698 / 1738
その後の三人『家へ帰ろう』6
ドタバタと機内に入ると、他の乗客は皆シートベルトをして静かに座っていた。
本当に最後だったようで、ドバッと冷や汗が出たよ。
「瑞樹、ここだ」
三人掛けの席で、良かった。
宗吾さんがすぐに僕たちの荷物を、手際良く棚に上げてくれる。
「芽生くん、窓際に座る?」
「ううん、ボク、まんなかがいい」
「よし、じゃあ瑞樹が窓際に入れ」
「はい」
こういう時、迅速に的確に指示を出してくれるのも心地良い。
座席に座ってシートベルトを締めるとすぐに、飛行機がゆるやかに動き出した。
「わぁ、もう、うごいた」
「芽生くん、おそとが見えるかな?」
「ちゃんと見えるよ。お兄ちゃんもちゃんとバイバイして」
「あ……うん。そうだね」
一馬、ひつじのメイくんを見つけてくれてありがとうな。
おかげで芽生くんも安心出来て、最後まで気持ち良く過ごせたよ。
それにしても宗吾さんも一馬も、すっかりいいお父さんだね。
それぞれの機転と気遣いが、心地よかった。
仕事の関係で1泊しか出来なかったが、本当に良い旅だった。
飛行機が加速して一気にふわっと飛び立った時、僕も鳥になったような気分だった。
また羽ばたく!
今度は家《ホーム》へ戻り、家族で羽を休めよう。
シートベルトサインが消えると、静かにしていた芽生くんがモゾモゾし出した。
「芽生くん? おトイレに行こうか」
「う、うん!」
「ごめんね。本当は乗る直前に行こうと思っていのに」
「ううん、ひつじのメイくんのことで大変だったから」
「瑞樹、悪いが頼む。俺の身体では一緒に入るのは大変なんだ」
「くすっ、はい!」
そう言えば……北海道に二人で来てくれた時は珍道中だったようで、芽生くんは下着を濡らしてしまって大変だったな。
「お兄ちゃん、あのね……ひこうきのトイレってボク、ちょっとこわいんだ」
「分かる、扉が難しいよね?」
「そうなの! だからいっしょにはいってね」
「いいよ」
まだまだ幼い芽生くん。こんな風におトイレのお世話が出来るのも、限りあることだ。
だから今はこの一瞬一瞬を大切に。
席に戻ると、宗吾さんが腕組みしながらコクリコクリと眠っていた。うーん、寝かせてあげたいけれども、通路側の席なので……起こさないと通れないな。
「宗吾さん、すみません、通りますね」
「あ……あぁ、悪い。人間、ホッとすると眠くなるもんだな」
「お疲れ様です」
手首をギュッと掴まれたので、ドキッとしてしまった。
「瑞樹、ちゃんと一緒に帰ってくれてありがとうな」
「な、何を言って……当たり前です」
「ははっ、そうだよな。柄にもなく不安になったりと、いろいろ忙しい旅だったよ。でも最後に芽生のぬいぐるみを必死に探してくれたアイツ、かっこ良かったな」
「はい……いいお父さんですね。宗吾さんも二人とも」
「だな!」
次は機内サービスのドリンクを飲みながら、メイくんとおしゃべりタイムだ。
「お兄ちゃん、おやどのおフロ、とってもきもちよかったね」
「そうだね」
「ヒツジのメイくんは、いいな~ 今からおフロかな? ボクもまた入りたいな。あそこのお宿、みんなやさしくてダイスキ! また行きたいね」
また行く?
『幸せな復讐』をし終えたら二度と会わないと思っていた。
だからそんなことは、旅行前には夢にも思わなかったことだよ。
そうか……歩んでみないと分からないことばかりだね、人生は。
僕が勇気を出して踏み出した一歩の意味を知る。
****
「カズくん、お帰りなさい。見つかった?」
「あぁ、これだ」
泥水に浸かったヒツジを妻の前に見せると、驚かれた。
「わっ、見つかったのは良かったけれども、真っ黒で、しかも濡れていて痛々しいね」
「あぁ、水たまりに浸かってた」
「可哀想に……先にざっと洗っておくから、あとで一緒にお風呂に入ろうか」
「あぁ、そうしよう」
なんだか不思議な気分だな。
瑞樹はもう東京に帰ってしまい、今頃……もう夜空の向こうだ。
なのに、この羊が居残ってくれるなんてな。
その晩……仕事を終え、妻を風呂に誘った。
「一緒に入ろう」
「嬉しいお誘いね。羊くんも連れて行かないと。朝食の時に、あの坊やが大事に抱っこしていたわよね。名前、ついていそうね」
「……ひつじのメイだ」
「まぁ! カズくん、わざわざ聞いたの?」
「はは、延泊のお客様だからな」
「なるほど! じゃあメイくん、よろしくね」
湯船に浸かる前に、ひつじのメイくんを泡立てたスポンジで、もう一度よく洗ってくれた。
「うーん、泥水は落ちたけど、元々の汚れはやっぱり落ちないね」
「きっと赤ん坊の頃から抱っこしていたんだろうな。ほら春斗のお気に入りのワンコみたいに」
「そうね、そんな大切な子なら丁重におもてなししよう! ねー! メイくん」
妻は明るくて楽しい人だ。
こんな状況もノリノリで楽しんでくれる。
俺は、妻とひつじのメイくんと温泉に浸かった。
「ねぇ、カズくん。春斗もあの坊やみたいに、優しく明るくスクスク成長して欲しいね。それから春斗にも兄弟がいるといいな」
「俺も思っていたよ。なぁ、そろそろどうだ?」
「2.3歳差で兄弟を授かれたら嬉しいと思っていたから、いいよ」
「ありがとう。俺の子を産んでくれて」
「え? いやだ。急に……どうしたの?」
自分でも何を言っているのかと、苦笑してしまった。
俺の今は瑞樹との過去を経て成り立っている。
だから瑞樹にも伝えたい。
こんな俺と付き合ってくれて、全てを委ねてくれて、ありがとう。
実らない恋もある。
切なく苦しい別れ――引きずる思い。
今の俺は、もう、その境地は脱していた。
実らなかったが、俺の人生で瑞樹と重ねた時間が、今の俺を形成している。
2年ぶりに彼を見て、気付いたことがあった。
付き合っていた7年間、俺は知らず知らずのうちに沢山のことを、彼から学んでいたのだ。
初々しさ
潤い
かぐわしい香り……
ていねい
いつも、しとやかな男だったな。
物静かで自然の風にそよぐ野の花のようだった。
俺に柔らかい心を芽生えさせてくれて、ありがとう。
瑞樹がくれた優しさの種を、今度は妻と一緒に育てていく。
育てることの大切さを学んだ。
ともだちにシェアしよう!