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その後の三人『さらに……初々しい日々』8

「滝沢さん、昼、行きましょ。って、今日は弁当でしたね」 「あぁ悪い。今日は中で食べるよ」 「じゃあ俺も弁当を買ってくるので、スタジオの屋上で食べません?」 「いいな」 「先に上がっていてくださいよ」 「りょーかい!」  そんなわけでスタジオの屋上にやって来た。コンクリート剥き出しの世界にグリーンのフェンス。今日は古いスタジオだから、屋上もレトロだな。  この景色は……通っていた高校と似ている。  うららかな陽射しが降り注ぐ中、よくクラスメイトと屋上で弁当を食っていたな。懐かしい。 「さてと、どれ、食うか」  包みを開いて弁当箱を見た途端、吹き出した。 「なんだよ。母さん! この弁当箱まだ取っていたのか」  アルミの平たい弁当箱は、俺が中学、高校と使ってきた物で、あちこちが凹んで凸凹だった。 「あー、これって俺が投げたからだ」  俺さ、中学も高校も大学も社会人になっても、お世辞にも優しい息子ではなかったよな。行動も雑で、弁当の扱いも雑で、作ってもらうのが当たり前だと思っていた。弁当箱のあちこちについた凹みは、その証しだ。  母さん、ごめんな。 その点、兄さんは同じ弁当箱を使っていても、いつも丁寧に扱って綺麗に洗って、母さんに『ご馳走様』と言っていたな。  う……なんだかヤバイ黒歴史をいろいろ思い出してしまった。 「へぇ、美味しそうですね」 「林さんは何にした?」 「俺はコンビニ弁当ですよ、お母さんの弁当か……懐かしいな」 「あー、林さんは実家、どこだったか」 「宇都宮ですよ。ぱっと帰れる距離なのに、暫く帰省してないですが」 「そうか」  弁当のメニューは肉じゃがに唐揚げ、卵焼きに、鮭海苔御飯だ。  これは母さんの十八番ばかりで、今日の弁当作りを、いかに母さんが張り切ったのかが、伝わってくるな。 「滝沢さんのお母さん、メチャクチャ料理上手ですね」 「よかったら、味見しますか」 「んー、いや見ているだけで充分ですよ。今度帰省してお袋に作ってもらいます」 「それはいいですね」  きっと喜ぶだろう。この歳になって、俺もひしひしと母親のありがたみが分かってきた。 「やっぱり滝沢さんは、彼に愛妻弁当を作ってもらいたいですか」 「いや、俺が作ってやりたい」 「あ、俺もです。辰起は家庭環境が良くなくて普通の家庭を知らないんです。だから暖かい弁当を作ってやりたいですね」  林さんの言葉に賛同した。俺は散々母に手作り弁当を作ってもらったから、瑞樹に作ってやりたいな。母の味には敵わないだろうが。 「林さん、何かをしてあげたい相手がいると、仕事も頑張れるな」 「俺も、そう思っていましたよ」  ****  昼休みが終わる直前に、給湯室でお弁当箱を洗った。 金森が置いた卵焼きがコロンと残っていた。おかずに罪はないので一口で食べると、僕にとっては馴染みのある味だった。妙にしっとりして断面が綺麗過ぎる卵焼きだ。  お母さんの卵焼きのぬくもりには、敵わないだろう。  あぁ、やはり悔やまれる。どうして僕は学ばないのか。大好きなものは最後に残してしまう癖は昔からだ。小さい頃はよく潤に横取りされ、最後の一口が消えてしまうのが多かったのを思いだした。潤とは色々あったけれども、今はあんなに変わって頑張っている。  金森も、いつか気付く日が来るのだろうか。頼むから相手の気持ちを、もう少し考えて欲しい。 「葉山くん、偉いね。お弁当箱を綺麗に洗って」 「あ、あの……これで合っているのでしょうか」 「うん。お母さん、きっと助かると思う」 「そうだといいです」  今度は女性の先輩に声をかけられた。僕が手作りのお弁当を持って来たのが、そんなに珍しいのかな? 「さっきの……見てたよ。金森の奴、ぶっ殺す!」 「え! 物騒なこと言わないでくださいよ」 「だって、最後のお楽しみを取られたんでしょう。食べ物の恨みは深いでしょう。ふふふ……午後は覚悟しときなさいよ、金森ぃ~」  先輩の目がギラリと光る。   「くすっ、先輩の顔の方が怖いです」 「え? ほんと? まぁアイツはまだまだだってことが、これでますます証明されたわ」  菅野に励まされ、先輩にも励ましてもらい、ますます元気が出た。 「そのお弁当箱、いいね。年季が入っている」 「あ……(たぶん宗吾さんの)高校時代ので」 「大切に使っていたのね。どこも凹んでなくて」 「そうですね」  んん? 本当に宗吾さんのかな? 少し疑念が……帰ったら聞いてみよう。   「アルミのお弁当って、雑に扱うと凹みやすいのよ」 「そうですよね」 「それと、卵焼き、今度は多めに入れてもらいなさいね」 「あ、はい」  アドバイスまで、ありがとうございます。  午後、金森は先輩たちに屋外で扱かれていた。相変わらず動きが雑で失敗ばかりなので、もう見ていられてない。 「違う! それじゃない!」 「すみません」 「あー、もう! 次の花」 「はい!」 「おい? 話、聞いていたのか。周りの状況をよく見ろよ!」    部屋の中まで怒られている声が届いた。  退社時間になってようやく戻ってきた金森は汗びっしょりで疲れ果て、明らかにしょげていた。  どうしようかなと思ったが、冷たいお茶を差し入れてやった。 「金森は、もう少し落ち着いた方がいい。闇雲に行動しても空回りだ。ここではとにかく相手の呼吸に合わせるんだ。相手の動きをよく見て心で察して。生け込みの助手って、そういうものだよ」 「……はぁ……あっ、そうだ。もしかして昼の卵焼きって、食べちゃまずかったヤツでしたか」 「……今頃気付いたのか。僕は好きなものを最後に取っておくタイプなんだ」 「あー、わわわ、そうだったんすか。す、すみません。それと……甘いのも結構いけたのに、俺、口悪くて」 「……そう思うのなら、意識して直していけばいい」  金森はいつもその都度こんな風に謝るが、その後また同じ事を繰り返してしまう。少しだけ失った信用は、自分で取り戻すしかない。  気付いてくれたのは良かったが、今日はこれ以上は話す気になれず……退社した。  金森に傷つけられるのは、一度や二度ではないから。後で反省するのなら、最初からしなければいいのに。食べられた時のショックを思い出すと、今は笑って許せなかった。  あ……駄目だな……今日の僕は……少し意地悪だ。 「意地悪なんかじゃないぜ~ 瑞樹ちゃん」 「あ、菅野」 「あいつに対する態度、充分すぎるぜ。葉山は優し過ぎる! だから金森は懲りずにつけあがるんだ」  菅野の顔を見たら、またモヤモヤが吹き飛んだ。 「そ、そうかな?」 「そうさ! 今日はもう帰るのか」 「うん、お母さんの家に芽生くんを迎えに行くからね」 「じゃあ、ちょっとこっち来いよ」 「何?」  作業場に行くと、菅野がバケツに残った花を見せてくれた。 「これ、持って帰れよ。どうせ廃棄だし」 「いいの?」 「あぁ」 「じゃあ、これにするよ」  お母さんの作ってくれた卵焼きみたいに可愛い『黄色のフリージア』  黄色の花言葉は『無邪気』    ぱっと明るくビタミンカラーの花で、特に黄色のフリージアは香りも良い。 「それを選ぶと思ったぜ! 卵焼き色だもんな」 「なんで……分かるの?」 「ふふふ、それは瑞樹ちゃんファンクラブの一員だからさ」 「えぇっ!」 「はは、はよ帰れ! その花、お弁当のお礼にどうだ?」 「いいね、そう思っていたよ。ちょっと包んでくる」  サッとラッピングして、帰路についた。  花は疲れた人の心を癒やす。    まさにその通りだね。  思い切って……お母さんに卵焼きをお強請りしてみよう。  この黄色いフリージアに勇気を分けてもらって、無邪気にしてみたい。        

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