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紫陽花の咲く道 22

「瑞樹くん」 「洋くん」 「そろそろ、やりましょうか」 「えぇ、やっつけてしまおう!」 「ははっ、そうだね!」 「くすっ」  お互いに顔を見合わせて、コクンっと頷いた。  今から僕たちは……僕たちを抱く相手を襲う。  といっても、そんな物騒なものではなくて可愛いものだ。  僕たちからキスマークをつけてしまおうという企みだ。  僕と洋くんも必要以上のお酒を飲み酔っていたので、準備万端だ。  今なら出来る!  そんな自信に満ちていた。 「しかし丈がこんな風に酔い潰れるのは珍しいな」 「そうなの? 宗吾さんはいつものことだから驚かないけど。それにしても今日は完全に泥酔してるみたい」 「なら安心、安全だね」 「逆襲されたら困るからね」  ソファで折り重なるように眠りこけている二人の前に、僕たちは立ちはだかった。 「こんな風に見下ろすのって滅多にないから、何だか少し倒錯的な気分になってしまうね」 「なるなる!」  うわっ、洋くんがゾクッとする程美しい顔で微笑んでいる。   「確かに! でもキスマークを一気に沢山、上手につける方法って知っている? 僕は……その、初めてで」 「うーん、実は俺も……逆は殆どしたことがなくて」 「どうする? ネットで調べようか」 「いや、必要ないよ。いつもされることを、仕返せばいいのだから」 「そうだね。善は急げ……と言うしね(あれ?使い方合ってる?)」 「あぁ!」  照明を落とし……宗吾さんの躰を跨いで、風呂上がりに着ていたTシャツを捲ってみた。  逞しい筋肉、胸板が現れる。僕とは全然違う身体付きだ。  流さんが夕食の支度をしている間に、丈さんも宗吾さんも入浴を済ませていた。  肌に顔を近づけると、いい匂いがした。  あ……いつもと違うボディソープの香りだ。  深い森のような匂いに包まれ、同時に僕の躰からも同じ匂いが立ちこめた。  自然と僕は頭の中で、宗吾さんに抱かれ、キスシーンをつけられているシーンを思い出していた。  確かいつも宗吾さんがキスマーク付ける時って、口はこの位開いていたよな。それはたぶん吸引力を強く発揮出来るからなのだろう。  『う』を発音する程度に口を開き、宗吾さんの胸元に唇を密着させてみた。  宗吾さんの肌と僕の唇に隙間を作らず、ちゅうっと思いっきり吸引してみた。  なるほど、そうか……つまり真空状態を作り出すってことなんだな。  ん? 唇を離すが、何もついてない。 「洋くん、どう?」 「俺もダメだ。下手くそだね。俺たち」 「いや諦めないで。もう一度!」 「わかった!」  同じ箇所をもう一度キツク吸い上げた。  今度はどうだろう? 「あっついてる! 洋くんは?」 「俺も成功だ。成る程、こうやってしつこく吸うんだな。納得だ」 「しつこくか……(確かにいつもしつこい)もっとつける?」 「あぁ面白くなってきたしね」 「くすっ、朝になったら驚くかな」 「目のやり場に困る程つけてしまおう!」  僕たちの目は暗闇に怪しく光った。  まるで吸血鬼のように。  暗闇にちゅうちゅうと吸い付く音だけが聞こえていた。 「瑞樹くん、コツを掴んだよ。先に少し躰を舐めて濡らしておくと、吸引しやすくなるみたい」 「なるほど。だからいつも宗吾さんは僕のことベロベロ舐めてから始めるんだな」  もはや自分たちはとんでもない内容を発言しあっているのも、気にならなくなってきた。  どんどん大胆になっていく。  とにかく夢中で、彼の胸元から首筋にかけてキスマークをつけた。  つけまくった! 「宗吾さん、起きないな」  彼はいい夢を見ているのか突然ニヤリとしたので、ギョッとした。  びっくりした。起きたのかと思った。  もうっ……呑気な人だな! 「洋くん、なんだか疲れたね。逞しいから皮膚も固いし、結構な重労働だよ」 「確かに息切れしてきた……そろそろいいかな」 「あぁこれだけつけたら、俺たちの大変さが身に沁みるだろう。そうだね。おまけでここにもつけようか」 「うーん、そこは、どうしようかな」  ワイシャツの襟からはみ出る首筋にも付けてみようと思ったが、そこだけは理性が働き、出来なかった。  結局、僕らしいというかなんというか。  でも、宗吾さんが僕につける気持ちが分かった。  キスマークって、いろんな意味がある事が、身をもって理解できたよ。  絶対に『独占欲』の現れだ!  だって……僕、まるで宗吾さんにマーキングしているような気分に、途中からなってしまった。  これは僕の存在を刻んでいるのと、同じ行為だ。  キスマークの意義みたいなのを学んでしまった。   ****  その晩は洋くんのベッドを借りて、ふたりで眠った。 「瑞樹くん、なんだか嬉しいよ。ここに丈以外の人と寝るのは」 「そう言ってもらえると、ホッとするよ」 「何故?」 「いや……だって、なんだか悪いよ。ふたりの居場所に」 「ふっ瑞樹くんなら大歓迎だよ」 「洋くん……僕たち……似ているね」 「あぁ、似ている。だからずっと気になって」 「うん、ありがとう」  洋くんと僕は、自然に手と手を繋ぎ合った。  あぁ……やっぱり、しっくりくる。  こんな風に躰を触れ合うのは宗吾さんだけだと思っていたが、洋くんとは本当に心が通い合う。  触れた部分から、お互いの気持ちが巡りあっていくようだ。 「洋くん、さっきは楽しかったね」 「うん楽しかった。でも実は俺……だんだん自分に触れて欲しくなってしまったよ」 「あっ、それ分かるな」 「俺も男だから、キスマークをつけたら丈を征服した気持ちになると思ったが、少しだけ違った」 「うん、僕もだ」  本当に洋くんの考えることは、僕と似ていると思った。 「ちょっとキザな言い方になるけど、どんなに愛されているのかを理解できたよ」 「そうだね。僕も宗吾さんに、いつも駄目って言わないで、たまにはつけてもらおうかなとも……」 「くすっ、瑞樹くんは優しいね。芽生くんの手前なかなか難しいだろうけど、たまにはいいかもね」 「そうだね。たまには許してあげないと、何だか気の毒になってきた」  ふとソファの宗吾さんを確認すると、やっぱり幸せそうに口元を緩ませていた。  黙っていればカッコいいのに……と、愛おしく見つめてしまう。 「瑞樹くん、君はいいね。この先も芽生くんの成長をふたりで見守れて」 「え……」 「俺のところには子供はいないからさ。薙くんはもうだいぶ大きいし……そうだ今度……猫でも飼ってみようかな」 「いいね。この広い一軒家なら、それもありかも」  洋くん自身が猫みたいだけど…… 「瑞樹くんは猫、好き?」 「うーん、飼った事ないけど、可愛いだろうな」 「俺はね……あっそういえば昔、飼っていたんだよ。お母さんが可愛がっていた……シロって名前だったんだ。あの猫どうしたのか、全然覚えていないな」 「そうなの?」 「すっかり忘れていたのに、今、名前まで急に思い出したよ」 「そうか……」  悲しいことをきっかけに忘れてしまう事がある。  僕も本当に色んなことを忘れていた。  でも今が幸せだと、こんな風にふとした拍子に思い出せる事がある。 「なんだか……過去から記憶を帰してもらっているみたいだね」 「幸せという切符と引き換えに?」 「そう、そんな感じ……」  分かる。分かるよ。  捨てちゃいけない記憶まで捨てそうになっていたが、それは違う。  人間の持てる記憶は限られている。  それでも覚えておきたい愛情の記憶は、どんなに辛い事があっても自分を支えてくれる。  心の奥底で──心の根底で。 「少し眠くなってきたね」 「明日、二人の驚く顔を見たいから、そろそろ眠ろうか」 「うん、一緒に眠ろう。瑞樹くん」 「おやすみ、洋くん……ありがとう」

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