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春風に背中を押されて 6

 園児は……名前を呼ばれると壇上に上がり、卒園証書を受け取って行く。  卒園生ひとりひとりに手渡ししてくれるは、嬉しいね。  それにしても、皆、ずいぶんしっかりしているね。きちんとお辞儀して、見ている方も、清々しい気分になってくるよ。  僕は写真でしか知らないが……年少の頃の芽生くんに想いを馳せてしまった。  今よりずっと背も低く、もっと幼かったよね。もちろん今だって、まだまだ小さな子供だが、この3年間で大きく成長したね。  親御さんは皆、同じ気持ちなのだろう。我が子の成長に感動し、ハンカチを目にあてて啜り泣いている。 「そろそろ、芽生の番だぞ」 「はい」  芽生くんの緊張した横顔が見える。 「滝沢芽生くん」 「はい!」  よし! 大きな声で、ハキハキとお返事が出来たね。  芽生くんは背筋をピンと伸ばして、壇上にあがった。  いよいよだね。僕たちも連動するように、背筋をすっと伸ばした。  芽生くんは、きちんとお辞儀して、園長先生から卒園証書を受け取れた。  芽生くん、やったね。成功したね。上手に受け取れたよ! 「うっ」  ちらりと横を見ると、宗吾さんが目を赤くしていた。僕が出会った頃は、芽生くんはもう年中さんだった。年少の時期に玲子さんと離婚し、計り知れない苦労があっただろう。男手で育てるのは、本当に大変だったと思う。 (宗吾さん、芽生くん、とても立派に受け取りましたね。宗吾さんも、3年間お疲れ様です)   今は式の最中なので、声を掛けることが出来ない。だから心の中で、そっと呟いた。 同時に……僕の幼稚園時代の記憶を辿ってみた。  5歳年下の夏樹はまだ赤ちゃんだったが、 お父さん、お母さん、夏樹の3人で参列してくれたのを覚えている。  式の途中で夏樹が泣いて、お母さんが外に出て行ってしまった時は不安だった。もうすぐ僕の番だよ。見て欲しいなぁ……と寂しくなった。  お母さんはすぐに夏樹を寝付かして戻ってきてくれて、目が合うと『大丈夫よ。がんばって』と言ってくれたので、ホッとした。  小学校の卒業式には、函館の母がちゃんと来てくれた。店が忙しいのに、やりくりしてくれたのが嬉しかった。母の顔を見た時、やはり安堵したのを覚えている。  母から校庭で一緒に写真を撮ろうと言われたのに、恥ずかしくて一歩引いてしまい、今となっては悪いことをした。  僕は一馬にだけではなく、函館の母にも申し訳ない生き方をしてしまった。これからは、もっと親孝行したい。 「瑞樹、いい式だったな」 「えぇ、感動しました」 「俺……思わず泣いちゃったよ」 「……はい」  知っています。宗吾さんは自分に正直な人だから、式で感動して泣いたのを隠さない。宗吾さんが頑張って育てられた勲章なのだから、それでいいと思う。  ****  卒園式の後は、園庭で記念撮影を撮った。幼稚園の先生は袴姿で、とても素敵だった。 「あー芽生くんのお兄ちゃんだ」  園児達が、僕を見て可愛く手を振ってくれるので、僕も恥ずかしかったが手をそっと振り返した。 「きゃー♡ カッコイイ‼」  え? 僕のこと? 「瑞樹はやっぱりモテモテだな。まるでアイドル並みだな」 「も……もう、それはよして下さい。他のお父さんより若いから……珍しいだけですよ」 「ふぅん? さっき山のようなファンレターをもらったのに?」 「こ、これは……その」  確かに卒園式の後、女の子たちに囲まれてお手紙を沢山もらってしまった。 「ははは、俺は可愛い恋人を持って幸せだよ」  宗吾さんが耳元で囁くので、照れ臭い。 「さぁバスが来ましたよ。次は謝恩会です」 「……瑞樹、悪いな」 「いえ、楽しんで来て下さい」 「お兄ちゃん、行ってくるね。パパ、行こう」  会場の関係で、謝恩会には一世帯につき園児とお母さん、もしくはお父さんのどちらかが参加するので、門の前で見送った。  幸せな笑顔が溢れる黄色いバスだった。 ****  さてと、久しぶりに一人の週末だ。 「どうしよう……せっかくの良い天気だし散歩でもしようかな」  あの日、ホテルで一馬を見送ったあと、ふらふらと歩いた道を辿りたくなった。  もうすぐ卒業旅行に行くせいなのか……こんな風に過去を辿ってみたくなるのは。  あの日は、あいつの幸せを見送ったのはいいが、僕はどうやって生きていけばいいのか分からなくなって、強烈な虚無感に襲われていた。  あてもなく川沿いの道を歩き、この公園に辿り着いたのだ。 「あぁ……懐かしいな」  休日の午後、親子連れの笑顔や歓声が溢れる公園で、僕は泣いた。  涙が風に乗って、芽生くんに届いたのかな。  もしも……芽生くんがあの時話し掛けてくれなかったら。  もしも……宗吾さんが駆けつけてくれなかったら。  今の僕は、ここにいなかった。  もう別れは懲り懲りだった。  別れが怖くて深入りできなかった一馬にふられて、もうきっと二度と恋も出来ないし、したくないと思っていたのに……まるで最初から決まっていた物語のワンシーンのように、シロツメクサの指輪が手元に届いたのだ。  シロツメクサの花言葉は『約束』だ。  今朝、芽生くんとした『約束』を思い出した。 『ずっとお兄ちゃんのことをタイセツにするよ』    それは、まるでプロポーズのような言葉だね。芽生くんは本当に可愛くて優しくて、いい子だ。  芽生くんがいてくれたから、僕はここまで宗吾さんに心を開くことが出来た。 君には何度も何度も背中を押してもらったよ。  芽生くんのパパと恋に落ちていくのを、いつも応援してくれてありがとう。  参ったな……もう絶対に手放せないよ。  僕は君たちが好き過ぎる。  こんなにも僕を満たしてくれる人は他にはいない。  芽生くん、卒園おめでとう。  これからもずっと一緒だよ!

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