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その後の三人『家へ帰ろう』7

「不思議だよね。いつもならお客様と毎日触れ合う度に新鮮な気持ちになるのに、あのご家族には……懐かしい感じがしたのよ。とくに若い方のパパさんに感じたわ」 「……そ、そうか」  瑞樹との過去を、今更妻に伝えてどうする?  ここは知らぬふりをした方がいいよな?  だが本当に……君はそれでいいのか。    真実を堪えるので、必死だった。  もしかしたら妻はもうとっくに気付いているのかもしれない。    ならば……黙ってくれている優しさに甘えていいのか。  問いかけるように、妻を見つめてしまった。 「そういえば……彼には結局聞き忘れちゃったな。見間違いかもしれないけど……どうしてあの日、あの場所にいたのか。最初は気になっていたけれども、今はもうすっきりしたわ。だって彼、小さな男の子と同性のパートナーと、とってもとっても幸せそうなんだもん! 指輪も綺麗だったね。あとね私が床を拭いた時、率先して拭いてくれて、すごく優しかったの」 「そうか……ありがとう」  妻の細い手首を引っ張ると、嬉しそうに笑ってくれた。   「そろそろ寝ようか。あ……そうだ。少し待ってね。メイくんを乾かしてあげないと……あと春斗の様子も」  白い毛の羊をタオルで包み抱っこしながら、眠っている春斗の額の汗を拭く妻。    これは……俺と瑞樹の未来にはなかった光景だ。  俺は目の前にいてくれる、俺を幸せにしてくれる妻を生涯大切にする。  誓う……俺の過去にかけて誓う! 「お待たせ。ふたりともぐっすりだから大丈夫よ」 「なぁ……やっぱりメイくんは目を瞑れないか」 「くすくす、ぬいぐるみだもん、それは無理よ」 「じゃあ、向こうを向いてもらおう」 「そうね。メイくんには刺激が強いよね」  今晩も……愛しい妻を抱き寄せて、深く抱いた。    瑞樹の大切な子供のぬいぐるみがいる部屋で。  月が白く輝く、不思議な夜だった。   **** 「芽生くん、もうすぐ着くよ。そろそろシートベルトをしようか」 「ん……もう一度おトイレにいきたいな」 「じゃあ一緒に行こう。ジュースは残す?」 「まって、全部のんじゃう」 「ゆっくりでいいよ」    ふぅ、帰りの飛行機の中も大忙しだったな。  小さいお子さんをお持ちのお母さんって、本当に大変だね。でも僕は芽生くんのお世話が出来るのが嬉しかった。帰り道もずっと一緒なのが嬉しかった。  学生時代……修学旅行も合宿も……旅先ではそれなりに楽しめても、いつも帰りが怖く真っ青になっていた。無事に家まで辿り着けるか、日常生活に戻れるか不安だった。    あの日の帰り道、突然景色が一変した。  晴天は曇天に、やがて雷雨に……視界を奪われた車は……突然!  雨が止んでも、僕の心はいつも涙で濡れていた。    だが今日は、そんなこと考える暇もないほど慌ただしい。 「宗吾さん、起きて下さい」 「あぁ悪い。また寝ていた?」 「くすっ、よほど疲労困憊のようですね。あの、芽生くんをトイレに連れて行きますので」 「あぁ俺が連れて行くよ。俺も行きたい」 「大丈夫ですか」 「うーん、悪い。やっぱり瑞樹に頼む」 「いいですよ! じゃあ先に宗吾さんが行ってきて下さい」 「ごめんな」    トイレに行く行かないでも、こんなに沢山の会話が?   なんだか一気に家族らしくなったと嬉しくなる。 「瑞樹、さっきから上機嫌だな」 「そうですか。帰り道も楽しいですね」 「そうだな。旅もいいが、やっぱり我が家って落ち着くもんな。今はそこに向かっていると思うと、ワクワクしてくるからな。あー早く、自分のベッドで足を伸ばして眠りたい」 「くすっ、そうですね」 「早く君を抱きたい」 ボソッと耳元で囁かれて、耳朶まで赤くなる。 「も、もう――」  でも……我が家か……とても、いい響きだ。 「間もなく着陸態勢に入ります。お座席のシートベルトを……」  芽生くんのシートベルトを締めてあげると、少し怖がっていた。   「お兄ちゃん、あのね……飛行機がちゃくちする時って、ちょっとだけ、こわくない?」 「そうだね。僕と手を繋ごうか」 「うん!」 「芽生、パパともつなごう」 「うん!」  三人で手を繋いで、目を閉じた。  まるで宇宙船から僕らの地球に帰還するみたいな気分だ。  何度も飛行機に乗ったが、今日は何かが違う。 「お兄ちゃん、旅行っていいね。なんだかじゃぶじゃぶお洗濯したみたいにすっきりだね」 「芽生くんは、素敵な言葉を沢山知っているね」 「ははっ、それも母さんがよく言っていたな。『旅は心の洗濯』だって」 『旅は心の洗濯』  確かに……旅は辛かった事も、苦しかった事もみんな洗い流してくれると実感した。そして今生きていることの素晴らしさを再確認できた。  旅に出ると日常から離れ「本当の自分」が出しやすくなるからだろう。  日々の慌ただしい時間から離れてみると、季節の移ろいに敏感になり、道端の草花にも目が留まる。そして自分の本当の心にも気付ける。    僕の好きな人、モノを再確認出来た。  人は知らず知らずのうちに、好きなものに囲まれて生きている。そして同時に周りの人からの優しさにも気付く。  心を洗濯すると、僕の素の心が見えて来た。  7年間一馬を愛したことを、後悔していなかった。  あの時間は確かに……愛していた。愛されていた。    そして別れから2年後の再会。    あいつの幸せに安堵した。  互いの幸せを願い合えた。    僕は宗吾さんを深く愛し、芽生くんを愛おしいと思う気持ちで、隙間がない程に満ちている。  今の僕は、旅先でしっかり洗濯し、しっかりお日様に干した心を持っているんだ。だからリフレッシュした、ぽかぽかな心を持って帰ろう。  あれ? これって……ちょうど今の僕が着ているリネンシャツのよう。  由布院のお日様の匂いが、心地よいよ。 「お兄ちゃん、ちゃくちせいこうだね!」 「うん、無事に着いてよかった」 「瑞樹、さぁ俺たちの家に帰ろう」 「はい!」   今からが、またスタートだ。   

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