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さくら色の故郷 5
広樹兄さん……結婚してしまうのか。
まったく予期していない、突然過ぎる話だった。
最初は条件反射のように笑って「おめでとう」と言えたのに、なんだかじわじわと寂しくなってしまった。だからなのか、涙腺がすっかり弱くなった僕の目元に熱いものが浮かんでくるのを感じた。
「おい……瑞樹、何で泣く?」
「あ……あれ、また涙が」
「俺が結婚するのを喜んでの『嬉し涙』かぁ? 」
広樹兄さんはおどけているが、それとは違うと思ったので、目元の涙を手の甲で拭いながら首を横に振った。
「いや……違うみたい」
スッと広樹兄さんが真顔になる。
「どうした? 瑞樹、大丈夫か」
昔からよく、こんな風に声をかけてもらった。
5歳年上の広樹兄さんは、当時10歳だった僕には、見上げる程の身長で、もう大人のように見えた。そんな兄さんが僕の目線までしゃがんで髪を撫でてくれた日々を思い出す。
『どうした? 瑞樹、大丈夫か』
なのに僕はなかなか心を開けなくて、いつも心配をかけてしまった。その度に根気よく『瑞樹……心配すんな。俺がついているから大丈夫だぞ』と、今日のように言ってくれた。
「兄さん、兄さんっ……本当は……僕……少し寂しい。勝手な言い分だけど、兄さんをお嫁さんに取られちゃうみたいで……ごめん。お祝いごとなのに、なんでこんなに切なくなるんだろう」
「瑞樹……」
こんなことを言ったら……兄さんを困らせてしまう。それは分かっているのに止まらない。
僕は何て自分勝手なんだ。兄さんの顔がまともに見られなくて、涙を堪えるようにギュッと目を閉じ俯いてしまった。
呆れられる?
怒られる?
「瑞樹、こっち向けよ」
恐る恐る目を開けると、兄さんが満面の笑みで、ガバっとハグしてくれた。
「瑞樹の言葉、滅茶苦茶うれしいぞ! 最高の餞だよ。お前にそこまで大切に想われていたのかと思うと、本気でうれしい! 」
ハッとした。
僕は今まで自分のことばかりで、兄さんの気持ちに寄り添っていなかった。
「兄さんも……寂しかった? 僕が……宗吾さんと暮すことになって」
「あぁ寂しかったぜ。弟を取られた気分でさ。でもお前の幸せを願っていたから受け入れた」
「同じだ……僕も、寂しいけど、兄さんには幸せになってもらいたい」
「瑞樹、俺達は結婚しても、ずっと兄弟だ」
「うん、うん……」
「ほら、もう泣くな」
「うん」
観覧車はいつの間にか二周目を終え、地上に戻っていた。
ゴンドラから降りた時、僕が泣きながら兄さんと肩を組んでいたので、宗吾さんには仰天された。でも事情を話すと「その気持ち分かる」とすぐに納得してくれた。
********
観覧車から降りて来た瑞樹が、涙ぐみながら兄と肩を組み合っていたのに、最初は面食らった。だが、すぐに事情を話してもらうと、今度はしんみりした。
もしも俺に……瑞樹みたいな可愛い弟がいたら手離したくない。まして相手は同性の男だぞ。それでも俺に瑞樹を託し応援してくれる広樹は、その名の通り、心が広い、いい奴だ。
俺の兄にはない温かみを持っていて、正直羨ましくもなる。
「宗吾さん、さっきはごめんなさい」
「何を謝る? 広樹とは、いい兄弟だな。羨ましい位に」
「ありがとうございます。僕と兄は血は繋がっていなくても、本当に深い所で心が繋がっていると思えました。僕……兄が結婚すると聞いて寂しくなってしまったようで……自分でも驚きました」
「そういうの、いいな。兄さんを大事にしろよ」
「はい!」
いつか瑞樹に俺の兄を紹介する日が来るのか。
いや、残念ながら想像できない。何しろ俺の兄貴は同性愛なんて毛嫌いしている堅物裁判官だからな。少し暗くなってしまった気持ちに、瑞樹がさりげなく寄り添ってくれた。
「宗吾さん……僕たちの関係が全員に祝福されるのは無理です。だからこそ、今傍にいてくれて、今寄り添ってくれる人を大切にしていきたいですね」
「あぁそうしよう。なんか、ごめんな」
「何で謝るんです? 芽生くんと宗吾さんのお母さんに、僕はこんなにも大切にしてもらっているのに……これ以上の贅沢はありません」
瑞樹の言葉は、俺をやさしく包み癒してくれる。
彼の持つ清廉さが薫風と共に、俺の迷いを吹き飛ばしてくれる。
****
「そろそろ家に戻ろう」
広樹兄さんのかけ声と共にワゴン車に乗り込み、今度は皆で僕の家に向かう。
以前はそう呼ぶのに少しの違和感を持っていたが、今は違う。
函館の花屋『葉山生花店』は、僕の実家だ。
あそこには僕を10歳の時引き取り、育ててくれた大切な母がいる。
早く会いたい――
軽井沢に迎えに来てくれた時も、函館の家で療養した時も、まだ……ちゃんと伝えきれていない。
今を共に生きている母を思慕する……僕の素直な気持ち。
言葉に出して、ちゃんと伝えないと。
人はいつ突然いなくなってしまうか分からない。
明日をも分からない人生を歩んでいる。
だから伝えたい思いがあるのなら、後悔のないように、しっかり言葉にしていきたい。
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