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さくら色の故郷 10

「……大ありです!」  そう叫んだ途端に立ち止まったのは、広樹兄さんの方だった。 「瑞樹、どうした?」 「うっ……」 「銭湯、まずいのか」 「……」 どう答えていいのか困ってしまい押し黙ると、兄さんが突然僕の腕を掴んで回れ右をし、ずんずんと歩き出した。 「よしっ分かった」 「えっ! 兄さん待って……銭湯は? 」 「あー俺たちだけで行くから、瑞樹はやっぱ家の風呂にしとけ」 「……あ、そうか、そうだな。その方がいい」  宗吾さんも、ようやく僕の戸惑いに気付いてくれた。 「あ……じゃあ、そうします」 「あぁそうしろ。いや、絶対にそうすべきだ! 」 「そっ宗吾さん、声、大きいです 」  一緒に行けない理由が理由なだけに、ものすごく気まずい沈黙が流れてしまった。そんな僕のことを、広樹兄さんが気遣って励ましてくれる。 「まぁ……瑞樹は昔から銭湯は苦手だもんな。ほらほら早く戻るぞ」 「う、うん」 ****  瑞樹に申し訳ないことをした。猛反省だ。    こうなる可能性が少しでもあるのなら、彼の胸元にまるで所有の証のような痕を散らすべきではなかった。  節操なしの俺は一度触れてしまうと止まらなくなってしまう。 俺は瑞樹に溺れすぎだ。もっと自制しないと! だが、今後もきっと同じことをしてしまう気がする。  それは、彼のことが好き過ぎて―  しかし広樹はすごいな。瑞樹からは何も告げていないのに、何に困っているかを瞬時に理解したってわけか。本当に弟思いの出来た兄だ。  今までは同い年だし、初っ端に誤解しあったこともあって闘争心が燃えていたのだが、瑞樹はこの兄にずっと見守られて成長したのかと思うと、畏敬の念と感謝の気持ちが芽生えた。 「おぉ~いい湯だな」 「ここはこじんまりしていて、いいだろう。銭湯だけど、一部に温泉を引いているんだぜ」 「ホッとするな。あのさ……さっきは悪かった」 「なんだ、改まって」 「瑞樹が銭湯に行けない理由……全部、俺のせいだ。いち早く察してくれて助かったよ」 「いや……過去に俺はいろいろ見過ごしてしまったから、瑞樹に関しては、人一倍、敏感になっているだけさ」  どこか後悔の念が滲む渋い返事だった。きっと軽井沢の事件や弟とのことを指しているのだろう。 「なるほど、でもやっぱりすごいぞ。その嗅覚、見習いたい! 」  ここは小さな銭湯なので湯船も狭い。  実際に広樹と並ぶと距離が近すぎる程で、お互いの裸が丸見えだ。ここに瑞樹がいたら、さぞかし居たたまれなかっただろう。  といいつつ、頭の中ですぐ横にもしも瑞樹が裸で浸かっていたら、胸に散らした花弁がお湯に滲んで波打って美しい光景だったろう……などと妄想しそうになり、頭をブンブン横に振った。  あー俺も最低だな。  もっと気を付けないといけないのは俺だ。  もっと瑞樹の立場も考えて…… 「まぁ瑞樹の困った様子に察したっていうか……実は観覧車に乗った時に気づいていたんだ。それでもしかして……中はもっと大変なことになっているのではと思ったわけさ。ははは……」  広樹が乾いた笑いを浮かべながら、自分の首元を指さしたので、ハッとした。そうか、あれはまだ昨夜のことだ。 『あっ、駄目です、そこは見えてしまう!』 『ここならギリギリ大丈夫だ』 『んっ……ん』  恥ずかしそうに震える瞳に征服欲が芽生えて、首元をしつこく吸い上げてしまったのは、この俺だ。堪えるような彼の表情に煽られ、何度も何度もしつこく胸元にも散らしてしまった。 「すっすまん。その、いろいろ迷惑かけた」 「いや……まぁ正直、複雑だが、瑞樹のことを丸ごと愛してくれているんだよな。でもあまり困らせないでくれ。アイツ……お前も知っている通り、今までいろいろあって結構ナイーブなんだ」 「あぁ分かっているのに……浮かれてしまったようだ。やっぱり、すまん……反省している、情けないな」 「まぁそう気を堕とすな。それに瑞樹自身も満更でもないようだぜ。さっきなんて居酒屋で蕩けそうな顔して、お前のこと見つめていたし。まぁその兄としては結構複雑だがな」  そうか、その言葉に元気をもらえる。 「そうだ、宗吾にも話しておくことがあって。今日お前と二人きりになれたのは、いい機会かも」 「改まって何だ?」 「……俺さ、秋に結婚するよ」 「えっそうなのか」 「大事な弟も落ち着いたし、俺も一歩進む時期だと、ようやく思えるようになったわけさ」 「そうだったのか。おめでとう……幸せになれよ」 「あぁこれからも瑞樹の兄には変わりないが、瑞樹のことしっかり頼んだぞ。二度と泣かすなよ」  広樹の言葉に、10歳の時から兄として瑞樹を見守ってきた長い年月の重みを感じた。 「大事にする。ずっと大事にする。一緒に生きていきたい人なんだ……瑞樹は」 「瑞樹も同じ気持ちだぜ。なぁ俺にとって可愛い弟なんだ。本当に昔からいい子で、優しくて、心が綺麗でさ……ずっと大事にしてきたんだ。お前に任せるから……頼むからずっと幸せなままにしてやってくれよ」  俺の肩をポンポンと叩く広樹の目には、キラリと光るものが浮かんでいた。 「あーここ、暑いな。もう逆上せそうだ。先に身体を洗ってくるよ」  広樹はさりげなく目を擦りながら、ザブンと音を立てて豪快に立ち上がった。 「大事にする! お前のその涙に誓って」 「おっ…俺は、泣いてなんかいないぞ!」  振り返った広樹は、照れくさそうに笑った。  やっぱりその目には光るものが浮かんでいた。  俺の大切な瑞樹が、周りにこんなにも愛されているのが嬉しくて、何だか俺まで男泣きしてしまった。  瑞樹と出逢い、恋し、思いが通じ、愛を深め合って、全てを晒し合って、ますます君が好きになっていく。  愛の深さは無限大なんだな。  泣く程好きな人に巡り合えて、嬉しい。  

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