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帰郷 4
季節は巡り11月中旬になっていた。
もう今年も残り1ヶ月半か。12月に入ればまたクリスマス、年末年始と花屋も書き入れ時で多忙になる。それに比べて11月のこの時期は嵐の前の静けさでゆったりしているものだ。来週は久しぶりの連休を取れそうだから、今のうちにゆっくり休んでおかないとな。
それにしても瑞樹と東京で会ったのが、もう遠い昔のように感じるよ。
瑞樹……あれから元気にやっているのか。俺の方はまた函館市内の商店街の花屋の息子として、平凡な日々を過ごしている。
それにしても大都会での日々は、まるで夢のようだった。手塩にかけて大切に育てた弟……瑞樹の花業界での活躍を、この目で見ることが出来て嬉しかった。
こっちにいる時よりずっと洗練されて垢ぬけていた瑞樹。いや、あいつは元々透き通るように清楚な子だったが、ますます綺麗になって……そして幸せになっていた。
正直……俺の心はまだまだ複雑だ。
瑞樹の恋愛の対象がまさか男だなんて、知らなかった。こっちに居る時から変な男につきまとわれて大変だったし、同級生や先輩後輩、様々な男にモテるのは知っていたが、まさか自らその道を選ぶとはな。高校時代は普通に女の子と付き合っていたし、まさかまさかだぜ。
しかも東京に出てからの8年間で既に一つの恋が終わり、色々な悲しみを乗り越え、ちょうど再び新しい恋愛を始めた所だとは驚かされた。だが瑞樹が幸せになれるのなら、相手が男だろうが応援したい気持ちは変わらない。
瑞樹は、また連絡してこないな。遠慮深い瑞樹……控えめな性格。
俺に恋愛対象の秘密がバレてかなり動揺していたから、もしかして気を遣っているのか。お前のことだから、母さんに顔を合わせられないと思っているだろうし。
正直……母さんの考えは分からない。だがもしも瑞樹がカミングアウトするなら、俺は全面的に応援するつもりだ。だから俺を頼れよ!
さぁそろそろ起きるか。裸足のまま階段を降りると母さんが台所に立っていた。味噌汁のいい匂いがするいつもの光景にホッとする。
「母さん、おはよう」
「おはよう広樹。冷えてきたわね」
「あぁ、顔洗ったら俺が店の掃除をするよ」
「助かるわ、ありがとう。その間に朝食の用意しておくわね」
俺は朝5時に起きて花屋の店舗を清掃し、週に3日、函館生花市場に母と繰り出すのが日課だ。切花の競りに行くのは楽しいものだ。北海道産はもとより日本全国どころじゃない。世界各国から新鮮な生花が入荷するのは圧巻で心躍る瞬間だ。色とりどりの花を仕入れて、今度は開店準備に明け暮れる。
「おはよう! 兄貴」
「あれ? 珍しいな、お前がこんな早起きするなんて」
「今日は研修でさぁ」
「そうか、仕事、頑張っているな」
「まぁな」
店の床をモップでゴシゴシ洗っていると、珍しく末の弟の潤が起きて来た。まだパジャマ姿で寝ぐせだらけの髪はボサボサだ。
小さかった潤も、もう21歳か。
潤も俺と同様に高卒で働き出した。就職先は市内の中小の建設業者で、つなぎ姿で仕事に明け暮れているようだ。潤は中学・高校時代と一時期は荒れていたが、仕事をするようになってだいぶまともになった。社会の荒波に揉まれている最中だ。
10歳も年下のこの弟もやはり俺にとっては大事な可愛い存在だ。
「あっそうだ! 今日さ、兄貴のジャケットを貸してくれ」
「ん、何でだ? 」
「安全研修で、元請けの役員が来るからジャケット着用だって言われてさ」
「へぇ堅苦しいな。それなら俺の部屋にある紺色のブレザーを着て行ってもいいぞ」
「サンキュ!」
潤はいつの間にか同じ位の背格好になっていた。どう見ても俺に似ているよな。血がつながらない瑞樹との差は歴然としている。小さい頃と違って……誰が見ても線の細い瑞樹だけ異端児だ。母さんは瑞樹を実子として育てようと必死だったが……瑞樹がここに居辛くなったのも理解できる。ごめんな。
「広樹、そろそろご飯食べないと」
「おー悪い」
「じゃあ、兄貴の借りていくぜ」
「あぁいいぞ!」
潤は俺とは至って普通の兄弟関係を築いている。だからこそやはり気になるのは、潤と瑞樹との関係だ。瑞樹が高校時代から特にギクシャクして、上京してからは潤がいないタイミングでしか帰省しなくなってしまった。ずっと気になっていたので東京で思い切って瑞樹を問いただしたが、結局真実はよく分からないままだ。
瑞樹は潤を避けている。
潤は瑞樹の話をしなくなった。
この二人に何があったのか。
****
「はぁー面倒くせーな。つなぎでいいのに、何でジャケット着用なんだか」
兄貴の部屋に入り箪笥を漁ると、すぐに濃紺のジャケットを見つけた。良かった。兄貴とオレは背格好が似ているから大丈夫そうだ。
ジャケットを羽織り階段を降りて居間を覗くと、もう兄貴も母さんはいなかった。そっか、競りの時間が迫っているのか。ということはオレも支度して出かけないと遅刻しそうだ。親方は遅刻にうるさいから。
おにぎりが置いてあったので頬張りながら、今度はジャケットに似合う鞄がないことに気が付いた。今日はホテルで研修って言ってたし……土まみれのドロドロのリュックじゃマズイよな。
そうだ! こんな時は瑞樹の部屋だ。
久しぶりに瑞樹が高校まで過ごした部屋に入った。もう半分物置だが、微かに瑞樹の匂いを感じてドキっとした。
アイツ……どうしたかな。俺がいない時を狙って帰省するから、あれから全然会っていない。
瑞樹は今……26歳か。どんな大人になったのか見て見たい。すげぇ興味がある。
年下の癖に散々虐めてしまったから会うのは少々気まずいが……あれはもしかしたら好きの裏返しだったのかもしれないと、実は最近思っている。
「あっこれ丁度いいな」
思惑通り瑞樹らしい品のいいこげ茶色のビジネス鞄を見つけたので、借りることにした。
それにしてもこんな上等な物どこで手に入れた? 随分と高価そうだ。東京に持って行けばよかったのに何で置いていったのか。
少し疑問を持ちながら、家を出た。
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