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尊重しあえる関係 1

 一馬の残した文字を辿る指をそっと離した。もうこのままグシャっと丸めて捨ててしまおうと何度も思ったが、まだ出来ないでいた。 「一馬……ここでちゃんと見ていろ。僕のこれからを……」  久しぶりにアイツの名を呼んだ。それからトンっと冷蔵庫に額を預けて祈るような気持ちになった。  一馬……あれから元気でやっているのか。入院中のお父さんの具合は?もう癌が末期だと聞いた。少しでも多く……親孝行出来るといいな。  結局つきあっている間、一度も一馬の故郷の大分に行くことはなかった。もちろん僕の故郷の函館にもだ。お互いの性癖は家族には秘密だったので、僕たちを息をひそめるように二人だけの愛を育み続けた。  馬鹿だな。もう終わったことだ。もう忘れないといけないのに……この部屋にいると、どうしても思い出に引っ張られてしまう。  邪念を追い払うように頭をブルブルと振り、それから手早くシャワーを浴びてベッドに潜りこんだ。灯りを消す前にスマホを確認すると滝沢さんからのメッセージが一通届いていた。 (おやすみ瑞樹)  その一言に救われる。  僕は……ひとりじゃない。僕のことを考えてくれる人の存在が確かにある。それがどこまでも温かい。 「滝沢さん、おやすみなさい。今日はありがとうございました」  返事をしたら無性に会いたくなってしまった。さっきまでずっと一緒にいた癖にもう会いたいなんて……  昨日彼がここに来てくれ、僕をここから連れ出してくれた。そして今日は夢のような明るく楽しい時間を一緒に過ごせた。何もかもお世話になりっぱなしだが、どれも有難いことだった。彼がいなかったらこの週末は一馬が去ったこの部屋で、あの恐怖とひとりの孤独に震えていただろう。  目を閉じると、観覧車のてっぺんで交わした甘く疼くキスシーンを思い出す。滝沢さんはもっと慣れていると思ったが違った。彼もすごく緊張していた。  それは僕の方だって同じだ。一馬に抱かれ続けた過敏な躰なのに、まるで違う細胞が生まれたみたいに何もかも新鮮でドキドキした。僕は一馬しか男を知らないから、一馬じゃない誰かとキスしたらどうなるかなんて想像もしたことがなかったのに。  でも滝沢さん……あなたとなら。 ****  日曜日は朝から快晴だった。 「今日は梅雨入り前の貴重な晴れ間だ!ほらっ芽生、そろそろ起きろ~」  まだ布団に埋もれるように熟睡している芽生を起こし、布団を干そうと子供部屋の空気を入れ替えていると、芽生の机の上にメモをみつけた。  なんだ?メモ書きの最後には筆記体で『Mizuki』と書いてある!     飛びつくようにそれを手に取ると「芽生くんのベッドを貸してくださってありがとうございます。あの……余計なことかもしれませんが次に布団を干す時は、夏用を出すことをおすすめします」と書かれていたので、苦笑してしまった。  へぇ瑞樹はこういう文字を書くのか。端正な文字に性格が表れているな。きちんと礼まで……それにアドバイスももらったぞ。成程そうか。確かに五月の下旬に冬用の羽毛布団はないよな。俺は大雑把で細かい所に気が回っていないことを反省した。  確かに芽生の額も汗で濡れている。  ってことは……瑞樹もここで汗をかいたのか。  またしても変態行為を思いつき、掛け布団に鼻をくっつけてクンクン嗅いでいると、冷ややかな視線を感じた。 「パパぁ……なんでわんちゃんみたいにクンクンしてるの?」 「あっいやこれは」 「わかったーおにいちゃんが恋しいんだね」 「またそんな言葉どこで?」 「おばーちゃんがよくいってるよ。おじーちゃんが恋しいってね。着ていたシャツからおもいだすんだって、クンクンしてたもん!」 「そうか……なるほどなぁ」  俺の父は病気で二年前に他界していた。厳しい父にはとても同性愛のことは言い出せず、女も抱ける俺は結局……親の納得する道を選んでしまった。でも玲子にバレて離縁され芽生の扱いに途方に暮れていた時に、父を亡くしたばかりの母が優しく手を差し伸べてくれた。その時はもう包み隠さず離縁の理由を打ち明けたのだ。  そうか……母さんは父さんが恋しいのか。  俺を産んでくれた両親のことを想うと、胸が熱くなる。  人生は一度きり。  別れると恋しくなるほどの人と出逢えるチャンスは、多くない。  

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