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幸せな復讐 22

「パパ! パパ–! おはよう!」 「ん……もう朝なのか」 「うん、もうとっくに朝だよ」  眠い目を擦りながら時計を確認すると、まだ朝の6時だった。 「なんだ? ずいぶん早いな。普段は寝ぼすけなのに」 「だって、もったいないもん。ねぇねぇ起きて」  芽生が俺の上に乗り上げて、身体をゆさゆさと揺らす。子犬にじゃれつかれているような気分になってくる。 「分かった! 分かった。おい、苦しい」   やれやれ、俺には手荒だな。瑞樹にはしないのにと苦笑してしまった。  おっと、瑞樹は無事か。  昨夜は濃厚な一夜で、最後にふたりで温泉に浸かって清め合った。  お互いに、もやもやとしていたものを吐き出すような逢瀬だったな。 「瑞樹は?」 「お兄ちゃんは、まだ寝てるよ」 「そうか、起こさなかったのか。偉かったな」  布団の上に起き上がって胡座をかき、芽生を抱っこしてやった。  芽生のサラサラな黒髪は寝癖であちこち跳ねていて可愛い。  わしゃわしゃと撫でてやると、芽生も「あはは!」と明るく笑う。 「パパー、温泉ってすごいね」 「ん?」 「昨日、おやどの人に教えてもらったんだけど、お肌がつやつやになるんだって。お兄ちゃんを見て! ほっぺたも、おててもつやつやだよ~」 「お? おう、そうだな」  そこで、はたと思い出した。 俺、昨日、瑞樹の身体のキスマークを、沢山残してしまった。 「お兄ちゃん、いつもよりつやつやだよねぇ」 「そ、そうかぁ?」  まずい。これ以上じっと芽生が見たら、首筋のアレが見つかってしまう。また怪我したとか大騒ぎになる予感しかしない! 「そのだな。瑞樹は夜中に何度も温泉に入ったから、つやつやになったんだ」  本当は俺が抱いたからなんだが。いや、温泉効果もあるから嘘じゃない。   「えー! いいなぁ。ボクも入る!」  芽生が着ていたお祭りの半被を、突然脱ぎ出した。 「お兄ちゃんも起こして、また3人ではいろうよ!」 「え……えっと、そうだな。瑞樹は……まだ寝ているし……そうだ! パパと露天風呂に行くか」 「ろてんぶろ?」 「外が見えるぞ。屋根がないんだ」 「わー! おもしろそう!」 「よい、じゃあ支度しよう。バスタオルを持ってきてくれるか」 「はーい!」  この隙に、瑞樹に言っておかないと。  急いで寝顔を覗き込むと、耳朶が朱に染まっていた。どうやら途中から起きていたらしい。 「瑞樹……おい、起きてるか」 「は、はい」  細い首筋につけてしまった所有の証しを指の腹で優しく撫でてから、詫びた。 「ごめんな。ここにつけてしまった」 「い、いえ……僕も望みました」  確かに……瑞樹からも強請ってくれた。 『そうくん……つけて、つけてください』 『何を?』 『そうくんのしるし……を、たくさん……』  くぅぅぅ~ 可愛かったな。  っと、思いだし笑いをしている場合じゃないだろ! 「俺と芽生は外の温泉に行ってくるから、君はこの隙に着替えておいてくれ」 「は、はい……そうします」  **** 「パパー早く、早く!」 「おう! 待ってくれ」  しかし、子供はなんでこんなに朝から元気なのだ?  露天風呂は丘の上にあって、俺は芽生に手を引かれて上る始末だ。 「パパ。なんでそんなに疲れているの?」 「そ、そんなことない! パパは元気さ」  瑞樹を抱きまくって、流石の俺も疲労困憊とは死んでも言えない。ここは父親としての威厳を復活させねば。 「よーし、競争するか」 「うん! よーいドン!」  丘の上には、ログハウスのような温泉小屋があった。  まだ人は誰もいなかった。 「あれ? やっていないのかな」 「いや、6時からって書いてあるぞ。入ってみよう」  木戸を開けると、小さな脱衣場があり、10個ほどの脱衣かごが置いてあった。 「やっぱり誰もいないから、パパと芽生が一番乗りだな」 「うれしい!」  ふたりで豪快に浴衣を脱ぎ、誰もいないのでタオルも巻かず、ズカズカと中に入った。  露天風呂は、まさに森林浴だ。    朝のひんやりとした空気。岩作りの温泉から立ち上る白い蒸気。 「これは最高だな」 「パパ、入ってもいい?」 「ちょっと待て、湯の温度を確かめないと。うっ、熱!」  足を入れるととても熱くて、思わず引っ込めてしまった。 「これは芽生には厳しいな」 「えー? 入りたいよ」    一番風呂でまだ温度が高いようだ。こんな時は湯かき棒で掻き混ぜて……っと、どこに置いてある?  その時、ガラリと扉が開いて作務衣姿の男性が俯いて入ってきた。 「お客様、申し訳ありません。お湯の温度を調整に参りました」 「丁度よかったよ」    手に湯かき棒を持った男性は……顔を上げると、一瞬ビクッと固まった。  明らかに動揺しているな。視線は辺りを彷徨って、それから少しだけホッとした顔をして気を取り直したように、俺たちに向かって一礼した。 「お、おはようございます」 「あぁ……おはよう」  彼は瑞樹が付き合っていた、一馬という男性だ。  こんな場所で、鉢合わせするなんてな。  しかも俺と芽生、真っ裸だぞ!    そして瑞樹を連れて来なくてよかったと、心底思った。  人と人との縁は不思議だ。  こんなところで、巡り会うなんて。  彼は無言で湯を掻き混ぜ、自分の手で温度を慎重に確かめていた。  職人のような眼差しは、スッキリ澄んでいた。  九州のなだらかな山並みにも似た、大らかで温かみのある横顔だった。  うっすら浮かぶ汗。真剣な眼差し。清潔感のある短髪。  悪い奴ではないと、彼の人柄が伝わってくる。  これが瑞樹が、7年間も愛した男なのだ。  俺も、つい……じっと見つめてしまった。 「どうぞ、もう熱くないかと……」 「わぁ~、ありがとう!」  芽生が明るく微笑むと、場が一気に和んだ。  湯は打って変わって、とてもいい湯加減になっていた。  心からの『おもてなし』を受けていると感じ、急に心が素直になった。   「どういたしまして。朝食は7時からレストランになります。ご家族……皆さまのお越しを、お待ちしております」 「あぁ、ありがとう」 「あ、はい。あの……本当にありがとうございます……大丈夫でしょうか」  彼は、そのまま深々と俺に一礼した。 「あぁ、もう……(瑞樹は)大丈夫だ」 「良かったです。では後は……どうか……よろしくお願いします」  語尾が途中で小さくなりよく聞こえなかったが、(あいつを) と聞こえたような気がした。    

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