192 / 1740
北の大地で 3
「瑞樹、改めて言うよ。戻ったら……俺の家で一緒に暮らさないか」
彼の瞳に浮かぶ透明な滴を指先で拭ってあげた。展望台内は夜間で照明を落としているし、皆、窓の外の景色に夢中なので、これ位しても構わないだろう。
俺の指先に沁み込む涙は、瑞樹の穏やかで温かい心そのものだ。
「宗吾さん……ありがとうございます。僕……行きます。あなたと一緒に暮らしたいから」
瑞樹は一旦手編みの手袋を外し、箱から俺の家の鍵を取り出しギュッと握りしめた。それから手の平をゆっくりと開き、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「悔しいな……早く全部の指で感じられるようになりたいです」
「ありがとう。待っているよ。但し絶対に焦らないこと。分かったな」
彼の前に立ち少し屈みこんでコツンと額を合わせてやると、瑞樹はすぐに頬を赤くした。キョロキョロと辺りを見渡し動揺しているのが、手に取るように分かるよ。可愛い反応だ。
「そっ宗吾さん、そうだ。下の公園にも行ってみませんか」
「おぉ行ってみよう」
星型が特徴の五稜郭の周囲を約2000個もの電球で彩り、五稜郭の星の形を浮かび上がらせるイルミネーションは、まるで巨大な惑星のようだ。
俺たちはその星へ舞い降りる。
「あっそうか、もう公園内は閉園時間だ。久しぶりで忘れていました。どうしよう」
「この辺りを少し歩こうか」
「いいですね」
五稜郭公園はもう閉園していたので、そのまま堀の外の道を一周してみることにした。電球の照明が降り積もった雪に反射して眩く清らかな道だった。
隣に歩く瑞樹をそっと盗み見する。こんな風に連れ立って歩く相手を意識するのはいつぶりか。打撲痕も切り傷、擦り傷も綺麗に消えて、滑らかな頬に戻っていたことに安堵した。
よかったな。痕に残らなくて……でも襟元が寒そうだ。俺は立ち止り持ってきたマフラーを巻いてやった。
「ほら、ちゃんとマフラーして、さっきの手袋もしてくれよ。君が風邪を引いたりしたら広樹や潤に怒られるからな」
「ふふっ」
「何がおかしい? 」
「僕は芽生くんじゃありませんよ。また小さな子供になったような気分です」
「そうだな。瑞樹は瑞樹だな。二十六歳の健全な男性だろう。ムラムラする時もある健康男子だ」
「くすっ久しぶりに宗吾さんのヘンタイ発言を聞けて、何だか通常運転に戻ったようで楽しいです」
「え? 今のがヘンタイか」
「それより足元気を付けて下さいね。今年は雪が12月でも結構積もっていますから」
「あぁ」
と言った矢先に革靴が滑って、迂闊にもステンと見事に転んでしまった。
「あああぁーイテテ」
「わっ! 宗吾さん大丈夫ですか」
「ははっ都会っ子は雪に不慣れでな。あー瑞樹の前でカッコ悪いな」
まさに絵にかいたような尻もちをついて、苦笑してしまった。
あんなにカッコつけていた昔の俺はもういない。瑞樹の前だと、どこまでもヘンタイでカッコ悪い男にもなれるから不思議だ。
そうか……これが俺の素なのか。瑞樹になら何もかも曝け出せる。
「宗吾さん どこか痛くないですか」
「うー尻をぶつけたようだ。つかいもんにならなくなるかも」
「ぷっ……またヘンタイなことを。ほら僕の手に掴まってください」
「おぉ、ありがとう」
「わっ!」
ここぞとばかりに瑞樹の腕を掴まえてグッと引き寄せた。瑞樹がグラっとバランスを崩し、俺の胸元に倒れ込んできた所をすかさず抱きしめて素早くキスをした。閉園後の五稜郭の堀の外の道はガランとして誰も通らないから、少しだけ君に触れさせてくれよ。さっきからずっとこうしたかった。
「あっ」
「久しぶりの味だ。それに瑞樹の花のような香りに、はっとしたよ」
本当に久しぶりに感じる花のような芳しい香り。瑞樹特有の香りに酔ってしまいそうだ。
「あ……そうか。出る直前まで花に触れていたから」
もうあの消毒液の匂いはしない。指先にグルグルと包帯を巻いていない。
退院してから二週間。瑞樹が瑞樹らしく戻って来ているのを直に感じ、感極まってしまった。
「これは……瑞樹の匂いだ」
更にギュッときつく抱きしめてやると、瑞樹も俺の背におずおずと手を回してくれた。
「宗吾さんの匂いですね。これは」
「あぁ忘れるなよ」
「宗吾さんにずっと会いたかった」
クリスマス・イブ
函館という星で、俺たちは抱擁しあう。
豪華なプレゼントも食事もいらない。
瑞樹という存在があれば……それが俺にとって最高の贈り物だ。
ともだちにシェアしよう!