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北の大地で 4

「あっ宗吾さんもうこんな時間です。潤が心配するので戻らないと」  頬を薔薇色に上気させ艶めいた雰囲気に染まっていく瑞樹。整った形の唇は濡れていた。  もう一押しで陥落出来るはずだったのに、突如時計を気にしだしてまった。こんな時でも約束をきちんと守るのは、やっぱり瑞樹らしいな。  もっと抱きしめてキスしたかった。だがその一方で彼が彼らしさを取り戻しているのを目の当たりにし、嬉しく思った。 「早く行きましょう! 宗吾さん、こっちですよ」  瑞樹の方から俺と手を繋ぎ引っ張ってくれた。なんだかいつもと逆の状況が新鮮で楽しい。 「おっおい、そんなに走るな」 「大丈夫ですよ」  なぁ瑞樹……函館はやっぱり君の故郷なんだな。だって君は今、とても伸びやかに息を吸っている。 「瑞樹、転ぶなよ」 「宗吾さんこそ。僕は雪道は慣れていますから」 「だな。うわっまた転んだ」 「クスっ」 「気を付けて下さいよ。本当につかいものにならなくなるかも」 「言ったな!」    確かに瑞樹の足取りは軽かった。だから俺も負けじとイルミネーションで輝く明るく白い道を彼と手を繋いで真っすぐに走った。  雪は降っていないが気温がぐっと下がったようで、吐く息が白い煙のように棚引いていた。  俺たちの足跡は、振り向けば白い雪に埋もれることなく仲良く並んでいるだろう。  瑞樹の故郷……函館。  ここからがスタートだ。俺たちは今、新しい一歩を踏み出す。 ****  瑞樹を五稜郭タワーの前で降ろし、消えていく後ろ姿を静かに見送った。  仲良さそうだな。本当に嬉しそうだな。帰郷してこの二週間で一番いい笑顔だ。  やっぱり恋人の威力ってすごい。  なぁ……オレも少しは役に立っているか。ひとつひとつ瑞樹から奪ったものを返していけたらいいのに。函館は何だかんだいっても……地元の有力者の息子の……アイツの本拠地だから、やっぱり瑞樹をひとりで歩かせるなんて到底出来ないよ。  オレが怖いんだ。また何かあったら、巻き込まれたらと怖くなってしまう。  瑞樹もそんなオレのそんな気持ちを察してか、素直に従ってくれるから泣けてくる。籠の中の鳥にするつもりなんてないのに、ごめんな。  クリスマス・イブに宗吾さんが来てくれることになったと報告を受けて、母さんも兄貴もオレも手放しで喜んだんだぜ。家から出るに出られず、ぼんやりと二階の部屋で過ごしていた瑞樹だったから。  今日は朝から嬉しそうな様子で、午後になると待ちきれない様子で、久しぶりに花を生けたがった。 『兄さん、何か僕に出来ることはない? 僕も何か手伝いたいんだ』  皆、この言葉を待っていた。いい変化だ。やっぱり恋人の影響はすごい。  オレは今まで花になんて興味がなかったのに軽井沢で造園に興味を持ち、函館に戻ってから急に店の花の名前を覚えたくなった。だからあれから毎日花屋の手伝いをしていたのさ。  母さんもだいぶ年を取って来たし、正直、兄貴ひとりでは大変なのは前から知っていた。オレの記憶にはない父さんの残した店を兄弟で守っていくのが、最高の親孝行かもな。 『潤、僕の代わりに手を動かしてくれるか』 『もちろんだ』 『ありがとう! ふたりで作ってみよう』  瑞樹は懇切丁寧に花の生け方を教えてくれた。なんだか慣れない作業がくすぐったいな。小さい頃は瑞樹に勉強を教えてもらった時期もあった。いつも瑞樹はどこまでも相手の立場を考えて、丁寧に優しく教えてくれた。その姿勢が昔も今も少しも変っていなくて、やっぱり泣けてくるよ。  オレたち皆……瑞樹のことが好きだぜ。縁あって家族になったんだ。その縁は今後もずっと大事につなげていきたい。たとえ瑞樹に恋人ができ、故郷を出ることになってもさ。  あっそろそろ時間か。  時計を見ると間もなく21時。定刻通りに通りの向こうから瑞樹と宗吾さんの姿が近づいてくるのが見えて、ほっとした。  へぇ……ふたりで手なんて繋いで可愛いもんだな。しかも宗吾さんはどうやら派手に転んだようだな。くくっコートに雪が沢山ついているぜ。それに比べて瑞樹はさすが北国生まれの北国育ちだ。雪道でも足取りがしっかりしている。瑞樹は五歳も年上の兄なのに、なんだか弟の恋を見守るような気分だった。  ぐっと元気になったな。今日一日で瑞樹は潤った。やっぱり宗吾さんが瑞樹にとって『生きるための水』なんだと実感してしまうよ。 「潤、ありがとう!」  寒さで鼻の頭を少し赤くして頬を上気させた瑞樹が、オレを真っすぐ見つめてくれた。純粋に信頼してくれているのが伝わってきて、胸の奥がジンとした。オレがずっと探していたものがやっと見つかった。  『瑞樹からの信頼』  この笑顔がオレにとって最高のクリスマスプレゼントだ。 「宗吾さんと楽しかったか」 「うん。展望台の上から見た五稜郭は星の惑星みたいに綺麗だったよ」 「よかったな。さぁ母さんと兄貴が痺れを切らして待っているぜ。行こう」  宗吾さんと瑞樹を車に乗せ自宅へと向かった。 「宗吾さん、帰りは明日でいいんですよね」 「そうだよ。今日は適当にどこかに泊まるよ」 「あっ宗吾さん、今日はオレの家に泊まることになっているんで、よろしくです」 「おっおう、そうなのか」  いささか緊張した面持ちになった宗吾さんをバックミラーで確かめて、心の中でエールを送った。  がんばれよ。兄貴は酒、かなり強いぜ!    

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