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幸せを呼ぶ 9

 宗吾さんとの電話を終えてすぐ、卓上カレンダーを手に取って4月21日に大きく丸印をつけた。  まずはこの日だ。この日に向かって僕は前進しよう。  一馬……お前と暮らした家を、ついに出るよ。この家を出ると、もうお前には僕の居場所が分からなくなるだろう。だがそれでいい。それぞれの道を潔く進むためにも必要なことだ。  今となっては、お前と終わった日と宗吾さんと出会った日が同じで良かったのかもな。 『始め終わり』か。  何事にも終わりがやって来るが、同時に始まりもやって来る。そして何より宗吾さんと踏み出した新しい世界は、僕自身を根底から大きく変えてくれた。  僕は今の僕が好きだ。そう胸を張って言える。  漸く……一馬が使っていた部屋に入ることが出来た。ここは……あの日からずっと閉め切ったままの空き部屋だ。  僕と一馬が夜を共に過ごしたベッドだけは流石に事前に捨てて行ってくれたが、その他の細かい物は、実はまだクローゼットに眠っている。  あの日整理しようと思ったのに捨てきれず、ビニール袋にまとめて詰め込んだ僕らの想い出と、今度はちゃんとお別れしよう。  残された物を通して……もう思い出には浸らないよ。  一馬、ごめんな。  ビニールに詰めた時は浸るのが怖かったのに、今は事務的に向かい合えている。  僕も少しは成長したんだな。  一馬との付き合いに後悔はない。あの頃の僕にとってはあれが最善だった。アイツは去っていく日まで、僕を暖めてくれる場所でいてくれた。  集中してクローゼットの中を整理し終えると、埃っぽくなったのでシャワーを浴びることにした。  シャワーの水音の向こうに、ふと宗吾さんと兄さんが言い争いしている声が聞こえた気がした。  ぷっ……あの日の僕、かなり滑稽だったな。  あんな真っ裸で慌てて飛び出していくことなかったのに……今考えると最高に恥ずかしい。いや……でもあれは兄さんたちが変な誤解をしあったのがいけないのでは。どちらにせよ兄さんと宗吾さんは馬が合うから、この先も珍道中になりそうだ。もう巻き込まれるのは御免だが。  それから浴室の鏡に映る僕の裸の躰をじっとみた。  ごくごく普通の体型だと思う。あ……でも少し痩せたかも。あんなに大沼で重たいミルクを運んだのに、腕や胸に筋肉らしいものは見当たらない。きっとつきにくい体質なのだろう。  最後にこの躰を重ねた相手は、一馬だ。  宗吾さんとはキス。そして二度程……お互い手で高めあっただけだ。本当にこの一年……高校生みたいな恋をしているんだなと改めて思うよ。  最初は一馬の名残が忘れられず抱かれるのを戸惑い、その後はお互いに慎重になり過ぎて進まず、そして今は色々とタイミングが悪すぎて進めていない。  だが来月……同居するようになったら、流石にそうも言っていられないだろう。  宗吾さん……  あの人に僕は抱かれる。  宗吾さんが僕を抱く。  どちらの立場から見ても、想像するだけで顔が火照ってしまうよ。なんだかその日のことを考えるだけで猛烈にキドキしてしまう。  沢山待たせてしまったが、宗吾さんは一体どうやって凌いだのかな。  あの広い胸に抱かれたら心地良いだろう。たくましい腕にキツく抱きしめてもらいたい。  あぁ、まずい。なんだか変なスイッチが入ってしまった。どうしよう!  シャワーを浴びながら僕の下半身はあろうことにか昂っていた。  大沼では肉体労働のようなものだったのでこの手のことは発散出来ていたのに……ずっと禁欲出来ていたのに。  宗吾さんにつないでもらった手の温もり、キスの味を思い出せば、もう我慢できなくなる。 「ん……んっ……」    浴室の壁にもたれシャワーに打たれながら、ただひたすらに宗吾さんのことを考えて両手で抜いてしまった。 「んっ……宗吾さんっ、あぁ……っ」  ポタポタと壁に飛び散った白濁ものに、我に返り茫然としてしまった。    あ……僕……何をして。何だか猛烈に恥ずかしい。  この家で、この部屋で……僕は宗吾さんを想ってこんなことを。  ここは一馬と使ったバスルームだ。ここであいつに抱かれたこともあったのに…… 「ふっ……本当にさよなら出来たんだな、これで僕は宗吾さんの元に飛び立つことが出来る……」  気持ちと身体、両方があの人を強く熱く求めている。まだ火照っている。 「宗吾さん……どうしよう。熱が籠って苦しい位、あなたのことが好きみたいです」 **** 「ハークション!!」 「わっパパ~おカゼですか」  パジャマ姿で芽生と一緒に歯磨きをしていると、鼻がむずむずして大きなクシャミをしてしまった。 「いや、風邪はひいてないよ。そうだなぁ、これは誰かが俺のことを考えている証拠だ! 」 「そうなの? じゃあ今、お兄ちゃんはすっごくパパのことを考えているんだね」 「おぉ! まあな」  芽生に力強く言われると、満更でもなくニヤリとしてしまった。  瑞樹も俺のことを今考えてくれているのか。  俺を想ってくれているのか。  先ほどは強く激しく、瑞樹に呼ばれた気がした。 「パパ、そのおかおはブーブーですよ! 」 「え? なんでだ」 「また鼻のしたがビョーンってのびてるもん!」 「うわわ……それは気を付けるよ」    息子に指摘されるとは、よっぽどなのだろう。  こんな調子では……瑞樹が引っ越して来たら、俺はどうなるのか心配だ。  

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