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見守って 13
「美智、君は椅子に座って」
「はぁい」
「身重なのに付き合わせて、悪かったな」
「とんでもないわ。小学生になった芽生くん、私も見たかったもの」
「そ、そうか、ありがとうな」
デレ……!?
兄さんの顔が、ふわりと綻んだ。
おいおい……本当に俺の兄、憲吾なのか。
「あー、宗吾、今日の情報は瑞樹くんから得た」
「はぁ?」
「宗吾さん、あの……僕、定期的にお兄さんとメールで芽生くん情報などを交換していました。前に話しましたよね?」
「そういう訳だ。つまり瑞樹くんとは『メル友』になったのだ。何かこの件に関して文句あるか」
メ……メル友!? それ……とっくに死語だぞ?
おいおい瑞樹、こんな堅物の兄に、ずっと付き合ってくれたのか。社交辞令かと思っていたぜ。
「も、文句はないですよ……えええっと、来てくれてありがとうございます。美智さんは臨月なのに大丈夫なんですか」
「あぁ順調だ。この時期はもう家に籠もっていたら駄目だと医者に言われたので、散歩もかねて来てみた」
「そうだったのですね、無理のない範囲でゆっくり回って下さい」
「あぁ、今日は午前で終わるのだろう? その後、みんなで母さんの所で昼食を取らないか」
珍しい誘いだ。仕事人間の兄さんから言い出すなんて滅多にない。
「瑞樹、そうしてもいいか」
「もちろんです! 僕もお母さんに会いたいです」
「じゃ、学校が終わったらそのまま行きますよ」
「今日は私がお寿司を奢るから」
「やったぜ!」
つい芽生みたいにガッツポーズを取って、兄さんには白い目、美智さんと瑞樹にはクスクスと笑われてしまった。
食い意地を張って、恥ずかしい奴(←俺だ)。
「あーコホン、宗吾の好きな中トロは多めに入れてもらうから安心しろ。芽生はさび抜きにしたら食べられるのか」
「お気遣いどうも」
驚いたなぁ~ 兄さんが俺の好物を覚えているなんて、くすぐったいぜ。
廊下で小声で話していると図工の授業が終わり、子供たちが一斉に飛び出してきた。
芽生も男の子達とワイワイ話しながら出てきた。
「芽生!」
「あ! えへへ」
芽生は俺たちを見て、ニコニコ笑顔で手を振って通り過ぎてくれた。
友達も出来て楽しそうだな。
そんな光景を、兄さんたちと瑞樹と見守った。
「宗吾さん、芽生くん、とっても楽しそうですね」
「あぁ、やっぱり直接確認出来ると、ほっとするな」
「はい!」
次の授業は算数だった。
教室の後ろにはずらりと親御さんが並んで、子供たちはちらちらと後ろを振り返っている。自分の親を見つけるとくすぐったそうに笑っている。
今も昔も同じだ。
授業参観の根底は、変わっていない。
俺の時は母さんが張り切って和装で来てくれて、小っ恥ずかしかったな。兄さんが優秀だった分、小学校ではやんちゃで迷惑かけたよな。取っ組み合いの喧嘩もして呼び出され、怪我も絶えなかった。
ふと横を見ると、瑞樹も甘い思い出に浸っているようだった。
大人も昔は皆……子供だった。
誰もが何かしら優しい思い出を、胸の奥に秘めているのだろう。
算数の授業は、足し算の学習で、皆、あのおはじきで数え出した。
あの日の名付けは大変だったが、確かに1個1個書くのは必要だな。
「あぁぁ!」
「わぁ、おとしちゃった」
ほらな、絶対床に落とす子がいるし、友達のと混ざってゴチャゴチャになるもんな。
「あ……芽生くんのも落ちそう」
「わ! まずい!」
といってもここは親が出る幕ではないので、グッと我慢する。
芽生は寸での所で気付いて、事なきを得た。
俺も瑞樹も兄さんも美智さんも、一斉に「ふぅ……」と安堵の溜め息を漏らし
たので、周囲の人から笑われてしまった。
「宗吾、次の授業は何だ?」
「えっと、国語だったかな」
「そうか。美智が少し疲れたようだから、先にゆっくり戻っているよ」
「ああ、来てくれてありがとうな」
「楽しかったよ。芽生は賢い子だな。それにとても人懐っこくて優しい」
兄さんに、自分の息子を手放しに褒められるのは、嬉しかった。
俺たち兄弟は若い頃はいがみ合って互いの良さを認め合えず、勿体ないことをした。
人それぞれ、得手不得手がある。
それを認め合えなかった後悔がある。
そんな中、瑞樹が教えてくれた。
いがみ合うのではなく、歩み寄ることを。
「瑞樹くん、また後でね」
「はい!」
「君もいい子だな」
「え?」
瑞樹の頬が染まる。
照れくさそうに染まる。
俺は君のそんな顔を見るのが大好きだ。
次の休み時間は15分休みで、チャイムが鳴ると同時に、1年生もわらわらと校庭に走って行く。
芽生はもう俺たちを振り返らなかった。
前を見て――走り抜けていく芽生の背中を、瑞樹と肩を並べて見送った。
青空の校庭で友達と走り回り、鉄棒の所まで行って、ぐるぐる回っている。
「宗吾さん、いい光景ですね。小学校って」
「あぁ、そうだな」
「夢と希望に溢れているという言葉がぴったりですね。芽生くんもすっかり溶け込んでいますね」
「あぁ、俺さ……実は少し寂しいが、瑞樹が一緒にいてくれるから大丈夫だ」
親離れ、子離れもスローステップだ。
今日もたぶん、そんな一日。
教室の窓から校庭を見下ろすと、春風が2階まで駆け抜けて、瑞樹の柔らかい髪を揺らしていた。
瑞樹は夢と希望に溢れた小学4年生の時に、両親と弟を失った。今俺たちの前に繰り広げられている明るい世界と同等のものが、当時の君の眼前にも広がっていたのだろう。それが突然消滅する恐怖は計り知れない。
「宗吾さん……あの、今日は来てみて良かったです。明るい光景に、僕も昔を思い出しました。ずっと幸せだった頃を思い出すのが怖かったですが、最近は違います。ゆっくり辿っていきます。芽生くんの成長にあわせて」
「あぁ、そうするといい」
「僕……今、とても居心地がいいので……」
「あぁ、俺もだ。君がいてくれるから」
おっと、教室でこんな愛を語るのはまずいかと、振り返ると誰もいなかった。
「宗吾さん、次の授業は音楽なので、皆さん音楽室に移動したみたいです」
「なぬ? 俺たちもいこう」
「はい!」
「あ、そうだ! 今日は土曜日だから、夜が楽しみですね」
ニコッと意味深な笑みは、夜のお誘いかー!
「おう! しっかり体力温存しとけよ」
「へ? 体力?」
瑞樹がキョトンとしている。
「あの……芽生くんの好きなアニメがあるなと言う話だったのですが。あ、まさか、まさか……」
瑞樹の頬が染まる。
いかん! 今度は俺がひっかかったのか!
「瑞樹の言い方が悪いんだぞぉ~」
「わ、悪くないです」
瑞樹が真っ赤になって、困っている。
すると……
「いいや、今の言い方はお前が悪いだろ!」
「えぇ?」
ゴンっ。
「痛っ」
突然火花が散ったので、見上げると兄さんが立っていた。
「まだいたのか」
「……忘れ物を取りに来た。まったく聞いていたら恥ずかしい。お前はガキ大将か」
「はは、違うよ! 瑞樹が好きなだけだ!」
「お、お前は……どうしてそんなにストレートなんだ」
「なんだよ。照れんなよ。兄さんまで」
兄とくだけて話せるのも瑞樹のおかげだ。
いろいろサンキュ!
君が来てくれてから、いつも場が和む。
「あの……憲吾さんと一緒にお昼食べるの、楽しみです」
「そうか……コホン、瑞樹くんは何が一番好きなのか、正直に教えてくれ」
「へっ……? 言わないと駄目ですか」
「あぁ、兄として知っておきたい」
「それは……」
瑞樹が真っ赤になって……「そ」と発音しそうになったので、俺は慌てて割り込んだ。
「瑞樹! 寿司のネタだ! ひっかかるな!」
「あっ!」
口に手を慌てて目を見開く君が可愛すぎて、ここが教室ではなかったら、ガバッと思いっきり抱きしめるところだった。
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