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箱庭の外 9

 今日は金ようび。  ようちえんのあと、おばあちゃんのお家に行くんだ。  パパは日ようびまで外国でお仕事でいないから、おにいちゃんがさみしそう。だから、いつもみたいにおばあちゃんのおうちにはお泊りしないよ。  バス停を降りると、いつも通りおばあちゃんが迎えに来てくれた。 「おばあちゃん!」 「芽生、おかえり。1週間、元気だった?」 「うん!」  手をつないで、ゆっくりゆっくり歩くよ。  ぼくのおばあちゃんは、少しコシが悪いんだって。 「あれ……おばあちゃん、今日は、すこし元気ないねぇ」 「そうねぇ……もう夏バテかしらね」 「そうなの? きをつけてね」 「ありがとう、芽生はいい子ね」  今日のおばあちゃんは少し疲れているから、ボクもいい子にお部屋でおえかきをしよう。  夕方になっても、おばあちゃん……ずっとぼんやりとテレビをみている。  あれ? でも、もう暗くなっているのに、おせんたく入れなくていいのかな。  おやつもなかったし、夜ごはんのしたくも、していないけど、だいじょうぶなのかな。 「おばあちゃん……どうしたの?」 「あぁ……ごめんね。おばあちゃん、今日は少し息が苦しいから、休憩させてね」 「だいじょうぶ? おいしゃさんにいく?」 「じっとしていれば……平気よ」  おばあちゃん……?  コンコン咳もしだして、とっても苦しそう。 「おばあちゃん!しっかりして!」  おばあちゃんの手にさわると冷たくなっていた。  汗も、いっぱいかいている。  なにか……変! どうしよう!  ボクはまだ小さいから、こんな時どうしたらいいのか、わからない。  誰か……大人の人をよばないと。 「おばあちゃん! おばあちゃん!」 「……大丈夫。大丈夫よ……」 「だいじょうぶじゃないよ」 「平気よ……」 「ど、どうしよう、どうしたらいいの? 」  オロオロしてしまうよ。    パパもいないし……おにいちゃんも。  すると、突然玄関のインターホンが鳴った。 「あっ!」  もうよるの7時だ。ということは、おにいちゃんだ!  「おにいちゃん、たすけて! ぼくのおばあちゃんをたすけてよ!」 ****  金曜日なので、芽生くんは幼稚園の後、宗吾さんのお母さんの家に直接行っている。  今日はどうしても時刻通りにお迎えに行きたかったので、スクールは休むことにした。だから仕事をきっかり終わらせて電車に飛び乗った。  宗吾さんのお母さんの家の前に、夜の7時、予定通りに到着出来たので、ホッとした。  きっと今頃、仲良く夕食を食べているだろうなと、明るい気持ちでインターホンを押すと、中から芽生くんの異様な叫び声がした。  えっ一体何がっ?  芽生くんは自分で玄関を開けて、僕の手をグイグイと中へ引っ張った。 「おにいちゃん、たいへんなの! おばあちゃんが変なの!」 「何だって?」  慌てて居間にあがると、宗吾さんのお母さんが絨毯の上に蹲っていた。  意識はある。だが、ぜーぜーと肩で苦しそうな息をしている。 「お母さん、大丈夫ですか!!しっかりして下さい」 「う……」  救急車だ!  咄嗟に判断し、すぐに電話をした。  電話口でいろいろ聞かれパニックになりそうだったが、今、お母さんを救えるのは僕しかいない! しっかりしろ、瑞樹! 「芽生くん、おばあちゃん、どんな感じだった?」 「おにちゃん……」 「ゆっくりでいいから、しっかり教えてくれる?」 「う、うん、あのねおばあちゃん、ずっとお咳してた。それから手足が冷たくなって……汗もいっぱいかいていて、息がくるしいって」 「よし、分かった」  芽生くんから伝え聞いた症状を手早く電話口で伝え、僕に出来る応急処置方法を教えてもらった。 「はい、意識はあります。ですが、呼吸が苦しそうでゼーゼーしています。はい!分かりました!やってみます」  仰向けに寝かせると呼吸困難が酷くなるので注意するように言われたので、上半身を起こした状態でソファに座らせた。  それから手を握って、話しかける。必死に励ます。 「お母さん、大丈夫ですよ。今、救急車を呼びましたから、安心して下さい」  自然に『お母さん』と呼んでいた。  だって……あなたは僕の3人目の母だから!    お母さんは胸を押さえながら、キッチンカウンターに置いてあるバックを震える手で指さした。 「あっ……分かりました。これを持っていけばいいのですね」  おそらく鞄の中には、保険証や緊急連絡先など大事なものが入っているのだろう。  やがて救急車のサイレンが鳴り響き、救急隊が到着し、僕と芽生くんは一緒に付き添って病院に向かった。  どうか無事で、大事になりませんように。  必死に祈るしかなかった。  処置中のランプの前で待っていると、看護師の人に聞かれた。 「あの、あなたは患者さまのご家族ですか」 「え……あ、この子はお孫さんです」 「じゃあ、あなたは? 息子さんではないのですか」  何とも答えようがなかった。正確には、否だから。 「……」 「えっと……ではどなたか患者さんの血縁者の方との連絡取れますか」 「あ、息子さんは今、海外出張中で……」  困ったな…… 「おにいちゃん、おばあちゃんはいつもかばんの中に大切なものいれていたよ」 「あっ、そうか」  急いで確かめさせてもらった。緊急時だ。  宗吾さんは次男で、5歳年上のお兄さんがいたはずだ。  僕は一度も会った事ないし話にも出てこないから、今まで気にしていなかったが。 「あ……この『滝沢憲吾《たきざわけんご》』という方が、芽生くんのおじさんかな?」 「うーん、ボク……よく、わからない」  手帳の一番最初のページ、宗吾さんの上に書いてある名前と携帯番号。きっと、この人がお兄さんだろう。 「あの、おそらく、この方がご長男だと思います」 「分かりました。こちらで連絡を取ってみますので、番号を控えさせていただけますか」 「はい、あの、容態は……」 「今、処置中です。早急な原因究明のために検査に入りたいので、親族の方にすぐにいらしていただきたいのです」 「……そうなんですね」 「あ、あなたが応急処置を?」 「はい」 「救急車を呼ばれたタイミングも早かったし、完璧でしたよ。お疲れ様でした」 「あっ、はい」  少しは僕も役に立ったのかな。  今の言葉に、少しだけ救われた。  でも、こんな時に限って宗吾さんが傍にいないなんて──心細いよ。  芽生くんが怯えた様子で、僕にしがみ付いて来る。 「おにいちゃん……おばあちゃん、しんじゃうの?」 「大丈夫だよ。大丈夫……」 「ほんとう?」 「芽生くんがすぐに僕を呼んでくれてよかったよ」 「うん……おばあちゃん、がんばって」  僕たちは手をつないで、祈った。  どうか助かりますように──  とにかく処置が終わるのを待って、状況を見極めないと……  僕は必死に耐えていた。  こんな風に……病院で怯えたことが、かつてあった。  救急車の音も集中治療室の前も……何もかも嫌な記憶だ。  でも、今の僕には……守るべき芽生くんがいる。  小さな芽生くんを、あの時の僕のように不安にさせたくない。  だから、自分を必死に奮い立たせた。 「おにいちゃんがいてくれてよかったよぉ……」  芽生くんがポロポロ泣き出すので、僕は優しく抱っこしてあげた。 「大丈夫だよ。おばあちゃん、きっと助かるからね。心配しないで、芽生くん」 「おにいちゃん、おにいちゃん……ぐすっ」  ギュッと抱っこして、僕の体温で温めてあげる。  冷房の効きすぎた待合室は、寒くて冷えるから。  きっと大丈夫──      

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