジオのロビーで、要(カナメ)が興奮気味にライブのブッキング書類を叩きつけた。 鉢屋の事件以来、完全に滞っていたライブ活動。それも急遽舞い込んだ穴埋め枠とはいえ、キャパのデカい有名ライブハウスでの復帰戦だ。 「タカネが加入してからの初ライブだ。気合入れようぜ!」 「んー、オレは別にどこでもいいけど。ミカちゃんの書いた曲、デカい音で鳴らせるなら楽しみかな」 タカネはソファーに深く腰掛け、俺の脚にさりげなく自分の膝を擦り付けながら、人当たりの良い笑顔を浮かべる。 要やドラムのメンバーは「相変わらず仲が良いな」と呑気に笑っているが、俺の背筋には冷や汗が伝っていた。 ズボンの上から、タカネの爪が俺の内腿を優しく、だが逃がさないように強く握り込んできたからだ。 ………見せ物にしてやる。 俺は奥歯を強く噛み締めた。 俺を肉体的に屈服させ、脅迫動画で縛り付けているこのイカれたガキを、俺の作った音(ベース)でステージの上に引っ張り出してやる。 客の前に立たせて、どれほど異常な男か暴いてやりたいという歪んだ反抗心だけが、俺の正気を繋ぎ止めていた。 ライブ当日。 薄暗く、煙草と汗の匂いが染み付いた『CLUB CYCLONE』の楽屋。 出番直前、機材チェックを終えた俺が袖の壁に寄りかかっていると、タカネが静かに近付いてきた。他のメンバーはトイレやウォーミングアップで席を外している。 「ミカちゃん、緊張してるの? 手、震えてるよ」 タカネは俺の手首を掴むと、指を絡めて握りしめてきた。 その手は嫌になるほど温かく、そして力強い。 「緊張なんかしてねえよ……。お前こそ、客の前でビビって声が出なくなっても助けてやらねえからな」 「ふふ、言うねえ。……ねえ、ミカちゃん。今日のライブでオレが一番目立ったら、帰ったら『新しいおもちゃ』試させてね?」 「っ……! テメエ……!」 耳元で囁かれた卑劣な条件に俺が息を呑むと、タカネは満足そうに口元を歪め、黒髪をファサッと手で払った。 『――次は、BEAST!』 SEが打ち鳴らされ、フロアから疎らな拍手と歓声が上がる。 前のボーカルが薬物で捕まった噂は出回っているはずだ。客の目は冷ややかで、「新ボーカルがどれほどのものか」という品定めと好奇に満ちていた。 俺たちはステージへ上がった。 眩い照明が目潰しのように視界を焼き焦がす。 アンプの電源を入れ、ベースのシールドを確認する。 要が煽るようにギターを鳴らし、ドラムがカウントを刻む。 「――ぶっ飛べよ、お前ら」 タカネがマイクを握り、低く呟いた。 その瞬間、一曲目のイントロが弾けた。 俺は狂ったようにベース弦を叩き潰した。重低音がライブハウスの床を激しく揺さぶる。 それに重なるように、タカネの【唄】が吐き出された。 ――凄絶だった。 スタジオの狭い部屋で聴いた音とは比べものにならない。 スピーカーから爆音で解き放たれたタカネの声は、まるで生きた猛獣のようにフロア全体を呑み込んでいった。 一瞬前まで冷ややかだった客たちの顔が、驚愕と興奮で一変する。 即興でアレンジされたハイトーンシャウトが天井を突き抜け、聴く者の鼓膜と脳髄をダイレクトに殴りつける。 俺はベースを弾きながら、全身の鳥肌が止まらなかった。 ゾクゾクとする恐怖と、失禁しそうなほどの快感。 俺の作ったコード進行の上で、タカネの声が狂喜乱舞している。 悔しい……! 悔しいのに……最高だっ……! この声を一番近くで聴いているのは俺だ。 この声を引き立てているのは、俺の作った旋律だ。 タカネは曲の合間にチラリと俺を振り返り、妖艶な笑みを浮かべた。その視線は「お前はオレのものだ」と客の目の前で宣言しているかのようだった。 ラストの曲が終わった時、狭いライブハウスは割れんばかりの歓声と悲鳴に包まれていた。 トリのバンドすら喰ってしまうほどの圧倒的な存在感。 終演後、楽屋には早くも噂を聞きつけた音楽関係者やライブハウスのスタッフが群がってきた。 「凄かったよタカネ君! うちのイベントにも出ないか!?」 「噂以上だ……メジャーのスカウトに見せるから、デモテープはあるか!?」 要たちが興奮で顔を紅潮させて対応している。 『BEAST』の成功。それは俺たちがずっと夢見ていた光景だったはずだ。 なのに、俺の胸に広がるのは、冷たい底なしの虚無感だった。 このバンドが売れれば売れるほど、タカネの才能が世間に認められれば認められるほど――俺はあの動画と、この快楽の鎖から永遠に逃げられなくなる。 「……はあ、疲れたね。ミカちゃん」 深夜、タクシーでアパートへ帰りつくと、タカネは上着を脱ぎ捨てて速攻でソファーに倒れ込んだ。 機材を部屋の隅に降ろし、俺は荒い息を吐きながら床に座り込む。 「……すごかったな。客、完全に持っていかれてた」 「当然でしょ。オレが歌ってるんだから」 タカネはソファーから身を乗り出し、床に座る俺の頭を抱え込むようにして抱きしめてきた。 ライブの汗と、タカネの甘い体臭が鼻腔を突く。 「ねえ、ミカちゃん。今日のライブ、最高に気持ちよかったでしょ? オレの声で、ゾクゾクしたでしょ?」 「……っ、ああ……凄かったよ。……負けたよ」 悔しさに唇を噛み締めながら認めると、タカネは「いい子」と呟いて俺の額にキスをした。 「ねえ……約束、覚えてる?」 タカネの手が、俺のスウェットの紐にするりと指をかけ、引き解いた。 ポケットから取り出されたのは、銀色に光る見慣れない小さな金属製の具。 「今日のために買っておいたんだ。……ミカちゃんの身体、もっと開発してあげるね」 「やめ……今日、は……さ、さすがに、疲れて……っ」 拒絶の言葉は、タカネが口移しで流し込んできた『あの甘い液体』によって途切れさせられた。 喉を通る熱い痺れ。急速に意識が遠のき、腰の奥が熱く疼き出す。 「ミカちゃんは……オレに最高の曲を書いて、オレに抱かれていればいいんだよ」 妖しく響く歌声と、内部を侵食していく新しい拷問のような快楽の中で、俺は涙を流しながらタカネの首に腕を回していた。 バンドは光へ向かって駆け上がり、俺は闇の深底へと堕ちた。 その両方が、タカネという存在によって不可逆につなぎ留められていた――。

ともだちにシェアしよう!