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帰郷 1

今日は突然ですが、一馬視点です。  瑞樹が贈った供花の行方が気になったので…… ****  親父が亡くなって丸二日経った。いよいよ明日が通夜で明後日が葬儀だ。  親父の余命が残り少ない事は結婚を決めた時から分かっていたし、何度かの危篤状態を乗り越えて力尽きた命だから、こちらも静かに受け止めることが出来た。  別れを惜しむ時間もしっかり持てたので、悔いはない。  後は……長く苦しい闘病生活を終えた親父を荼毘に付して、黄泉の国への旅立ちを見送るだけだ。 「いつの間に雨が降っていたのか……」  今日も冷たい雨が降っている。親父が自宅療養していたベッドに腰掛け部屋の窓から、古びた窓枠のその先の景色をじっと見つめた。  あの日も……こんな冷たい雨だったな。  大分から東京へ。東京から大分へとんぼ返りした日の事を思い出す。追随して……どうしても会えなかった瑞樹のことも。  あの晩、飲み会の最中に親父が危篤との知らせを受け慌てて戻ったが、何とかその日は持ち直し、奇跡的に翌日には会話が出来る程、快復していた。  それは一時的なものだったが……強い薬でずっと意識が朦朧としていた親父と、久しぶりにまともに会話出来た最後の日となった。 **** 「一馬。今日はお父さんの調子がいいみたい。最期になるかもしれないから、ゆっくり話しておいで」 「分かった」  母に促されて病室に入ると、父がすっきりした顔で微笑んでいた。いつ振りだろう。こんな明るい表情を見るのは。 「一馬か……悪かったな。さっき母さんに聞いたが昨日、東京に行っていたそうだな。何か向こうに用だったのか」 「あぁ大学の時住んでいた寮が取り壊されてしまうから、仲間と見納めをしてきた」 「そうか……お前はあの寮が気に入ってたよな。隣室の学生と意気投合して、すぐに親友になったと話していたな。確か彼の名は……み……」  驚いた……親父が覚えていたなんて。何度か名前は出したが、瑞樹が嫌がるのであまり話していなかったのに。 「瑞樹だよ。親父」 「あぁそうだ、その子には結局一度も会えなかったな」 「……そうだな」 「元気にやっていたか。東京で会って来たのだろう?」 「……あぁ」 「それにしても悪かったな。お前、せっかく向こうでいい会社に就職したのに」 「いいんだよ。俺はやっぱりこっちの空気が好きだから」 「……ありがとう。一馬。お前みたいにいい息子を持てて幸せだった。欲を言えばお前に似た孫の顔が見たかったがな」 「親父……あと半年経てば見られるよ。頑張ってくれよ」 **** 「カズくん、大丈夫?」 「あぁ悪い」 「あなたが全部親族の代表として取り仕切って、今日は疲れたでしょう」  窓の外の雨に呼び出されるように思い出に耽っていると、妻が部屋に入ってきた。 「いや、俺は大丈夫だ。君には悪いことしたな。結婚したばかりで、しかも身重なのに」 「休み休みしているから大丈夫だよ。あのね、さっきあなた宛てに東京から弔電とお香典がまとめて届いたの。ここに置いておくね」 「……ありがとう」  東京からだって?   もしかして──  くそっ、俺はなんて女々しいのか。最低だ。  淡い期待をこんな時に抱くなんて。  俺が瑞樹を捨てた癖に。 「堂島からだ。こっちは階下の森谷から、それから……」  一通一通確かめるが瑞樹からの便りはなかった。堂島に訃報を連絡した時、寮のメンバー全員伝えると言ってくれたが連絡がつかなかったのか。いや瑞樹の性格上、あんなことになって何食わぬ顔が出来ないのは分かっている癖に、甘い期待をした俺は馬鹿だ。  自分勝手な最低な男がここにいる。分かっている。俺が一番酷い奴だってこと位。  でも堂島たちの寮のメンバーの心配りが嬉しかった。この前会ったばかりだしな。  俺は一時でも……東京に出て良かった。希薄な都会で、こんなにも情の熱い友人を得ることが出来たのだから。  あの寮は良かった。20部屋弱の古びたこじんまりとした寮だったが、ちょうど卒業生と入れ替わりで大半が新一年生だった。しかも皆、地方出身。北海道から沖縄まで集まっていたよな。  瑞樹とは部屋が隣同士で…… 「君はどこ出身? 色が白いから東北か」 「……函館だよ」 「へぇ行ったことない。あっ俺は大分。温泉で有名な湯布院って所さ」 「へぇ行ったことない。君はよく日焼けしているな」  俺のセリフをそっくり返しクスっと笑った笑顔が可愛くて、すぐに気に入ってしまった。  また昔を回顧し耽っていると、妻がもう一度部屋に入ってきた。 「どうした?」 「ん……何度もごめんね。これだけ東京ではなくて差出人の住所が神奈川の……えっと北鎌倉という所になっているの。この地名に心当たりはある? 名前が書いていなくて」 「え? 北鎌倉なんて行ったことないが」 「でも確かにあなた宛てになってるし、開けてみて」 「分かった」  妻が持ってきた白い箱を受け取り開封してみると、中には白い花のアレンジメントが入っていた。控えめにまとめられたものだったが、とてもセンスよく作られていた。  白ユリや菊の香りが、ふわっと雨で湿った部屋に広がった。  これは……  すぐに分かった。この送り主が誰かが──  この香りは忘れもしない俺がかつて愛した男……瑞樹のものだ。 「ねぇこれって供花なのよね。何だかうっとりする程、綺麗ね……あなたの知り合いからだったのね」 「え……何で分かる?」 「あなたが嬉しそうにしているから」 「そっそうか……」 「それに泣いてるわよ」 「ごめん。俺……」 「この送り主は、あなたとあなたのお父さんが好きだったのね」  妻の何気ない一言に、いよいよ涙腺が崩壊してしまった。 「大丈夫?」 「ごめんな。泣いたりして」 「いいのよ。あなたのおおらかな人柄は東京で皆に愛されていたって知っているわ。今はこっちで私は独り占めしちゃって申し訳ないな」 「ごめん。俺……ちゃんといい旦那と父親になるから。親父みたいにさ」 「うん……うん、亡くなったお父さんは本当にいい人だったわね。私は少ししか一緒にいられなかったけれども」  名前を伏せてこの花を贈ってきた瑞樹の気持ちが、痛い程伝わってきた。  瑞樹……元気にやっているのだな。  親父に花を贈ってありがとう。  あの日は会えなかったけれども……こうやって、また会えたな。  花に込められた瑞樹からの哀悼の意……しっかり受け取った。    お前が望むように、俺は親父の後を継いで頑張っていくよ。  この南の大地で──  俺は根を張って生きて行く。

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