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若葉風にそよぐ 1

 瑞樹に明日からの函館旅行を告げると、目を丸くして驚いていた。おいおい……君をびっくりさせたくて企画したことだが、そこまで驚かれると少々申し訳なくなるぞ。 「せっかくの連休に、俺が何も考えていないと?」 「ですが……僕は宗吾さんと芽生くんと同じ家で過ごせるだけで幸せなのに、旅行なんて予期していなくて、だから嬉しすぎます」 「驚かせて悪かったな」 「しかも函館だなんて……あっでも……」  ん? 何かひっかかるのだろうか。っとその前に、俺からも言うことがあった。 「それで家族水入らずの所、悪いんだが、今回は俺の母親も一緒でもいいかな。悪いな、事後報告で」 「え……」  瑞樹の瞳に透明な膜が張り、すぐに感極まったような涙となり、つーっと流れ落ちた。明るい日差しを浴びた頬に、透明のしずくが転がっていく。  おいおい今度はどうした、何で泣く? まさか母親が同行するのが、嫌なわけではないよな。 「あっ……なんで涙……すっすみません。僕、最近……涙腺が変なんです」  慌てて瑞樹が自分の涙を手の甲で拭ってしまった。 「その涙の理由を教えてくれるか」 「……あの……もしも次に函館に行くのなら、宗吾さんのお母さんも一緒がいいと密に思っていたんです。だから本当に嬉しいサプライズで……」  この返事には嬉しくなる!  瑞樹が俺の母のことまで考えていてくれたなんて。 「おお!本当か、そう言ってくれて安心したよ。実はさ、母の方からも散々早く函館に連れて行けと頼まれていてな」 「あの、それは何で……?」 「瑞樹の家にきちんと挨拶したいそうなんだ。その……なんかそういうの照れるな」 「うっ……」  あぁ……まずいな。いよいよ本格的に瑞樹が泣きだした。ここは屋外で、君を抱きしめていいものか躊躇していると、芽生が助言してくれた。 「パパ。幼稚園でも泣いていると、周りのおともだちがギュッてしてくれるよ。ボクもコータくんにしてもらったことあるよ。だからおにいちゃんを、早く、いーこいーこしてあげた方がいいよ!」 「ったく、芽生こそ、いい子過ぎる……ならば芽生も一緒に瑞樹をギュッとしてやろう」 「ほんと? ボクもいいの?」 「当たり前だ」  芽生を抱っこして、ふたりで瑞樹を一緒にハグし、肩を擦ってやった。 「おにーちゃん、いいこいいこ」 「ごっ……ごめんねっ、こんなに泣いて」 「あっコータくんだ!」  芽生が嬉しそうに手を振る方向を見ると、コータくんとお母さんが手をつないでこちらに向かって歩いて来た。 「滝沢さんすみません~せっかくのお休みなのに遊園地に付き合わせちゃって。瑞樹くん、こんにちは」 「……こんにちは」 「ふふっ聞いていますよ。同棲を始めたって~」  瑞樹は照れくさそうにもう一度目元を擦ってから、ペコっと頭を下げて挨拶した。 「あら、瑞樹くん、もしかして泣いた?」 「あっいえ、その……ちょっと良いことがあったので、泣いてしまいました。男なのに恥ずかしいですよね」 「あら、そんなの関係ないわ。嬉し涙を流すのは、そう恥ずかしいことじゃないのよ。自分の感情をちゃんと受け止めている証拠よ。いい事があったのなら素直に受け入れて、それが幸せを持続させるコツよ!」 「……なるほど、そうしてみますね」  キッズランドでコータくんと芽生が夢中で遊んでいる間に、年長の役員で幼稚園内に行く機会が多いコータくんの母親に、園での芽生の様子や、何か交友関係で変わったことがなかったかなど……男親では気付き難いことを聞いてみた。 「うーん、特に幼稚園で変わった事はないと思いますが、こればかりは私がすべて見たわけじゃないので何とも……」 「なるほど」 「なのでずっと一緒にいるコータから聞いた方がいいかなって思って、連れてきたんです」 「そうか、ありがとう。そうしてみるよ」  ところがコータくんは宗吾さんに「いつもどおり元気で可愛い芽生だ」と言い張るだけで、特に変わったことはないとの一点張りだった。でも何か隠しているような…… 「宗吾さん……僕も後でそれとなく聞いてみますよ」 「あぁでも無理すんなよ。芽生が元気ないのは気のせいかもしれないしな」 「……はい」 ****  気のせいではない──  この前、芽生くんの寝言は「……ママ」だった。  そのことが、ずっと僕の中でひっかかっていた。  だからこそ僕からコータくんに聞いてみたいと願い出た。 「コータくん、ちょっといいかな」 「うん、あっオレも聞きたいことがあったんだ」 「何かな?」 「お兄さんが……メイの新しいママなのか」 「えっ」 「そのさ、メイ……ちょっとこまってるみたいだぞ」 「なんで?」 「幼稚園で、母の日の絵、ずっと描けなくて……こっそり泣いてた」 「あっ……」   そこで腑に落ちた。  芽生くんの悩みの本当の理由を……  ごめん、僕がすぐに気づいてあげられなくて。 「……僕は芽生くんのママじゃないよ」 「だよなぁ。お兄さん男だもんなぁ。じゃあパパ? それもなんか違うし……」 「うん、違う」  僕は芽生くんにとって何だろう。  そう思うと、すぐに答えは出てこなかった。  でも芽生くんの躊躇、悩みを解いてあげたい。その答えを見つけたい。 「コータくん、ありがとう。ごめんね。すぐにぴったりの言葉が見つからないけれども……芽生くんのこと……心から大切に想っているんだ。だから悩みを軽く出来るよう、がんばってみるよ」  そう答えるとコータくんは、明るい笑顔を浮かべた。 「うん。メイが元気になるのが一番いい!お兄さん、がんばって!」  子供の言葉は、素直で純粋だ。  だから僕はあまり傷ついていなかった。  むしろ前向きな気持ちを抱いていた。      

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