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スモールステップ 7
お母さんの家からミシンを抱えて家に戻ると、もう日が傾いていた。
「おにいちゃん、おせんたく、いれないと」
「あ、そうだね」
慌てて洗濯物を取り込んで時計を見ると、17時過ぎだった。宗吾さんは何時頃帰ってくるのかな? その前にせっかくコツが掴めたのだから、もう少しミシンをかけたいな。
「芽生くん、もう少しだけ作業してもいい?」
「うん! もちろんだよ~ 今度はうわばきいれを作ってくれるんだよね」
「そうなんだ。そうだ、どのデザインがいいかな?」
体操着袋を完成させた自信から、つい聞いてしまった。すると手芸屋さんでもらってきた何パターンかのデザインの中から芽生くんが選んだのは、裏地付きで切り替えがあるものだった。
「えっ、これ?」
「あ、むずかしい?」
1本持ち手のDカンタイプ? 一気に難易度が増したけれども、せっかくならば好きなデザインを持ってもらいたいから頑張ってみよう。裏地と切り替えには体操着袋の残り生地を使えば、なんとかなりそうだ。でも……いきなりレベルアップしたので、ちゃんと出来るか心配だ。
「お兄ちゃん、ちがうのでもいいよ?」
小首を傾げてそんな可愛い顔をしたら、叶えてあげたくなる。
「いや、頑張ってみるよ」
「いいの? おにいちゃん、ありがとう!」
芽生くんがギュッと僕に抱きついてくれるので、僕もギュッと抱っこしてあげた。身体全体で喜びを表現してくれるのが嬉しいよ。
「よーし、じゃあ夕食の準備前に布を切るところまでやってしまうね」
「じゃあ、ボクはおせんたく物をたたむね」
「え? 出来るの?」
「やれるもん!」
「くすっ、じゃあお願いします」
僕は床に生地を広げて裁断図通りに定規で線を引いていく。表生地がこちらで裏がこちら……うう、ややっこしいな。
「おにいちゃんってば、布におえかきしていいの?」
「くすっ、これは縫う場所をわかるようにしているんだよ」
「そうなんだね。めじるしがあるといいね」
僕もかつてこんな風に入園準備を整えてもらった。芽生くんの入学準備をさせてもらいながら、僕自身がどんなに愛情をもって育てられたか、気付かせてもらっている。
今、僕は……芽生くんの親として貴重な時間をもらっている。
それに少しは慣れたようだ。集中したら前より上手く切れた! この調子で仕上げたくなってくる。
「よし、ミシンもかけちゃおうかな」
「うん、おにいちゃん、すごい!」
表地と裏地を中表に重ねて縫った部分を開いて、今度は……ううう、仕事よりも頭を使っているな。
「お兄ちゃん、できた?」
「あと、ここを縫ったら完成だよ」
「やったー」
ふぅ! なんとかこれで完成だ。
「よし、出来たよ」
芽生くんの前で布をひっくり返してみた。ところが……!
「あれ? もつところがないよー?」
「??」
あ、ああああ、逆につけてしまった! 持ち手が裏地の中に入り込んでいる。どうしよう……失敗した……派手に失敗した。一気にどっと疲れが出てしまった。
「お、おにいちゃん、泣かないで」
「いやいや……泣いてはいないよ」(泣きたい気分だけれども)
それからふと時計を見て、ギョッとした。
えっ、もうこんなに暗い? 夕ご飯を作っていないし、芽生くんがたたんでくれた洗濯物は、どれも団子みたいに丸まっている。
そこに「ピンポーン」とインターホンが鳴ったので、芽生くんと飛び上がってしまった。
「だ、誰だろう?」
「きっとパパだよ」
「あ、そうか」
いつもは鍵を開けて入ってくるのにどうしたのかな? おそるおそるインターホンに出ると、満面の笑みの宗吾さんが画面に見えた。
「……はい」
「瑞樹、今帰ったぞ」
まずいまずい……美味しい手料理で出迎える約束したのに、うわばき入れ作りに没頭して、すっぽかしてしまった。おまけに失敗のダメージで顔もこわばっている。
「おにいちゃん? 大丈夫。パパがかえってきたから、助けてもらえるよ」
「そ、そうだね」
こういう時の芽生くんって、パパに似ていて頼もしいよ。
芽生くんに手を引かれ、僕は玄関を開けた。
****
いかんいかん、つい寄り道して遅くなってしまった。自宅マンションの玄関前で鍵を取り出したが、そこで手が止まった。
今日くらい甘えていいか。
愛する家族に出迎えて欲しくてインターホンを押すと、しばしの間、その後、少し元気のない瑞樹の声に心配になった。
むむむ? 料理が失敗したのか。そんなの心配すんなって、君が作ったものなら真っ黒焦げでも食べるぜ!
「あの……お帰りなさい」
「パパー おかえりなさい!」
「おう! ふたりともただいま!」
瑞樹の顔色をちらっと伺うと、叱られた子供みたいにしゅんとしている。
「みーずき、なんて顔をしているんだよ? 飯、失敗した? そんなの作りなおせばいいよ」
「ううう……ごめんなさい。それがその……それ以前に問題が……」
「どうした? とりあえずリビングに行くぞ」
「……はい」
キッチンは真っ暗で、いい匂いはしなかった。その代わり、リビングの床に洗濯物が丸まって転々と置かれ、ダイニングテーブルにはおかずの代わりに、ミシンと布地や糸が散乱していた。
あー、なるほど。あれから小学校入学グッズを作ってくれていたのか。
「みーずき、ありがとうな。どんな美味しい食事よりも、芽生に手作りしてくれる気持ちがご馳走だよ」
「……ですが」
今日の瑞樹は手強いな。一体どうしたのだ?
「うっ、すみません」
えっと何故、泣く?
「おいおい、俺は怒ってないよ」
後ろで芽生が、手を広げて口をパクパクさせてジェスチャーしている。なになに? お兄ちゃんを抱っこしろ? それから……? ふむふむ、あーなるほど。
「瑞樹、その後ろ手に持っているもの見せてみろ」
「うう……ちゃんと手順通りやったのに失敗してしまって」
目元を染めて恥ずかしがる瑞樹。
「どれ? 見せてみろ」
「どこで間違えたのか……」
「なんだ、これはあとで俺と一緒にやりなせばいいよ。一度糸を解いて縫い直せばいいだけだろ? 難しく考えるな。まずは腹を満たそう」
「あ……ご飯も作っていなくて重ね重ね……ごめんなさい」
お、早速チャンス到来だ。寄り道してよかったな~!
「いいって、その代わり二倍速で作りたい。手伝ってくれるよな」
「もちろん! 僕、なんでもします!」
「じゃ、これつけて」
「へ?」
瑞樹がぽかんとしているので、俺が包みを開いて瑞樹につけてやった。
「ははん、やっぱり似合うな、可愛い」
「エ、エプロン!」
目を見開いて叫ぶので、可笑しくなって耳元で囁いてやった。
(安心しろ、けっして例のエプロンじゃないぜ)
可愛い瑞樹は最近俺色に染まってきているので、脳内変換がやばかったので制してやった。
「そ、そんな想像、してません!」
「ははっ、そんなって? どんな?」
「あっ、また……っ」
駅ビルに寄り道して女性向けの『Evening Tea』という雑貨屋さんで買ったのは、若草色のエプロンだった。俺の持っている濃紺のデニム生地は瑞樹には似合わないだろ? 瑞樹にはしなやかで柔らかな優しい色合いの生地がいい!
「これさ、女性ものだが、シンプルだから大丈夫だろ?」
「ううう、早く作りましょう!」
エプロン姿で……目元耳元を染めながらキッチンに足早に駆け込む瑞樹は、やはり最高に可愛かった。
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