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花の行先 7

「宗吾さん、気を付けて。いってらっしゃい」 「あぁ……いってくるよ」  こんな風に挨拶を交わすと、離婚前の日常を思い出してしまうわね。  でもその光景は私の中でも宗吾さんの中でも、もう思い出の一つになっていることを、お互いに確信した。  私の前では冷静を装っていたけれども、きっとマンションを出た途端に瑞樹クンに会いたい気持ちが爆発して、一気に走り出したに違いないわ。  思春期の青年みたいに興奮した面持ちよ。あの人、きっと。 「ママ。もう少しここにいてね」 「うん、瑞樹クンに挨拶するまではいるわね」 「よかったーねぇねぇこっち来て。ママのおかお、おえかきしたいの」 「そうなの? じゃあちょっと待ってね。お電話してからでいい?」 「わかった。あとでボクのおへやにきてね」 「うん」  私は帰り支度を整え、芽生に聞こえないように、こっそりと電話をした。 「あっもしもし……経くん」 「玲ちゃん、今日は大丈夫だった?」 「うん、楽しい時間だったわ」 「そっか~ムスコくん喜んでくれたんだね。よかったね。ねぇもう帰ってくる?」 「うん、あと30分もしたらここを出るわ」 「あっじゃあ今日はもう店を閉めるから、車で迎えにいくよ」 「そう? 悪いわね」 「身重な玲ちゃんに無理はさせられないよ」 「ふふ、ありがとう」 「玲ちゃんのこと愛してるよ! 早く会いたい!」  昨年末に再婚した経くんは……宗吾さんとは真逆の、まだまだ頼りない若いダンナさんだけど、なんだか擽ったく可愛いのよね。 「芽生、お待たせ」    芽生は、子供部屋で先にお絵描きを始めていた。 「何を描いてるの?」 「ママと……」  芽生が言葉を詰まらせ……私の顔色を窺った。   「うん? 何でも言ってちょうだい。ママ怒らないわよ」 「あのね……こっちに、おにいちゃんをかいてもいい?」 「まぁ……モチロン、いいわよね」  真っ白な画用紙には真ん中に線が引いてあった。右側には私の顔を描き始めていて……じゃあ左には、この後瑞樹クンを描くのね。  瑞樹クンは芽生の心をしっかり捉えているのね。  もう大丈夫ね、芽生…… 「ママ……メイね、ママもおにいちゃんもどっちもダイスキ。だからママがおにいちゃんとなかよくしてくれるの、うれしい」 「うん、うん……大丈夫よ。心配しないで」  芽生は安心したのか、笑顔を浮かべて、また絵を描きだした。 「芽生は絵を描くの好きになったのね。前はそうでもなかったのに、とても上手になったのね 「うん、おにいちゃんもよくお花の絵を描いているよ。それを見ているとボクもかきたくなって。それにボクもキレイなものがすきなんだ、ほら、ママもキレイでしょう」  芽生が描いてくれた私は真っ白な画用紙の中で、優しく微笑んでいた。それが嬉しくて……あの時、幼い芽生を捨てるように置いていったことを猛反省し、涙が零れてしまった。 「芽生……芽生っ、ごめんね。ママのこと怒ってないの? どうしてあなたはそんなにやさしいの?」 「ママ、どうして泣くの? ママも今、しあわせなんでしょう」  こんな小さな子供でも気遣いが出来るのに、当時の私はなんて自分勝手だったのかしら。 「泣かないでママ、ボクのママなんだから、わらっていて」 「メイといつも一緒にいれないのに、いいの?」 「ママは生きているもん! それだけでもすごいことなんだって、きづいたんだ」 「ありがとう」 「それにパパとおにいちゃんといっしょにいると、とっても楽しいんだよ」 ****  宗吾さんに一つだけ尋ねさせてもらった。  玲子さんがいる家に、どんな顔をして帰ればいいのか分からなくて、助けて欲しかった。 「あの、玲子さんは……まだ家にいるんですよね?」 「あぁ悪いな。あいつ、瑞樹に挨拶してから帰ると」 「……そうなんですね。宗吾さん……あの、今日は嘘ついてすみません」 「いや、嘘をつかせたのは俺の不甲斐なさからだ」 「そんなことないです。宗吾さんは少しも悪くないです。僕の方から今日は身を引くべきだったのに……」 「おいっ瑞樹は、まだそんなことを言うのか!」  宗吾さんが真顔になってしまった。  怒られる? っと身構えると、また深く抱きしめられてしまった。  いくら街灯の届かない暗闇とはいえ、外でこれはまずいと思うのに、なかなか離してくれない。 「そっ宗吾さん、もう」 「本当に困った人だな。瑞樹は……でも本当にごめん。どうしてもこれだけはここで今、言っておきたい」 「……はい」 「瑞樹はどこにも行くな! いや、絶対に行かさない」  力を込めて宗吾さんが告げてくれる独占欲の籠った言葉は、僕の自信に繋がった。 「はい……」 「約束だぞ」 「分かりました。あの、玲子さんはちゃんと僕をケーキ屋で誘ってくれました。『一緒に来る?』と。なのに僕が素直になれなくて、嘘を……」 「もう……いいんだ! 瑞樹、全部俺が悪い。あいつに先に言っておくべきだった。瑞樹と同棲を始めた事実をきちんとな」  宗吾さんも必死だ。  もう、そんな顔しないで……僕が悲しくなるから。 「大丈夫です。なんだか沢山力になる言葉をいただいて元気が出てきました」 「夜、この埋め合わせをさせてくれ」 「クスっ、もうっそれは……意味が違いますよ」 「うう……駄目か。今猛烈に君を抱きたいのを必死に我慢しているのに」  それは僕も同じだ。  今猛烈に……あなたに触れてもらいたい。    僕を深く抱いて、あなたで繋ぎとめて……安心させて欲しい。 「駄目じゃないです。僕も……同じ気持ちです」 「よしっ、約束だぞ」 「ふふっ」 「さぁ帰ろう。芽生が待ってる」 「はい!」  宗吾さんと一緒に家に帰る。  肩を並べて同じ歩調で歩いてくれる。  今の僕はひとりではない。  宗吾さんがすぐ傍にいてくれる。  そのことが嬉しくて……力強かった。      

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