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帰郷 8

 電話を終えた瑞樹が軽い足取りで歩き出したので、見つからないようにそっと後をつけた。駅が近くになるにつれ雑踏に紛れそうになるので、オレは付かず離れずの距離で尾行した。  これじゃまるで探偵ごっこだ。全くいい歳して何をやっているのか。だが瑞樹が今どこに住んでいるかは長年知りたかったことなので、途中でやめるつもりは毛頭ない。  オレが中学生の時に瑞樹は大学入学のために上京してしまった。それからどこに住んでいるのか何をしているのか教えてもらえなかったので、まだ中学生だったオレには探す術もなくてイライラしたものだ。  母さんも兄貴も、貝のように口を噤んでしまったのは何故だったのか。  更に昔のことを思い出す。  オレは中学に入学した頃から、一番身近にいる瑞樹のことが女の子よりも気になってしまった。オレが5歳の時いきなり我が家にやって来た5歳年上の瑞樹は、控えめな性格で優しい兄になろうといつも懸命に生きていた。  なのに捻くれたオレは、瑞樹の小さな失敗を根に持って許さなかった。だからオレの面倒をみるように頼まれた瑞樹を、どこまでもいじめ抜いた。瑞樹に嫌がることなら何でもしたが、我慢強い瑞樹はなかなか泣かなかった。それがまたオレをイライラさせた。  過去にオレがした一番酷い嫌がらせは……やっぱり風呂場での行為だろうな。  小さい頃からオレを風呂に入れるのは瑞樹の役目だった。それをいいことに中学生になってもせがんでいた。当初は母も兄貴も「潤と瑞樹はいつも兄弟仲良しでいいわね」いつまでも風呂まで一緒なんて」と楽観的に捉えていたので、それを逆手に取ったのさ。 **** 「まぁ……あなたたち、また一緒にお風呂に入るの?」 「風呂場で兄さんに学校の事とか聞いてもらうとホッとするんだ。だからいいだろ?」 「まぁそうね。瑞樹は迷惑じゃないの?」 「あっ……はい……大丈夫です」 「そう? ごめんね、潤のことよろしくね」  風呂場に入ると、瑞樹の綺麗な裸を舐めるように見るのが日課だった。瑞樹は男のオレからの視線に明らかに戸惑っていた。 「潤……どうして母さんにあんな嘘を? 」 「あぁでも言っておけば、瑞樹といつまでも一緒に風呂に入れるだろう」 「……そんな」 「さぁ兄さんなんだから、ちゃんと男の成長ってものを教えてくれよ。ほらこっちにこいよ」  瑞樹の股間の小さなものに触れると、瑞樹はいつも真っ青な顔になった。そこを指先で擦ると少し固くなるのが面白かった。同時に自分の股間もキュッと熱くなるので不思議だった。 「やめてくれ。もう……こんなのは変だ。こんなこと……普通の兄弟はしない。おかしいだろう」 「いやだね。へぇ擦るとココってこんな風になるんだ。瑞樹はオレの兄なんだから、しっかりこの部分の男の成長について教えてくれよな」 「……」 「オレだってもう中学生だから、いろいろ知ってるぜ」 「もういい加減にしてくれ。ほら早く躰を洗って……僕はもう上がるよ」 「また明日もだぞ」 ****  瑞樹の住んでいるマンションは、駅からだらだらと続く坂道を20分ほど歩いた所だった。人通りがだんだん少なくなる暗い道に、オレの方が心配になる。なんだよ。もっと駅から近い安全な場所にすればいいのに。ったく、余計な心配かけさせんじゃねーよ。  細心の注意を払い見つからないように尾行を続けた。  瑞樹はポストを覗いて郵便物を眺めながら廊下を歩いていった。背後に全く気を配っていない……危なっかしいな。  やがてドアがパタンと閉まり、姿が見えなくなる。  さてどうしたものか。インターホンを押してみようか。いや待てよ。オレだと分かったら出ないかも。あんなことを風呂場でし続けたせいで、瑞樹はオレを明らかに避けているからな。  瑞樹が上京してしまってから函館に帰省したのは数回だけだ。しかもオレが修学旅行や卒業旅行とか、いない時を狙っていたので、オレはずっと会っていない。  そんなにオレがキライなのかよ! 怖いのかよ!  意を決して瑞樹の自宅の前まで行きドアの前に立つが、インターホンを押す勇気がもてない。ざまーねぇな。インターホンひとつ押せないなんて。あんなに意気込んで東京までやってきたのにさ。  ドアの前で躊躇していると、廊下の先から声がしたので慌てて曲がり角に隠れた。確認すると小さな少年と父親の親子だった。  マンションの住人か。そう思った矢先に父親が突然瑞樹の部屋の前で足を止め、スマホで会話をしだした。 「おーい瑞樹、今から風呂に入ったりするなよ。湯冷めするし遅くなるから駄目だぞ」 「ははっ、だいぶ思考回路が読めるようになって来ただろう。瑞樹は結構分かりやすいよ」 「ふーん、じゃあ俺が今何処にいるか分かるか」  み……瑞樹って言ったよな。この親子って、一体何者だ? オレとは面識がないし……東京に瑞樹の親戚なんていないよな。  一体何だよ!  すぐにガチャガチャと瑞樹にしては乱暴にドアが開いた。   「宗吾さん、芽生くん! どうして」 「待ちきれなくて、車で迎えに来たよ」 「びっ……びっくりしました」 「じゃあ行こう。ほら夜は冷えるから、手に持っているセーターもちゃんと着て。もう遅いから夜道は危険だろう?」 「そんな……僕は男だから、そんな心配はいらないですよ」 「いやいや、イマドキは男だからって油断しない方がいいぞ。瑞樹は特に可愛いし、最近は変な色気も出て来て……以上の理由で迎えに来たのさ」 「そっ宗吾さん……芽生くんが聞いていますから」  何だ? これってまるで恋人のような扱いじゃないか。瑞樹もとびっきり甘い笑顔で心の底から信頼しているような雰囲気だ。  こんな瑞樹……オレは見たことがない。    この男は、まさか……瑞樹の……    

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