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実らせたい想い 18
宗吾さんと付き合っている青年は、約束の時刻にやってきた。
なんで? 二度と来られないように、あなたにコーヒーをかけて意地悪をした私の意図は充分に察したでしょう。依頼なんて断ってくれてよかったのよ。
まさか注文通りの花を本気で作ってきたの? 信じられない!
更に彼が取り出した花を見て、「あっ」と驚きの声が出そうになった。
指定した赤い薔薇は中央に一輪だけで、あとは薄ピンクや白い花ばかりだった。赤から白へのグラデーションは淡く溶けるように広がり、純白の百合が全てを守るように縁取っていた。
優しく滲み出るような感情の起伏を感じられる素晴らしい内容だった。
何故こんなにも優しいアレンジメントを作ることが出来たの? 信じられない……私を恨んでいないの? 大人げない私のことを!
彼の意図が理解出来なくて、無性にイライラしてしまった。
結局またわざと彼を煽るような卑劣な言葉を投げかけ、「泥棒猫」などと蔑んでしまった。彼は悔しそうに顔を一瞬歪めたけれども、ぐっと耐えていた。
彼はこちらが恥ずかしくなるほど、真っ直ぐでスレていなくて、純粋な目をした清純な青年だったから、虐めたくなってしまったのよ。
発作的に私が倒したスタンディングフラワーを、彼は自分の躰を挺して守ろうとした。すると驚いたことに……その瞬間彼を庇うように飛び込んで来たのは、私の元夫の宗吾さんだった。
呆気にとられたわ。あなたがそこまでする?
以前のあなただったら絶対にしなかったでしょう。
彼があなたを変えたの? あなたは彼のために変わったの?
彼を守ることが出来たけれども、花は無残に散り、花器も床にぶつかり粉々に割れてしまった。ふっ……何だかまるで私と宗吾さんの結婚生活みたいね。
真っ赤な一輪の薔薇が何故だか哀れな私に見えて、もう消えてしまえとヒールで踏み潰そうとしたら、宗吾さんが自らの手で庇ったの。
「あっ!」
流石に元夫の手の甲を傷つけて怯んでしまった。同時に駆け込んできたのは私の息子だった。百合の香りが私を揺さぶる。香りに誘われ、この子を産んだ時に芽生えた母性が蘇ってくるのを感じた。
****
「玲子、本当にすまなかった」
彼を虐めたのも、あなたの手を踏みつけたのも私なのに、宗吾さんが驚いたことに私に頭を下げた。離婚したときも喧嘩別れで頭を垂れなかったあなたが、そんなことをするなんて。
「……あなたは変わったのね」
「あぁ、お前と離婚してから苦労したよ」
「私を恨んでいるでしょう?」
「いや……結局……全部俺のせいだったしな。芽生はすくすく成長しているよ。玲子が育ててくれた土壌が良かったから、素直で明るい基盤を持っているようだ。それが分かったから、今は感謝している」
「それは……あの青年のせい?」
「えっ?あぁもうバレバレだな」
彼は今までに見たことがないような照れくさそうな表情を浮かべ、しきりに顎に手をやって、落ち着かない様子になった。
「……瑞樹はいい子だろう? 彼の素直で健気な所に惹かれていてな」
「……正直、私はあなたがバイだって知って、虫唾が走る程気持ち悪いと……」
「分かっているよ。あぁ世間一般にはそう思う人の方が多いだろう……すまんな」
「でもあなたと彼のやりとりを見ていたら、何だか分からなくなったわ」
「そうか、瑞樹は誰よりも花を愛している。人のことを憎めない奴なんだ。憎む位なら自分を傷つけた方がましだと考えるような純粋な青年なんだよ」
「……そうみたいね。私も彼のお陰で……愛しい息子の前であれ以上醜態をさらさなくて済んだわ」
宗吾さんと、こんなにも落ち着いて話すのは初めてかもしれない。お互いに上辺だけを取り繕った仮面夫婦だったから。
「君には悪いことをした……でも芽生を産んでくれて感謝している」
「……うん、芽生は手塩にかけて育てたの。あなたが振り向いてくれない分……だから私は芽生の前ではよい母親でいたいみたいね」
「あぁ君はいい母親だ。夫婦の縁は途切れても、芽生の母親は君だろう?」
「そうね……宗吾さん、私ね……実は再婚するの。でも彼はまだ若くて、芽生を引き取れないの……やっぱり……ひどい母親かしら」
宗吾さんには話すまいと思っていたのに……百合の香りが私の心を解したせいなのかしら。
「そうか……そうだったのか。おめでとう。そして芽生を俺に預けてくれてありがとう。大事に育てるよ。だから安心して君も幸せになって欲しい」
「んっ、あなたたちがあまりに幸せそうで当てられたわ。彼に謝っておいて……意地悪してごめんなさいと」
「君は変わらないな。君は情熱的で美しい薔薇のような人だったよ。 俺と縁を一時結んでくれてありがとう」
「なんだかくすぐったいわね。さぁ早く行ってあげて。彼……可哀想に……とても不安そうよ。私とあなたがお似合いだと思っているのかも。ふふっ」
宗吾さんは慌てて彼の元へ駆け寄り、彼の額をコツンっと叩いて何やら話し出した。
いやだ……鼻の下なんか伸ばして。もぅしまりがないわね。熱々すぎよ。
なんだか男と男なんて気持ち悪いと感じていたのに、彼の初々しい表情や清楚な雰囲気に、悪くないかもなんて思ってしまった。そこに芽生も加わり宗吾さんに抱っこされて嬉しそうに笑っていた。
お義母さんとはもう呼べないけれども、私のキツい性格をよく理解してくれたお姑さんが私に向けてウインクしてくれた。
はぁ……参ったわ。私が悪者のはずなのに、こんなに場が和むなんて……それにしても宗吾さん、あなた元妻の前でデレすぎじゃないの?
あー恥ずかしい。あんな人だったかしら?
「玲ちゃん~お待たせ」
「あ……経くん」
壁にもたれて腕を組み、彼らの仲睦まじい様子を呆れ気味に眺めていると、年下の美容師の彼がやってきた。実はこのネイルサロンの二階に彼が美容室をオープンさせるの。二人三脚の仕事なのよ。開業費用だけは私の親から出資してもらったけれども、あとはこれから二人で力を合わせていくの。
「わ、賑やかだね。あれ? あの人ってもしかして」
「そうよ、私の前の夫」
「うわ……妬けるな、それ」
「そんなことないわ。私はもうすぐ経ちゃんと結婚するのに」
「うん、そうだよね。でも信じられないよ。高嶺の花の玲ちゃんがオレのプロポーズ受けてくれるなんてさ」
「ふふ、あなたはまだ若いからしっかりサポートしてあげるわ」
「ウン!玲ちゃんの言うことなら、何でも聞くよ」
私は私の幸せを見つけていたのに、意地悪をしてごめんなさい。結婚前に少し復讐するつもりが、あてつけられて気がそれてしまった。
「瑞樹クン……宗吾さんをよろしくお願いします」
驚く彼らの間に割り込んで、宗吾さんの胸ポケットにさっきの薔薇をさしてあげた。
「これはもう……『嫉妬』の薔薇じゃないわ。 赤い薔薇の花言葉は確か『熱烈な恋』だったわよね? ねっ瑞樹さん」
「え……あっハイ」
彼は目を丸くしていた。可愛い反応ね。
宗吾さんをあんなにも優しい男に変えたのはあなたなのね。私には出来なかったことを成し遂げたのね。
「私も幸せになるわ。芽生、ママは他の人と結婚するけれども……ずっとあなたのママには変わりないからね。これからはこの……優しいお兄ちゃんに可愛がってもらってね」
芽生にはまだ難しいことかもしれないけれども、ちゃんと私の口から伝えておきたかった。
「瑞樹クン、芽生のことよろしくお願いします」
自然と私は彼に頭を下げていた。
愛しい我が子を守って欲しい……
彼ならきっと、私の願いを守り抜いてくれる。
信頼できる人だと思った。
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