僕の足取りは軽かった。 　早く芽生くんに美味しいケーキを買って、家に戻ろう！ 「あ、ここだ」 　～　洋菓子店　向日葵　～ 　白い壁にイエローとホワイトのボーダーの看板の可愛い店だった。狭い店内には早い時間からお客さんがひっきりなしに出入りしていた。 　こんな場所に美味しそうなケーキショップがあるなんて、気が付かなかったな。 　人波に押されながら店内に入り、ショーウインドーを覗くと、季節のフルーツをたっぷり使った美味しそうなデコレーションケーキが並んでいて、目移りしてしまった。 　どれも美味しそうだ。 　 　芽生くんはどんなケーキが好きだろう？ 　事前に好みを聞いてくればよかったな。 　どんどん売れてしまうので、迷っている暇はないのに、なかなか決められない。 　実は……僕はホールケーキを自分で購入したことがない。函館の家はいつも忙しくて、優雅にホールケーキでお祝いなんてしたことなかったから。 　そもそも3人でホールケーキなんて買っても食べきれない？　いっそカット―ケーキの方がいいのかな。それとも子供の日だから、こいのぼりのカタチのケーキがいいのかな。 　延々と迷っていると、後ろから声を掛けられた。 「あの……迷っているのなら、先にいいですか」 「あっすみません。どうぞ」 　お互いの視線がぶつかって驚いた。 　その女性は……宗吾さんの奥さんだった人……玲子さんだった。 　何となく気まずくて顔を慌てて背けたが、すぐに気が付かれてしまった。 「あら、やだ、あなた……瑞樹クンじゃない」 「……はい、ご無沙汰しています」 「久しぶりね。ちょっと待っていて。買い物済ましちゃうから」 「あ……はい」 　このタイミングで……予期せぬ再会に、頭の中が真っ白になってしまった。 　僕はあの秋以降……つまり玲子さんのネイルショップの花を活けてからは一度も会っていなかった。 　だから困惑してしまう。 　 　そもそも彼女は、宗吾さんと僕が4月から同棲を始めた事を知っているのか。そこをきちんと確かめていないので、迂闊な事は言えない。 　店の壁際で待つ僕の表情は、固まっていたに違いない。 　玲子さんはショーケースから丸いショートケーキを注文し、プレートに名前を書いてもらっていた。 「プレートにお名前はいかがいたしましょうか」 「メイと書いて。えっと……漢字で、芽が出るの『メ』と生きるの『イ』でお願いします」 「畏まりました。キャンドルは何本ですか」 「6本よ」 　聞こえてくるやり取り。 　もう分かった……あのケーキは芽生くんへのものだ。 「瑞樹クン、お待たせ～」 　綺麗にリボンをかけてもらったケーキの手提げを持って、玲子さんが僕の元に近づいてきた。 「あっ……はい」 「元気だった？　宗吾さんとはあれからも上手くやっているの？」 「……はい」 「よかったわ。ふふっ遠慮することないわ。あの時は悪かったわね。あ……もしかして、私にまだ怒っている？」 「まさか！　そんな事はありません」 「ならよかったわ。今日は何でこんな所に？　あぁそういえばあの人があなたとはバス停で出逢ったと言っていたものね。本当に近くに住んでいるのね」 　やっぱり一緒に住んでいるのを知らないようだ。 　僕の口から言いだすことではないので同棲していることは黙って置こう。 「知っているかしら。今日は芽生の誕生日なのよ。で、大好きな苺のショートケーキをホールで買ったのよ。あの子はまあるいケーキと苺が大好物よ。まぁその……誕生日位は、母親らしいことさせてもらおうと思って、今からちょっと行ってくるわね」 「……」 「あっ……よかったら、あなたも一緒に来る？」 　 　僕はどんな表情を浮かべていただろうか。 　昨日は自分から、ちゃんと芽生くんはお母さんと会った方がいいと宗吾さんに偉そうに助言したくせに、いざ現実となると、このざまなのか。 「すみません。今日はこれから仕事なので」 　瑞樹、お前は馬鹿だ！ 　嘘だ！　そんな予定ない癖に。 　僕だって芽生くんへのお誕生日ケーキを買うつもりだったのに。 　迷って時間がかかったから、こんなことに？ 　いや……最初から今日はこうなる運命だったのか。 「そうなの？　残念だわ。あなたともゆっくり話したかったのに」 「ありがとうございます。またの機会に……あの、時間がないのでこれで」 「あぁごめんなさいね。仕事前に引き留めて」 「いえ、芽生くんきっと喜ぶと思います」 「そう？　あなたにそう言ってもらうと嬉しいわ。芽生……大きくなったでしょうね。ずっと会えなくて……だから楽しみよ」 　折しも今日は『子供の日』 『子供の人格を重んじて幸福を願い、母に感謝する日』 　玲子さんは芽生くんの産みの親だ。 　玲子さんがいなかったらこの世に芽生くんはいない。 　だから感謝しないと。 　なのにどうして……こんなに寂しいのか、胸が苦しいのか。 「あの、僕とここで会ったことは内緒にしておいてください」 「そうなの？　……分かったわ」 　玲子さんは芽生くんの好みを知っていた。 　それも堪えた。 　僕は迷って決められなかったのに…… 　気が付くと家に電話をかけていた。 「もしもし……宗吾さん」 「どうした？　道に迷ったのか」 「あの、ちょっと仕事でトラブルがありまして、今からこのまま会社に行ってきます」 「え？　大丈夫なのか」 「なんとか……その、ケーキと食事の件……すみません」 「それはいいが。おい、どうした？　そんなに重大なトラブルなのか」 「すみません。急がないといけなくて」 「瑞樹？　あとで連絡くれよ。迎えにいくよ」 「……はい」 　最低だ、嘘をつくなんて── 　でも考えが整理できなくて、そうこうしているうちに玲子さんが着いてしまうだろう。 　今日は……僕抜きで……楽しんで欲しい。 　芽生くんも、久しぶりにお母さんに会えて嬉しいはずだから。 　 あとがき　（不要な方はスルーで） ＊＊＊＊ 今回は切ない展開ですが、ふたりの絆が深まる話を書きたいので、ちゃんとハッピーエンドになります。どうか見守ってください。よろしくお願いします。