267 / 1741
若葉風にそよぐ 1
瑞樹に明日からの函館旅行を告げると、目を丸くして驚いていた。おいおい……君をびっくりさせたくて企画したことだが、そこまで驚かれると少々申し訳なくなるぞ。
「せっかくの連休に、俺が何も考えていないと?」
「ですが……僕は宗吾さんと芽生くんと同じ家で過ごせるだけで幸せなのに、旅行なんて予期していなくて、だから嬉しすぎます」
「驚かせて悪かったな」
「しかも函館だなんて……あっでも……」
ん? 何かひっかかるのだろうか。っとその前に、俺からも言うことがあった。
「それで家族水入らずの所、悪いんだが、今回は俺の母親も一緒でもいいかな。悪いな、事後報告で」
「え……」
瑞樹の瞳に透明な膜が張り、すぐに感極まったような涙となり、つーっと流れ落ちた。明るい日差しを浴びた頬に、透明のしずくが転がっていく。
おいおい今度はどうした、何で泣く? まさか母親が同行するのが、嫌なわけではないよな。
「あっ……なんで涙……すっすみません。僕、最近……涙腺が変なんです」
慌てて瑞樹が自分の涙を手の甲で拭ってしまった。
「その涙の理由を教えてくれるか」
「……あの……もしも次に函館に行くのなら、宗吾さんのお母さんも一緒がいいと密に思っていたんです。だから本当に嬉しいサプライズで……」
この返事には嬉しくなる!
瑞樹が俺の母のことまで考えていてくれたなんて。
「おお!本当か、そう言ってくれて安心したよ。実はさ、母の方からも散々早く函館に連れて行けと頼まれていてな」
「あの、それは何で……?」
「瑞樹の家にきちんと挨拶したいそうなんだ。その……なんかそういうの照れるな」
「うっ……」
あぁ……まずいな。いよいよ本格的に瑞樹が泣きだした。ここは屋外で、君を抱きしめていいものか躊躇していると、芽生が助言してくれた。
「パパ。幼稚園でも泣いていると、周りのおともだちがギュッてしてくれるよ。ボクもコータくんにしてもらったことあるよ。だからおにいちゃんを、早く、いーこいーこしてあげた方がいいよ!」
「ったく、芽生こそ、いい子過ぎる……ならば芽生も一緒に瑞樹をギュッとしてやろう」
「ほんと? ボクもいいの?」
「当たり前だ」
芽生を抱っこして、ふたりで瑞樹を一緒にハグし、肩を擦ってやった。
「おにーちゃん、いいこいいこ」
「ごっ……ごめんねっ、こんなに泣いて」
「あっコータくんだ!」
芽生が嬉しそうに手を振る方向を見ると、コータくんとお母さんが手をつないでこちらに向かって歩いて来た。
「滝沢さんすみません~せっかくのお休みなのに遊園地に付き合わせちゃって。瑞樹くん、こんにちは」
「……こんにちは」
「ふふっ聞いていますよ。同棲を始めたって~」
瑞樹は照れくさそうにもう一度目元を擦ってから、ペコっと頭を下げて挨拶した。
「あら、瑞樹くん、もしかして泣いた?」
「あっいえ、その……ちょっと良いことがあったので、泣いてしまいました。男なのに恥ずかしいですよね」
「あら、そんなの関係ないわ。嬉し涙を流すのは、そう恥ずかしいことじゃないのよ。自分の感情をちゃんと受け止めている証拠よ。いい事があったのなら素直に受け入れて、それが幸せを持続させるコツよ!」
「……なるほど、そうしてみますね」
キッズランドでコータくんと芽生が夢中で遊んでいる間に、年長の役員で幼稚園内に行く機会が多いコータくんの母親に、園での芽生の様子や、何か交友関係で変わったことがなかったかなど……男親では気付き難いことを聞いてみた。
「うーん、特に幼稚園で変わった事はないと思いますが、こればかりは私がすべて見たわけじゃないので何とも……」
「なるほど」
「なのでずっと一緒にいるコータから聞いた方がいいかなって思って、連れてきたんです」
「そうか、ありがとう。そうしてみるよ」
ところがコータくんは宗吾さんに「いつもどおり元気で可愛い芽生だ」と言い張るだけで、特に変わったことはないとの一点張りだった。でも何か隠しているような……
「宗吾さん……僕も後でそれとなく聞いてみますよ」
「あぁでも無理すんなよ。芽生が元気ないのは気のせいかもしれないしな」
「……はい」
****
気のせいではない──
この前、芽生くんの寝言は「……ママ」だった。
そのことが、ずっと僕の中でひっかかっていた。
だからこそ僕からコータくんに聞いてみたいと願い出た。
「コータくん、ちょっといいかな」
「うん、あっオレも聞きたいことがあったんだ」
「何かな?」
「お兄さんが……メイの新しいママなのか」
「えっ」
「そのさ、メイ……ちょっとこまってるみたいだぞ」
「なんで?」
「幼稚園で、母の日の絵、ずっと描けなくて……こっそり泣いてた」
「あっ……」
そこで腑に落ちた。
芽生くんの悩みの本当の理由を……
ごめん、僕がすぐに気づいてあげられなくて。
「……僕は芽生くんのママじゃないよ」
「だよなぁ。お兄さん男だもんなぁ。じゃあパパ? それもなんか違うし……」
「うん、違う」
僕は芽生くんにとって何だろう。
そう思うと、すぐに答えは出てこなかった。
でも芽生くんの躊躇、悩みを解いてあげたい。その答えを見つけたい。
「コータくん、ありがとう。ごめんね。すぐにぴったりの言葉が見つからないけれども……芽生くんのこと……心から大切に想っているんだ。だから悩みを軽く出来るよう、がんばってみるよ」
そう答えるとコータくんは、明るい笑顔を浮かべた。
「うん。メイが元気になるのが一番いい!お兄さん、がんばって!」
子供の言葉は、素直で純粋だ。
だから僕はあまり傷ついていなかった。
むしろ前向きな気持ちを抱いていた。
ともだちにシェアしよう!