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尊重しあえる関係 3
「じゃあここで」
「行っておいで、瑞樹」
「行ってきます」
有楽町駅で右と左に進路が分かれる。滝沢さんとは、気付けば毎朝こんな挨拶で別れる日々が続いている。
なんだか不思議だ。
一馬と別れた直後は、もうどうやって生きて行けばいいのか分からない程途方に暮れていたのに……今はこんな風に余韻をもって、また会いたいと思える相手と別れることが出来るなんて。
さっきまで満員電車で触れ合っていた心臓がまだドキドキしている。先週と今週じゃ、全然気分が違う。滝沢さんと二度もキスしてしまったからなのか。だが金曜日の四宮先生とのことがあるので、実は会社へは重い足取りだった。勢いで上司に告げるとは言ったものの、どう処理するのが最善なのか分からない。
心も躰も傷ついた。だが滝沢さんが助けてくれたので寸での所で難を逃れた。
偉そうなことを言ったが、本当は大事にしたくなかった。函館の実家に心配を掛けたくなかったし、滝沢さんにも迷惑をこれ以上掛けたくなかった。どうにも考えがまとまらないうちに、部署に到着してしまった。
僕の職場は有楽町にある『加々美花壇』という老舗の花を取り扱う大企業だ。イベントプロデュース部で、所属するデザイナーの先生達との調整や先生のアシスタント的なことをこなす日々だ。
しかめっ面でエレベーターホールに立っていると、同期の菅野という男に肩をポンポンっと叩かれた。彼は気さくないい奴だ。
「葉山、おはよう!急がないと遅刻するぞ」
考えながら歩いていたので、どうやらいつもより時間がかかってしまったようだ。菅野は既に一度部署に寄ったようで、手にはコンビニのコーヒーだけを持っていた。
「あぁ、おはよう」
「なぁ四宮先生のこと知ってる?」
「えっ……なっ何を」
突然四宮先生の名前を出されて驚愕した。
「それがさぁ突然の契約解除だって。朝から部署がてんてこ舞いだぞ」
「そんなっ」
驚いた。先生自ら身を引くなんて……
「瑞樹が最後のアシスタントをしたな。なぁもしかして……先生と何かあったのか」
じっと疑うように覗き込まれて焦ってしまう。
「なっ何もないよ。驚いた。じゃあ先生のご担当のイベントはどうなる?」
「それだよそれ!この人手不足だろ~課長も部長も真っ青さ」
「とにかく早く行こう!」
****
何とも朝の悩みが吹っ飛ぶような結末だった。
四宮先生は一身上の都合で会社との契約を本日付で解除していた。理由を聞くと親御さんの介護の問題で実家のある広島に引っ越し拠点を移すとのことだった。
「葉山くん、ちょっといいか」
「あっはい」
課長に呼ばれ緊張が走る。何か四宮先生から聞いているのか。
「君は金曜日に四宮先生と仕事をしたよね?」
「……はい」
「何かあった?」
上司に報告させてもらいますと啖呵を切ったのは僕だ。でもこうなってしまうと、もう事を荒立てたくなかった。けじめをつけた方がいいのかもしれないが、僕にはそれが出来なかった。
「……いえ、何も。急なことで驚いています」
「そう?とにかく、こちらも先生が抜けた穴を埋めないといけなくて、それで君を抜擢することにしたよ」
「え?」
「これは四宮先生からの推薦でもあるんだ。君はセンスがいいので、お客様が求める世界を作る腕をもう持っていると、先生から強力な後押しを貰ったぞ」
「そんな……」
まさか、あの四宮先生がそんなことを思ってくれていたなんて驚いた。先生の世界観と僕の世界観はまるで違ったのに。
「とにかく二週間後の先生が担当されていたホテルオーヤマでの結婚式のフラワーデザインは君に一任することにしたよ。君は独学で資格も取っているし大抜擢だ!」
茫然としたままデスクに戻ると、菅野がガッツポーズを見せてくれた。
「葉山瑞樹先生~おめでとう!」
そんな風に言われて困ってしまう。机の上には小さなアレンジメントが置いてあった。
「これ誰が?」
「四宮先生からだよ」
「えっ」
「朝一番に挨拶に来て、葉山にお世話になったからって置いていった。お前愛されてんなー」
「おいっ変なこと言うな」
四宮先生には申し訳ないが、ちょっと戸惑ってしまう。金曜日僕にしたことを忘れたわけじゃないし、こんなことで忘れられるはずもないのに。だが机に座ってアレンジメントを眺めると、不思議な気持ちになった。これ本当に四宮先生の作品なのか。先生のはもっとこう……人工的にきらびやかな世界なのに、これは違う。
いい香りのハーブだけを寄せ集めたアレンジメントだ。野に咲く花のようにラベンダーやミントなどが入ってた。ラベンダーの香りに故郷の北海道を思い出す。
「手紙も預かってんぞ。後任を頼むって奴かな」
手紙を開くと、金曜日の詫びと先生なりのけじめをつける旨が書かれていた。
****
野に咲く花は強く気高い……瑞樹くんはそんな人だった。
酒のせいにはできない、君に酷い無礼を働いたことを詫びさせてくれ。
この決断は実は前々から決まっていたようなもので、田舎に戻ることに抵抗していたこともあり自分の感情をコントロールできなかった。
都会に憧れて人工的なものばかり作ってきた私にとって、時折君が残った素材で作ってくれたアレンジメントは癒しだった。田舎の優しい両親を思い出す情のこもったものだった。そんな君の才能に憧れていたのかもしれない。
あんな形でそれを踏みにじろうとしたことを恥じている。
君はあの場で寛大な処置をしてくれた。ならば私はそれに甘んじることなく大人としてけじめをつけようと思う。もう二度と会わない。元気で、活躍を祈っている。
君らしいフラワーデザインを。
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