317 / 1651

花束を抱いて 4

  今日、5月2日は僕の27歳の誕生日。  明け方ベッドで宗吾さんにリクエストし、『普段通りの当たり前の1日』を贈ってもらうことにした。  というわけで、朝食に宗吾さんが焼いてくれた端がカリカリの卵焼きを食べ、午前中は皆で掃除することになった。 「おにいちゃんが来てくれてから、お家がキレイになったんだ」 「本当? 前は……確かに、少し汚かったね」 「うん、一番きたなかったのはパパのお部屋だよね。パンツがごろごろ転がっていたもんね」 「そうそう! あれは酷かったよね。あっでもメイくん、またお片付けしなかったね」 「わーん、ごめんなさい」 「いいよ。さぁここに入れて」  芽生くんと笑いながら、部屋の床面に広げたままだったプラスチックのレールを透明の衣装ケースの中に戻した。 「あーでも、もったいないなぁ」 「そうかな? また作ればいいんだよ」 「そうなの? パパはまた作るのは面倒だから、レールは動かしちゃダメっていつも言っていたのに、ちがうの?」 「そうか、でもね、何度でもレールは作り直せるよ。次はもっと面白いコースになるかもしれないし」 「うん! 分かったーこれからちゃんとやるね」 「よし、えらいね」  レールか。  そういえば『人生のレール』という言葉に、以前の僕は囚われていた。  一馬に捨てられた時、アイツの人生のレールから僕だけが降ろされたと落ち込んだのが、今は懐かしい。  敷かれたレールに囚われていたのは僕の方だったのかもしれない。  僕自身が10歳で両親を亡くし、新しい家に引き取られたことにより……『世間の目』を必要以上に気にするようになった。  『普通の幸せはこれで、これを持っていないと不幸だ』  そんな価値観を、自分で勝手に作り上げてしまった。  だから何も無い所に、レールを敷くのに臆病になっていた。  でも本当は……そこにこそ新しい希望があったのだ。  一度レールから外れても、違う道がある。  目的地までの道にいろんな道があるように、ルートは一つじゃない。  寄り道しても回り道しても、駅に辿り着くのと一緒だ。  幸せへの道筋は一つしかないわけじゃない。  そのことを宗吾さんに教えてもらっている。  もしかしたら、宗吾さんも僕も……道で迷っていた者同士なのかもしれない。  あの時はお互いに彷徨っていた。  思い描いていたレールが突然切断され、行き場を失い、目的地がどこか見えなくなって……  一番大事なのは、本当に僕が手に入れたい、大事にしたいものに向かって、僕自身がレールを敷くことだったんだな。  そんなことを考えながら過ごしてきたせいか、最近の僕は少し貪欲だ。  僕がしたいことをちゃんと口にでき、行動できるようになってきた。  宗吾さんに『今日は恵比寿に出かけて、デパートで僕のプレゼントを選び、そのままホテルでフルコースディナーをしよう』と最初言われたが、それはまたいつかの楽しみにさせてもらった。  今はまだ幼い芽生くんと、こんな風に……家でのんびりするのが快適だ。  そして何より僕自身が、日常の……のどかな時間を熱望していた。  物思いに耽っていると、芽生くんは子供部屋の本棚の前にしゃがみ込み、集中して絵本を読んでいた。  笑窪のあるふっくらとした幼い手で、たどたどしく本のページをめくる仕草が可愛い。 「何、読んでいるの?」 「あ……おにいちゃん、この絵本のここがねぇ、メイ、ダイスキなんだ。何度も読んじゃう」 「そういうのわかるよ。ふぅん……お気に入りなんだね。どれ? 見せて」 「うん! ほらみてー コレおいしそうでしょう」  芽生くんが指さすのは動物たちが森で大きなケーキをフライパンで焼いているシーンだった。ケーキは、こんがりキツネ色でなんとも美味しそうだ。 「あっ……これ、僕も読んだことあるよ」  昔から定番の絵本で、大沼の子供部屋にもあったな。  懐かしいし、楽しい思い出があったような……  そこからふっと記憶が蘇ってきた。 「そうだ! このケーキ、僕は食べたことあるよ」 「えぇ? 本当につくれるの?」 「うん。僕のお母さんが作ってくれて」 「いいなぁ。メイも食べたいな」 「あ、もしかして」  慌てて大沼でセイに渡された母のレシピノートを取りに行き、中を探すと、やっぱりあった! 『絵本の中の夢のケーキ』と題して、しかもその横に『ミズキのお誕生日に作ったら喜んでいたから、リピート決定!』と書かれていた。  明るくて優しかった母らしい一言だ。 「これ作ってみようか」 「本当に? じゃあおにいちゃんのお誕生日ケーキはこれだね」 「うん!」  材料は小麦粉、卵、砂糖、牛乳と書いていある。これなら特別のものは必要ないな。家にあるシンプルなもので出来るのも、うれしかった。  宗吾さんに話すと「ケーキくらい近くの店でホールケーキをと思ったのにいいのか」と驚かれたが、これを食べたいとお願いした。みんなで作りたいとも。  こんな風に、僕はこの家に溶け込んでいく。  これでいい。    これが僕が敷いたレールだ。  ゆっくり走って行こう。    僕たち3人で……  今日はシンプルに優しい1日を過ごそう!    

ともだちにシェアしよう!