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心の灯火 2
今日はなんと一馬視点で進みます。非常に切なくてすみません。『幸せな復讐』と合わせて読んでいただけると感慨深いかと思います。いろんな過去があっての今の瑞樹なので……そのあたりを描いてみたくなりました。いつも沢山のリアクションをありがとうございます。励みに毎日更新しております。
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行楽日和の多い秋のはずなのに、今日に限って東京は土砂降りだった。 大分は見事な秋晴れだったのに残念だ。
羽田空港からいつも通りモノレールで都会に出ることにした。 レールが切り開いたような大都会のビル群に久しぶりに圧倒された。
「ふぅ……相変わらず灰色のビル群が要塞のようだな」
東京は五月の結婚式以来だ。披露宴と二次会の後、そのまま大分に戻った。
この半年間、新婚生活は順調だったが、夏休み明けから親父の具合が悪くなり入院したので、旅館での修行と看病が並行し忙しない日々だった。
そんな中届いた一枚の往復葉書。
ボロかった男子寮が取り壊されることになったので、当時のメンバーでお別れ会をしないかという誘いだった。懐かしいな。俺の左隣の部屋は瑞樹で、瑞樹の左隣が差出人の堂島彰だった。よく同じフロアのメンバーで集まって遊んだな。あそこは楽しかった思い出ばかり詰まっている。
懐かしい名前を見た途端、無性に東京に戻りたくなった。
往復葉書を片手に夜な夜な悩む俺の背中を押してくれたのは、妻だった。
「カズくん……それ、行ってくれば? お義父さんの容体も今なら落ち着いているし、私がちゃんと看ているから大丈夫だよ。 急な結婚でバタバタと東京から引きあげて心残りも多いんじゃない?」
「えっ……本当に行ってもいいのか」
「うん、だってこの子が生まれたら、身軽じゃなくなるしね」
「ありがとう。これで最後にするよ。この寮のメンバーには本当に世話になったから……一緒に見納めしたくてね」
「うんうん、悔いが残るのは嫌だものね。出席で出していいよ」
大分から羽田までの機内、妻には申し訳ないと思いつつ、ずっと東京で別れた恋人のことを思い出していた。
瑞樹とは大学に入ってすぐに寮の部屋が隣同士で仲良くなった。あいつは一人暮らしするには荷物が少なすぎて、足りない日用品が多かったから貸してやった。そこからどうしてだろう。磁石が引かれ合うように俺は瑞樹に惹かれ、瑞樹はそんな俺を受け入れてくれた。躰の相性も抜群で、清らかな水のように澄んだ瑞樹そのものに、俺は夢中になった。
なのに俺が長年付き合ったあいつにした仕打ちは……親のため家のためといえども最低なことだった。でもあいつは最後まで俺を責めなかった。我が儘を許し選択を静かに受け入れてくれた。
あいつに甘え、沢山傷つけたまま置き去りにした。
だからこそ……置いてきた君のことが未だに心配で堪らない。
これが自分本位な勝手な言い分だ。
もう瑞樹に合わす顔がないのも理解している。
それでも恥を忍んででも、聞きたい。
『瑞樹、あれからどうしている?元気にやっているか』
俺が捨ててしまった君のことを、こんな風に思い出してはいけないのに、せめて消息だけでも知りたい。
瑞樹は義理堅い真面目な男だったから、結婚式までという約束をしっかり守り、あの朝を最後に連絡がプツリと途絶えてしまった。
瑞樹は友人には戻らなかった。
彼の判断は間違えていない。
俺も納得している。
お前が俺を嫌いになれないことも知っていて、置いてきたのだから。
あの日、空が明るくなるまで何度も何度も抱き合った俺たちは、別れ際に「さよなら」を言い合えなかった。そうなることが分かっていたからギリギリまで、無言でキスし抱擁しあって別れを伝え合った。
隣で裸のままシーツに包まって眠る瑞樹に触れたくて触れたくて……でも、出来なくて、そっと布団を抜け出しシャワーを浴びた。
シャワーを浴びている最中に彼が起きたらと思ったが、その気配はなかった。それからいつものように瑞樹の朝食も作った。ひとりで食事をし……自分の分の茶碗を洗ったら、もうやることがなくなった。
あぁそうか、もう行かないといけないのだな。
もう二度とお前に何かをしてやれないのか。
駄目だ……名残惜しくて、立ち去れない。
だが今日は披露宴当日、もうタイムリミットだ。
早くこの部屋から出て行かないといけない。
これが俺の選択した道だから。
だが……
気がつけば発作的に瑞樹に手紙を書いていた。
……
瑞樹は俺にとって、ずっと水のような存在だった。
瑞樹を抱けばいつも乾いていた心が潤った。そして抱くと花のようないい匂いがして心地良かった。だが俺はもう二度とお前を抱けない。水をやれない。
だけれど……瑞樹は水を忘れるな。君を置いていく俺を、恨んでくれ。
おこがましいが……どうか幸せになって欲しい。
……
こんな手紙しか残せない俺を恨んでくれ。
瑞樹にもどうか……幸せになってもらいたいと思った。
欲を言えば……俺が幸せにしてやりたかった瑞樹だった。
実家を捨てられなかった俺のことを、瑞樹は最後まで責めなかった。
それがまた泣けてくる。
気がつけばもうあの甘い時間を過ごした男子寮の前に立っていた。
瑞樹はもう来ているのだろうか。
どんな顔をして会えばいいのか分からないが、どうしても、一目でいいから元気な姿を見たいと願った。
雨に霞む風景の中に、瑞樹の姿を探した。
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