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さくら色の故郷 35
「さぁさぁ搾りたて牛乳のぬくもりを心と躰で感じてくれ。んじゃ、まずボウズからな」
「むぅーボクはメイだよ!」
「あぁ悪いな。メェェくん」
「もぉーそれじゃ羊。ボクはメイ!」
「くくくっ」
しかし大人相手に芽生も一人前の顔をするようになったよな。少し前まではまだまだ甘えん坊だったのに、さっきなんて瑞樹を男らしく励ましていた。
うかうかしては、いられないぞ。
俺も芽生には父親として、瑞樹には恋人として、いつまでもカッコよくありたいと願う。
「じゃあここに座って。いいか、まずこんな風に親指と人差し指でわっかを作って」
「こう? 」
「よし、そのまま、そのわっかを牛さんのおっぱいに通してぎゅっと握ってみろ」
「わ! なんかムニュっとあたたかい!」
「そうそう順番に上から下に指を折るように搾ってみて」
「うぅーん……何だかとってもむずかしいよ、パパぁーきてぇー」
やれやれ、さっきは随分大人になったと感心していたのに、こういう甘ったれな所はまだまだだな。だがそれでいい。どうせいつか大きくなって巣立ってしまうのだから、今はまだ甘えていろ。
「あぁやっぱり芽生くんには難しいかな。困っていますね」
「俺が手伝ってくるよ」
正直乳搾りなんてやったことないが、ここは父親としていい顔を見せたい。
「宗吾さん、僕がやりましょうか」
瑞樹が心配そうに声を掛けてくるが、クールに遠慮した。
「いや、俺に任せておけ!」
ところがだなぁ……さっきの説明の通り見よう見まねでやってみるが、これが結構難しい。乳牛の乳は細くて長くて心許ない。そこを掴むのだが、なんともいえない感触にドキリとする。
「意外と難しいな」
それに手でわっかを作って乳を絞り出すのって、何かを思い出す。この動作は……
「あっそうか!」
逆にアレの動作を思い出せば、上手く搾り取れるのでは?
俺がどんどん残念モードに入っていく不穏な空気を感じたのか、瑞樹が慌てた口調で俺の背中を叩いて急かす。
「そっ宗吾さん、今は集中してくださいよ! もうっ早く絞って下さい」
「おっおう! 分かった。集中しろってことだな。これは牛のおっぱいであって、決して……」
「ぼ……僕ではありません!!!」
俺の妄想はどうしてこう筒抜けなのか。
瑞樹がもう溜まらないといった口調で苦し気に呻いてしまった。
その言葉に皆一同 「へっ何言ってんの?」 と一斉に振り返ったので、瑞樹は心の声が外に漏れ出てしまったのに仰天して、顔を隠すようにその場に蹲ってしまった。
「恥ずかしい……僕は……もう、うっう……消えたいです」
意味が分からない芽生が首を傾げたが、俺がまた余計なこと言ったせいだと悟り、瑞樹をいい子いい子している。
母はあきれ顔だ。って、今のどこまで理解しているんだか。してたら怖い……!
「おにいちゃん、ごめんねぇ……パパがまたヘンなこと言ったんだね」
「宗吾はもうっ……あなた……こんな子だったかしら」
母と芽生の冷ややかな視線が、グサグサと突き刺さる。
一方、絵に描いたような純朴牧場の青年キノシタは、意味がよく分からないようで、全く気にしていない様子だ。
「もう見てらんないなぁ」
俺の隣にピタっとくっついて座り込み、俺の手に手を添えて、レクチャーしてくれた。
うわわっ手も毛深いぞー!
「宗吾さん、いいですか。こうやるんですよ。さぁ俺の手通りに動かしてくださいね」
おいおい……しかも鼻息も荒くてゾワゾワするな。
き……気にしない気にしない。キノシタの手に合わせて、牛の乳を揉みこんでいると、先端から乳が出て来た。
「おっ! やっとコツを掴んだぞ! おお~ちゃんと搾れている。ミルクがたっぷり出てくるぞ! 」
「そうですね……本当にうまい手さばきですよ。宗吾さんは」
「わ……本当だ……」
何とか気を取り直した瑞樹がヒョイと覗き込んできた。
グイグイと俺の傍に寄って来る。
へぇ、さりげなくキノシタと俺との間に割り込もうとしているのか。
可愛いな、おいっ!
乳搾りの後は、新鮮な牛乳をたっぷりと飲ませてもらった。
瑞樹とふたりで丸太のベンチに座りながら、牧歌的な草原を眺めていると、どこまでも長閑な気分になってくる。
「なぁ瑞樹は、乳搾りやったことあるのか」
「それはもちろんありますよ。僕は正真正銘、大沼生まれの大沼育ちですから」
「へぇ……じゃあ絞るのはかなり上手いんだな」
「それはまぁ普通には出来ますが……なんで? アッ……もうっハハっ」
もう引っかからないと言った顔つきで、瑞樹が苦笑した。
底抜けに明るい笑顔で!
俺達、明るくなったよな。
特に瑞樹、お前は……泣いてばかりの切なかったあの日々が、嘘のように吹っ切れたな。
「宗吾さん……やっぱりここはいいですね。北の大地はしっくりきます」
「あぁ冬は傷を治すので精一杯だったが春は違うな。花が咲くように君にも新しい面がどんどん芽吹いて咲いていくようだ」
「……宗吾さんはカッコいいです。さっきとは別人で……」
拗ねたように言うのだから、可愛いものだ。
「なぁここだけの話、さっき俺とキノシタの仲に妬いただろう?」
「……うっ、あいつスキンシップ多すぎでです……僕の宗吾さんなのに、あっ」
「うれしいよ。瑞樹からの独占欲を感じられて」
「それは、僕だってありますよ……男ですから」
そう言いながら遥か彼方の青空を見つめる彼の瞳は、どこまでも澄んでいた。
そうだ、瑞樹も俺も男同士なのは事実だ。
その事でこの先、君と歩む人生は幸せなことばかりではないかもしれない。
でもいつだって原点はここだ。
今日こうやってすっきりした気持ちで見上げた青空を思い出せば、きっと道を間違えずに進んでいけるだろう。
「あっ……桜の花びらですね」
瑞樹が手を風に委ねるように伸ばすと、彼の細い指先に桜の花弁が舞い降りて来た。
大沼湖畔に咲く桜が風に乗って、ここまでやってくるのか。
風が見えるな。
いや……風は目に見えないが、こうやってちゃんと存在することが分かる。
俺と瑞樹の愛も目には見えないが、この世にちゃんと存在している。
大地に根付いた愛を育てていこう!
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