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その後の三人『春の芽生え』3
「滝沢さん、お疲れさん」
「林さん、お疲れさん」
「おっ! もうだいぶ会場設営が進んでいますね」
「まぁな、花がとにかく素晴らしいだろう?」
林さんが視線を向けると、ちょうど瑞樹が見えた。なんとか調子を取り戻せたようで白いシャツを腕まくりし、熱心に指示を出しては、自らも鋏を持って生け込みをしていた。
花と向き合う瑞樹の眼差しは、真剣そのものだ。花に心を寄り添わせ1本1本の花と対話しているようで、近寄りがたい程の集中力だ。
いいな……そういう君もとても素敵だ。
君が仕事に没頭している顔を見るのも好きだ。
「ははん、なるほど」
「ん?」
「滝沢さんの目尻が下がりっぱなしの理由は、瑞樹くんですね」
「まあな! 今日はたまたま我が社の担当で来てくれたんだ。お互い勤務中に会うのは、あのホテルの打ち合わせ以来だ」
「あれには見事に騙されましたね」
「だな」
あの時、女性と並んだ瑞樹は絵になっていた。知らない人には違和感なく婚約者同士に見えただろうな。
瑞樹は俺と付き合っている。
俺と暮らしている。
俺と一緒に生きている。
先ほど震える君の手を握ってやった。花に埋もれるように震える君が愛おしかった。
俺は……こんなに愛おしい存在に出逢えたと思うと、感動してしまったよ。
「じゃあ、俺、設営の様子を撮影してきますね。それがここに来た理由なんで」
「あぁ、俺も仕事するよ」
「そうですよ。熱い視線で見惚れるのも程ほどに」
「はは、気をつけるよ」
それにしてもさっきのヤツ、未練がましくまだ立っているな。何の用事でやってきたのだか、どこの社のヤツだ?
先程のことだ。
打ち合わせが長引いて大会議室に遅れて入ると、加々美花壇のスタッフが既に到着していて花材を広げて準備していた。瑞樹はどこだ? と探すと、ちょうど見知らぬ男性に話し掛けた所だった。
最初は打ち合わせかと躊躇したが、次第に曇る瑞樹の表情に嫌な予感がした。
久しぶりに見る瑞樹の困惑した表情にゾッとした。君が苦痛の滲む恐怖の表情を浮かべるのは、あの事件に絡んだ時だから。
早く! 一刻も早く 連れ出さないと!
近寄って聞こえた台詞は……
『今更隠すなよ。ストーカの相手って女? それとも男だった?』
やっぱり! よく知りもしないヤツが、興味本位だか腹いせだか知らないが、余計なことを詮索するなと殴りかかりたい気持ちだったがグッと堪え、仕事のふりをして違和感なく連れ出した。
足りない花材を取りに行くのを手伝うふりをして、業務用エレベーターに乗り込んだ時、君の手は小さく震えていた。とても怖い思いをしたのだと悟った。
ここは社内でどんな目があるか分からないから、今すぐ抱きしめてやることが出来ずもどかしかったが、そっと横に並び、さり気なく手を繋いでやった。
「あ……」
瑞樹は俺の手のぬくもりを求めていた。君の方からも俺に縋るように握りしめてきたので、切なくなった。
足りないな。この程度では……まだ瑞樹は気持ちを動揺させたままだ。
だから社用のワンボックスカーの後部座席に乗り込んで花の香りを吸わせ、最後に軽くキスした。
何度も何度も身体を繋げ合っている仲だが、キスは別格だ。
神様は愛する者同士の接合に、素晴らしい場所を与えてくれたと思えるほど、一瞬で温もりに満ちる行為だ。
こんな風にキス一つが意味を成すのも、全て相手が瑞樹だから。一つ一つの行動が大切になのも瑞樹だから。
キスの後、じわりと彼の体温が上昇したのを感じ、俺の存在が意味を成す。
そんな満足感を、俺もキスひとつで得ていた。
不思議だな。こんなに繊細で情熱的な恋は初めてだ。君と出会ってから2年、更に深まる愛を感じる出来事だった。
とは言っても、今日はたまたま俺が居合わせたから良かったものの、居なかったらと思うとぞっとするよ。
菅野くんは事情をだいたい察して目を光らせてくれるだろうし、仁王立ちしている金森も、ああいう意味では役に立つのか。
卵焼きの恨みは深いが、今日のボディガードっぷりに免じて許してやるか。君、初めて瑞樹の役に立てたんじゃないか。
考え事をしているうちに、先ほど瑞樹に話し掛けたヤツの姿が見えなくなっていた。
慌てて探すと人事課長と話し込んでおり、やがて時計を気にして足早に消えていった。
「課長、おはようございます」
「おぉ! 滝沢くん。おはよう。明日は頼むよ。君はパワフルで牽引力があるから頼もしいよ」
「ありがとうございます。あの、今話していたのは誰ですか。我が社の人間じゃありませんよね」
「あぁ、取材だよ。就職雑誌の人で、入社式のドキュメント協力だってさ。知り合いか」
「見たことがある人間だったので、名刺を見せてもらっても?」
「あぁ、水野くんだったかな」
雑誌編集者か……
そう接点はないはずだが、一応名前と職場はインプットしておいた。
すると、背後から瑞樹に話し掛けられた。
「お話中、申し訳ありません。花の装飾が終わりましたので、ご確認をお願いします」
「おぉ出来たか。よし滝沢くん、一緒に確認しよう」
「はい」
瑞樹はもう仕事モードだ。
俺も仕事モードに切り替えよう。
「今年は桜の枝をメインに装飾しました」
「ほぅ、まだ蕾のから満開、枝だけのもあるな」
「壇上花は満開の桜で、会場を囲む桜には変化を持たせました。どんな状態でも生きていますので」
「いいね。深いね……それに絶妙のバランスだ」
「ありがとうございます」
「加々美花壇さんは、やはりいい仕事をするね。君が今回のデザインを?」
「はい、葉山瑞樹と申します」
「気に入ったよ。名刺交換をしてもらえるか」
「喜んで、どうぞよろしくお願いします」
課長とビジネストークを交わす仕事モードの瑞樹は、一人の男として格好良かった。
彼がいつもいいコンディションで仕事が出来るように、これからも支えてやりたいと思った。
人にはいろいろな顔がある。
一番寛げる場所で、俺たちは毎日向き合っている。
それを感じる光景だった。
****
「おばあちゃん、しょうがっこうで、あたらしいお友達、ちゃんと作れるかな」
縁側で日向ぼっこしていると、芽生がぼそっと心配事を零した。
素直な子だから、口に出せるのね。
「そうね、みんなもきっと同じ気持ちだと思うわ。 それに作るというより、自然にできるものかもしれないわ」
「そうなの? 頑張らなくていいの?」
「自然にしていてごらんなさい。いつもの芽生らしくね」
「わかった〜! ワクワクドキドキしてきちゃった。はやく1年生になりたいな!」
芽生のドキドキは、希望に溢れたドキドキね。
「そうね。おばあちゃんもランドセル背負った芽生を見るのが楽しみよ」
「入学式には来てくれる?」
「もちろんよ。可愛い芽生の姿、ちゃんと見ないとね」
「わぁい!」
芽生が微笑むたびに、庭の草木も芽吹くような和やかな春の午後だった。
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