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花の行先 8

 「瑞樹、どうした ? 立ち止まって」    マンションの玄関前に立つと、足が竦んでしまった。  部屋には玲子さんと芽生くんがいて、母と子の時間を過ごしていると思うと、やはりお邪魔ではないかと思ってしまう。  弱いのはいつだって、僕の心。 「はっ、はい。今、開けますね」  鍵を取り出すが、手が少し震えてしまう。それを見かねた宗吾さんが手伝ってくれた。 「ここは君の家だ。堂々として」 「ですが」 「今の俺のパートナーは君だよ。瑞樹……もう、君だけだ」  宗吾さんが耳元で甘く囁いて励ましてくれ、僕の手に温かい手を重ねてくれたので、その勢いでドアを開いた。 「……ただいま」  『ただいま』と言えた。ちゃんと声を出せた。  するとすぐに、廊下をパタパタと走る可愛い足音が聞えた。 「パパ、おにいちゃん~おかえりなさい!」  芽衣くんがふわっと足元に抱きついてくれたので、一気に強張っていた肩の力が抜けた。よかった……芽生くんは何も変わっていない。変わらず僕に懐いてくれたことに安堵した。 「ただいま。今日はごめんね」 「ううん、ちゃんと帰ってきてくれると、おもったもん!」 子供の素直な言葉は、魔法の言葉。 「おにーちゃん」  芽生くんが僕を見上げて両手を広げてくれたので、そのまま抱き上げてやった。 「わっ少し重くなったかな」 「えーそうかな。いっぱい食べたからかな」 「おいしかった?」 「うん、でもおにいちゃんもいっしょだったら、もっとよかった」 「ごめんね」 「ケーキはのこしてあるよ」 「ありがとう!」  宗吾さんに似た緑がかった黒髪に、大きくクリクリと溌溂とした瞳。  僕の大好きな天真爛漫な芽生くんを抱っこすると、元気をもらえた。 「ほらほら、いつまで玄関にいるんだ。中に入るぞ」 「はーい、パパ」 「……芽生、玲子は?」 「おへやで待ってるよ」 「そうか」 「おにいちゃん、このままつれて行って~」 「瑞樹、悪いな。芽生、最近重くなったろう?」 「大丈夫ですよ。僕は仕事で結構重い花器を持ったりもしますから」 「心配だな。瑞樹がムキムキになったら困るなぁ。ほっそりが好みだよ」 「ちょっ……」  宗吾さんも通常運転……いつも通りだ。  今日1日、僕ばかり考え過ぎて遠慮して、なんだか空回りしていたのかもしれない。  リビングに入ると、玲子さんが遠慮がちに近寄ってきた。 「……瑞樹クン、さっきはどうも」 「あっすみません。僕は」 「ううん、宗吾さんが悪い。同棲を始めているの知っていたら、ちゃんと連絡してから来たわ。って……全部言い訳ね。でもありがとう。今日は母親として有意義な時間過ごさせてもらったわ」  玲子さんとは、最初の出会い……二度目の出会いと、突然頬を叩かれたり、コーヒーを被ったりと、散々で、かなり衝撃的だったが、秋のアレンジメント騒動以来、僕に一目置いてくれるようになっていた。  そのスタンスは今も変わっていないようで、ホッとした。    そして『母と子の時間』と言ってもらえて、秘かにホッとしている自分に気づいてしまった。  芽生くんの母親としての玲子さんは、違和感なく受け入れられるのに、宗吾さんの元妻としての玲子さんに嫉妬していたんだなぁと、己の矮小な考えに辟易してしまう。 「瑞樹くん、心配したでしょう。宗吾さんとはね、もう本当に何ともないのよ。だってこの人私が知っている宗吾さんじゃないもの。誰?って思う程、変わっちゃって」 「おいおい、玲子ずいぶんだな」 「これは褒めてるの。瑞樹クンに変えてもらったんだから、宗吾さんがすっかり瑞樹クン仕様になってるのよ。だからもっと自信もって。って散々かき回した私が言う事じゃないけど」  僕仕様の宗吾さんか…… 「玲子もいい事言うようになったなぁ……」 「そう言う所も別人のよう。もう勝手に惚気てなさい!」   こんなメンバーだし、こんな状況なのに、最後はなんだか団欒していて、それが嬉しかった。もちろんトドメは芽生くんの一言だ。 「えーおにいちゃんがパパみたいになったらいやだよ」 「えっどうして?」 「だって、パパみたいにお鼻の下がびよーんってなったらイヤだなぁ。キレイでかわいいのが残念になっちゃうもん!」 「……宗吾さん、あなたって人は」 「おっおい! いやそれは全部、瑞樹が……可愛いからだ!」  玲子さんの冷ややかな目。  僕の呆れた目。 「宗吾さん……子供の教育にだけは、くれぐれも気を付けてね」 「はぁ……宗吾さんはもうっ」 「俺……大丈夫かな」  宗吾さんが自信なさげに項垂れるから、みんなで不安になってしまった。  沈黙していると、玲子さんのスマホが鳴った。 「あっお迎えが来たわ。私はもう帰るわね」 「あぁ」 「芽生、元気でね。ママに会いたくなったらいつでも会えるからね」 「うん! ママ、ありがとう」 「玲子……元気でな」 「あなたもお幸せに」 「……瑞樹クンもね」  最後に玲子さんが僕に右手をすっと差し出した。  握手かな?  僕も手を出すと、突然ひっこめられた。  えっ…… 「うーん、やっぱり……あなたとは握手じゃなくて、こっちがいいかな」  玲子さんは手のひらを僕に向け、顔の高さにあげた。 「瑞樹クンも!」 「あっ」  僕と玲子さんはハイタッチを、つまり互いの手のひらを顔の高で叩きあう動作をした。 「これであなたに引き継いだわよ! バトンタッチよ」  感激した。宗吾さんの前の奥さんから直接、言葉で任せてもらえて、気が引き締まった。 「僕が引き継いでも……? 本当に」 「えっと、あなただから……かな。他の人だったら分からない。これは瑞樹クンの人柄よ。人徳ね!」    こんな嬉しい言葉に、僕は何を返せるだろう。  その時になって、手に握っていたスズランのブーケの存在に気が付いた。 「ありがとうございます。僕が引き継がせていただきます。僕からは……これを玲子さんに」 「まぁスズランのブーケ! すごく綺麗ね」 「玲子さんの……これからの幸せを祈っています」 「うん、ありがとう! やっぱり、あなたらしい贈り物ね」  僕は芽生くんを抱っこし、宗吾さんと一緒にベランダから帰っていく玲子さんを見送った。  彼女の新しいダンナさんは僕よりもずっと若い人のようだが、もう玲子さんにベタ惚れのようで、玲子さんが鬱陶しがる程、懐いていて笑ってしまった。 「おやすみなさい~みんな元気でね!」 「ママ― バイバイ!」  芽生くんの明るい声に、僕と宗吾さんは顔を見合わせて微笑みあった。  

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