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スモールステップ 8
若草色のエプロンをした瑞樹は、想像以上に可憐だった。
「宗吾さん、そんなにじろじろみないで下さいよ」
「あぁ、悪い」
「特に背後からはよして下さい」
まだ意識しているのか、瑞樹の目元がうっすら染まっていた。
おいおい、そんな甘い顔されると困るのはこっちだぞ。狭いキッチンで瑞樹の身体と軽く触れ合う度に、下半身に軽い疼きを覚える始末だ。って、こんなことバレたら、また冷ややかな目で見られてしまうな。
俺の恋人は、どうしてこんなに可愛いのかと、声を大にして叫びたいよ。
「宗吾さん、まずは御飯を炊かないと」
「今日は鍋で炊こう。その方が早い」
「お鍋ですか」
「あぁお焦げも出来て美味しいぞ。おかずは何にするかな」
お! 冷蔵庫に肉じゃがを作る予定で買っておいた牛肉を発見!
「牛肉があるから、ハヤシライスにしよう」
「わかりました」
「パパぁ……お兄ちゃーん」
芽生が、うらやましそうな顔でキッチンカウンターの向こうから覗き込んでいた。
「パパもお兄ちゃんもエプロン、いいなぁ」
「あーそうだな。今度、芽生にも買ってやるよ」
「うーん、買ったのじゃなくて、お兄ちゃんに作ってもらいたいなぁ」
なるほど! すっかり芽生は瑞樹の手作りにはまったらしいな。
「本当? じゃあ今度はエプロンにも挑戦してみるよ。僕もだいぶミシンには慣れたから」
「え? ほんとに、いいの?」
自分で言っておきながら、芽生は瑞樹の返答に驚いていた。
「もちろんだよ」
「でも……お兄ちゃん、いそがしいのに……ごめんなさい」
「芽生くん? そんな……謝らなくていいんだよ。やって欲しいことは、ちゃんと言って欲しいな。僕も作ってみたいし」
芽生が小さな遠慮したのを瑞樹は見逃さなかった。そしてすぐに芽生を安心させる言葉を添えてくれた。
瑞樹……君はだいぶ変わったな。
以前はいつだって口を開けば「すみません」が口癖で、遠慮ばかりしていたのに……そんな君が逆に芽生に『遠慮しなくていいよ』と言っている光景が見られて嬉しいよ。
人はいくつになっても、まだまだ変われるはずだ。心がけ次第で、なりたい自分に近づいていける。それが俺のモットーさ。
「お兄ちゃんありがとう。ボクも何かお手伝いしたいな」
「じゃあ、サラダのお野菜を洗ってくれる?」
「やったぁ!」
狭いキッチンに大人二人と子供一人。ぎゅうぎゅうだが賑やかでいいな。玲子と暮らしていた時は足を踏み入れることなんて滅多になかった場所に、今はこうやって協力しあって立っている。思えば俺も大きく変わったものだ。
「このハヤシライスは母の十八番の昭和レトロな味で、簡単に出来るから、今日みたいな日にオススメだ。瑞樹にも伝授するよ」
「はい!」
若草色のエプロンが、君のほっそりとした身体にしっとり纏わり付いて揺れていた。なんだか風に揺れるすずらんみたいだな。
「じゃあ、まずは牛肉に塩、胡椒をして」
「はい」
「肉を多めのバターで焼いて、ブランデーを入れて……あとは野菜ジュースにウスターソース、赤ワインとケチャップ」
「あ、あの……お酒を使っても芽生くん大丈夫なんですか」
「赤ワインは火を加えることでアルコールが飛ぶから、子供が食べても大丈夫だよ」
「そうなんですね、宗吾さんは手際がいいです」
「学生時代アウトドアが好きだったからな」
「あの、今年はキャンプに連れて行ってくださいね」
お! なんだなんだ? 瑞樹からのおねだりも珍しいぞ。やっぱり最近の君はいい調子だな。由布院から帰ってきてから一皮剥けたようだ。
ちゃんとやりたいことや行きたい場所を教えてくれるようになった。
そういうのって俺みたいな企画好きの単純な男は、俄然ヤル気が出ることだ!
「あぁ、絶対に行こう!さて後はニンニクを入れて蓋をして30分で完成だ」
瑞樹が鍋を覗き込んで、ニコっと微笑む。
「いい匂いですね! とっても美味しそうです」
俺にはそんな瑞樹が美味しそうに見えるけれど?(それはけっして言っては駄目だ)
芽生と目が合うと、何故か『うんうん』と神妙な顔で頷かれてしまった。参ったな~
「パパ、あっという間に完成だね。いただきまーす!」
「おう! すごいだろ?」
「うん! 僕のパパたちはカッコイイ!」
俺と瑞樹は、芽生に褒められて上機嫌だ。
「瑞樹、やったな!」
「はい!」
明るくハイタッチした。
****
夕食後はお風呂に入り、芽生くんを早めに寝かせることにした。
「芽生くん、さぁ、おやすみ」
「お兄ちゃん、今日はありがとう」
「こちらこそ楽しかったよ。明日の朝には上履き袋も出来上がっているから楽しみにしていてね」
「あっ、あのね、お兄ちゃん」
「ん……何かな?」
芽生くんが掛け布団に顔を半分隠しながら、おしゃべりしてくれるのが可愛い。
「ボクね、とってもうれしかったよ。ようちえんで、みんな小学校のじゅんびの話をしていて、ブルーレンジャーの布の話も……いいなぁって……」
そっか……胸の奥が切なくキュンとした。
「遠慮しないでいいんだよ。僕は芽生くんの喜ぶ顔が見たいから」
「ほんと? お兄ちゃんもパパもいそがしいのに」
「もっと言って欲しいよ。してほしいことを」
「うん……」
小さな芽生くんに余計な心配かけさせてしまったな。
「あのね、今日はずっといっしょにいてくれて、うれしかったよ」
「僕もだよ! またお休みをもらうから、一緒に過ごそうね」
「入学式にも来てね。お兄ちゃんにも見て欲しいんだ。作ってくれた、うわばき入れをもっているの見てね」
「ありがとう……本当にいいの?」
「もちろんだよぉ。お兄ちゃん、大好きだもん」
「……嬉しいよ。さぁおやすみ」
入学式は日曜日なので行こうと思えば行ける。でも……本当にいいのかな。
「瑞樹、芽生はもう寝たのか」
「はい、今さっき」
「瑞樹、さっきの話だが入学式は是非一緒に行ってくれよ。君にも芽生の晴れ姿を見て欲しい。母さんも来るから一緒にいればいいよ」
「あの、本当にいいのですか」
「当たり前だ」
嬉しい。実はバス停の理解のあるママさんたちは皆違う小学校になってしまったので迷っていた。だから宗吾さんから力強く誘わて……
「嬉しいです」
僕は気付くと……自然に背伸びして、宗吾さんにキスをしていた。
「宗吾さん、今日はとっても素敵でしたよ」
うわばき袋を失敗した時は途方に暮れてしまったが、宗吾さんの顔を見た途端、なんとかなると安心感が生まれた。
「瑞樹こそ、初めてのミシン、頑張ったな。それと芽生と丸一日過ごしてくれてありがとう」
「いえ、楽しかったです。可愛らしくて、ずっと一緒にいたくなります」
「そこまで言ってもらえて、幸せだ」
そのまま包まれるようにギュッと、僕の足が浮くほど深く強く抱きしめてもらった。
「あの……こんな風にすっぽりと抱きしめてもらうと、いつもあの大沼での再会を思い出してしまいます」
大沼で僕の指が動き出すと同時に、ファインダー越しに宗吾さんが現れた時を。宗吾さんは焦げ茶のロングコートにマフラーを巻いて、黒髪をさらさらと北国の風に揺らし、大人っぽく艶めいた笑顔で、僕の心を一気に鷲掴みした。
「あの日が俺たちの恋の再始動だったよな」
「はい……冬眠から目覚めたような気分でした」
僕の心はあの日から何度も何度も……宗吾さんに持って行かれている。
昨日も今日も、明日も――
恋をして、恋をして、恋をし続けていく。
「宗吾さん……大好きです」
「瑞樹、嬉しいよ。このままベッドにと言いたいところだが、今日は縫い物をしないとな」
「あ、そうだ。それにして、どこで間違えたのでしょうか。恥ずかしいです」
「どれ、作り方見せてみろ」
宗吾さんはすぐに納得した顔で、豪快に糸を解きだした。
「ここだ。ここまで戻ってやり直そう。瑞樹、あまり失敗を怖がるな」
「……あ、はい」
「俺たちだって人間だ。この先、たまに小さな喧嘩をすることもあるだろう」
「……はい」
「そんな時はさ、ちゃんと立ち止まってその都度、修復していこう。俺は絶対に君を失いたくない。だから、よろしくな」
解かれた糸の隙間から現れた持ち手を、宗吾さんが取り出してくれた。
「はい。僕も絶対に、宗吾さんと芽生くんを失いたくないです」
「じゃあ、小学生パパとしても、よろしくな」
「はい、こちらこそ!」
宗吾さんとコツンと額を合わせて、約束した。
僕たちの約束の合図は、いつもこうだ。
間もなく入学式。
僕たちも一緒にステップアップしたい。
親として、小さなステップを積んでいこう。
『スモールステップ』 了
あとがき(不要な方はスルーです)
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今日は日常の中で小さな会話から愛情を積み重ねる、3人の様子を丁寧に書いてみました。これもある意味スモールステップかな。
少しダラダラ展開だったかもしれませんね(涙)7日の21時頃、かなり加筆して『スモールステップ』の段を終わりにさせてもらいました。
明日以降は気持ちも新たに、一気に小学校入学式当日の話にもっていきたいです。
アトリエブログに挿絵を掲載しています。https://fujossy.jp/notes/27477
私の中の名場面で……七夕に相応しいイラストですので、よろしければご覧下さい。
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