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箱庭の外 8
ニューヨークに出張にやってきて、もう4日目か。
瑞樹が傍にいないと寝つきが悪いし、目覚めも悪いぞ。
「うー、なんか頭……重たいな」
しっかりしろ宗吾、朝からこんな調子では駄目だろう。今日は重要な会議があるのに。
気持ちを入れ替えるために、今朝も宿泊先のホテル地下にあるフィットネスルームを利用することにした。
まぁその、瑞樹を抱けない日々なので、体力が有り余っているんだよなぁ。
はぁ……瑞樹が恋しい。
マシーンで運動していると、見知らぬ女性から突然声を掛けられた。
「あのぉ、おはようございます。ここで毎朝お会いしますね! 日本からのビジネスですか」
同年代の日本人女性……早朝からばっちりメイクしているな。ボディラインの出るウェアで、おいおい、まさか逆アプローチか。
「……おはようございます……そうですが」
「よかったら、一緒にトレーニングしませんか。一人だと張り合いがなくて」
「……」
「あなた、とてもカッコイイので……ぜひモーニングまでいかがですか」
昔の俺だったら「いいですね」と、ニヤニヤ答えていそうだよな。
「いえ、そう言う事は遠慮しているんですよ。すみません」
「まぁ? ご結婚されているからですか。出張中くらい羽を伸ばしてもいいのに」
「いえ、相手が大切ですので」
左手薬指の指輪を見せ、にっこり微笑むと、呆れ顔をされた。
ちょっとキザだったかなと思ったが、単に指輪を自慢したかっただけなのかも……全く俺も子供みたいだ。
瑞樹はすごいよ、俺をここまで変えちまったんだからさ。
あーやっぱり無性に君に会いたくなる。
控え目で謙虚で、清楚な彼を抱きしめたくなる。
「あっそ……ですか」
女性は肩を竦め、そそくさと去っていった。
どうとでも──
集中してマシーンで存分に汗を流した。
それから軽くシャワーを浴びて、次はプールで泳ぐことにした。
すると、また先ほどの女性と鉢合わせた。
「あら、また……」
「あぁどうも」
彼女も水着姿だ。以前の俺だったら、女性のふくよかな胸に釘付けだったろう。だが今は全く興味を持てない。逆に瑞樹のほっそりとした男の躰が恋しくなるよ。
そうだ! 帰国したら芽生と一緒にプールに行こう。夏だしな。あーでも彼の綺麗な躰を他人に見せるのは癪に障るぞ。たとえ屋内でもラッシュガード必須だと、脳内が忙しい。
なのに一方の女性は、俺の胸元に釘付けだ。
なんだなんだ?
随分熱心に見るんだな。
そりゃトレーニングで大胸筋をかなり鍛えているのは認めるが。
「まぁ……独占欲の強い奥様だこと」
「おっ、どうも!」
そうか……あれだ、あれ!
瑞樹のお守りが、ついに効力を発したぞ!
顔がにやけそうになって、ポーカーフェイスを貫くのが大変だ。
出張に出る朝、君がつけてくれたキスマーク。
可愛い事してくれて、ありがとうな。
瑞樹はどうだ?
俺のつけた痕、どうなってるか。
****
「ハクション!」
「葉山、大丈夫か。風邪?」
屋外で大型の装飾作業をしていると、派手なクシャミが飛び出したので、隣にいた菅野に心配そうに覗かれた。
「いや、急に悪寒がして」
「悪寒って大丈夫か。やっぱり風邪じゃないのか」
「いや、これはきっと……(宗吾さんが僕のことをヘンタイモードで考えているにちがいない)」
「なんだよ。ニヤついて」
「えっ!ニヤついてない!」
「あっ、危ないぞ!」
「わっ」
僕の後ろの脚立に置いてあった花のバケツが突然ひっくり返り、僕にザァァっと音と立てて降りかかってきた。
「うわ……びっしょりだ……」
胸元から足元まで、水浸しになってしまった。
今日は大がかりな作業でペンキを使うので、スーツを脱いでつなぎの作業服に着替えておいてよかったが。
「わぁぁぁーすみません! 葉山先輩ー!!」
「はぁ……これ、金森くんの仕業?」
「うわ。お気の毒すぎ。葉山、早く着替えて来いよ」
「うん、ごめん。更衣室に行ってくる」
「おーこれ仕上げておくわ」
「頼む」
「葉山先輩~本当にすみませんっ」
「……君は僕の代わりに菅野の補助をして」
「はいっ!」
やれやれ……水を絞りながら歩くと、皆に笑われてしまった。
「やだーミズキくん、それって、水も滴るいい男ってやつ?」
「葉山、なんだなんだ? 子供みたいにずぶ濡れだぞ」
僕のせいじゃないのになぁ……
とほほと思いながら、風邪ひいたら大変なので更衣室に走った。
ふぅ、こんなになるとは思っていなかったので、ハンドタオル、小さいのしか持っていない。
「まぁいいか」
就業時間中なので、更衣室にやってくる人はいないだろう。
思い切ってつなぎを全部脱ぎ、肌着も濡れていたので脱ぎ捨てて、パンツ一丁という広樹兄さんがよくやるスタイルになった。
あーこんな姿を会社の更衣室で晒したと宗吾さんが知ったら卒倒するだろうな。苦笑しながら、タオルで濡れた躰を丁寧に拭いた。
その時……太腿の内側に宗吾さんがつけてくれた痕を見つけた。
「アッ、こんな場所にもある……沢山つけてくれたんだな」
宗吾さん、ニューヨークで元気にやっているかな。
急に恋しくなってしまい、そっと太腿の際どい所につけられたキスマークを指で辿ってしまった。
その時、突然更衣室のドアがバーンっと派手に開いて、金森が飛び込んできた。
「葉山先輩! さっきはすみません! バスタオル借りてきました!!……って、えええぇぇー」
「わっ、馬鹿、入ってくんな!」
「す、すみません!!!」
金森は棒立ちになっていたが、僕の言葉にハッとして、白いバスタオルを残し外に飛び出した。
ま、まずい!
これ、み……見られてないよな。
男同士なのに、僕も意識し過ぎだったと反省した。
ううう……僕がつけてくれと強請ったのだから、今回ばかりは宗吾さんを恨めないし。
とにかく持ってきてくれたバスタオルで躰を慌てて拭き、スーツに素早く着替えた。
深呼吸だ! 深呼吸して──
更衣室を出ると、顔を赤くした金森が扉の前に茫然と立っていた。
「……葉山先輩、すみませんでした。その……突然開けてしまって」
「いや男同士だろ。何を気にしてる? バスタオルありがとうな。さぁ仕事に戻ろう」
「なんか、カッコいいっす。いや、猛烈に可愛かったっす」
「は?」
「更衣室での葉山先輩!」
「速攻で忘れてくれ!」
……なんとも脱力だ。
宗吾さんに怒られるヤツだ。これ……
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