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見守って 14
「今日の授業は終わりです。さぁ、帰りの会をしましょう」
「はーい!」
子供たちが立ち上がり、一斉に後ろのロッカーにランドセルを取りに来たので、俺たちは一度教室の外に出た。すると教室の廊下側の壁には、沢山の絵が貼ってあった。
「宗吾さん、これ! 芽生くんのですね」
『たきざわめい』
あどけない文字を見つけた。
絵はクレヨンで細かく描かれており、1年生にしては繊細な描写だった。
芽生くんは絵が上手だな。おばあちゃんちでお留守番する時、いつも大人しく絵を描いているお陰なのか、どんどん上達して、緻密に描き込めるようになってきた。
「なぁ、これって、スキーだよな」
「みたいですね。ここにクマがひっくり返っていますね」
「ははは。まるで俺のようだ」
「くすっ、宗吾さんですよ。これ」
「え? 酷いな」
「ふふっ、来年はもっと上手になっていますよ」
「言ったな! でも瑞樹……君、自然に『来年も』って言ってくれたな」
「あ……すみません。勝手に」
「嬉しいんだよ。君の口から未来の話が出るのがさ!」
絵の中の僕は、芽生くんと楽しそうにスイスイと滑っていた。(横には茶色のクマが雪だるまみたいに転がっているけど)
周りを見ると皆、冬景色だった。どうやら『冬の思い出』というテーマで描いたらしい。
「春なのに冬の絵を?」
「だからいいんだよ。冬の厳しさを知っているんだな、皆」
「あ……だから、春が生きてきますね」
「そうだ。俺もこんなに転びまくってるしな」
「くすっ」
僕と宗吾さんが1枚1枚……児童の絵を見ながら話していると、後ろから話しかけられた。
「あの~滝沢芽生くんのお父さんでは」
「あ。山下航くんの……」
入学式の時、写真を撮ってくれたご夫妻が笑っていた。
「どうですか。学校や地域に慣れましたか」
「いや~まだまだ。地域のことがさっぱりで。あの小児科とか病院の場所を教えてもらいますか」
「あぁ、それなら俺、マップにまとめているので、PDFファイルで差し上げますよ」
「助かります」
宗吾さんがそつなくやりとりしている様子を、僕はそっと見守った。
「あ、そろそろ終わりの会が始まりますね」
「入りましょう」
良かった……僕の存在はあまり目立たない方がいい。
「では今から終わりの会を始めます。今日は初めての授業参観でしたね。皆さんお疲れだと思うので、先生は5分で終わらせますよ」
「はーい!」
ピカピカの1年生が背筋を伸ばしたので、僕もスッと伸ばした。
「じゃあ、今日のめあては『廊下を走らない』でしたが、守れた人は手をあげて」
あれれ? みんな上げないの?
あ、そうか。休み時間になった時、みんな廊下をダーッと走っていたね。
「そう、休み時間に廊下を走りましたね。皆で走ると危ないですよ。怪我したらせっかくの休み時間が台無しになってしまうので、校庭まではゆっくりいきましょうね」
「はぁい!」
ふふ、みんな素直で可愛いな。
「じゃあ、お友達のいいところを見付けた人は発表しましょう」
「はーい! めいくんです」
わ! いきなり芽生くんだ。
「どんなところがよかったですか」
「図工の時間、校庭のお花の名前をたくさん教えてくれました」
「まぁ、そうなのね。芽生くんは詳しいのね。ありがとう」
「えへへ」
わぁ……僕までポカポカだ。
植物図鑑をあげてよかった。興味を持ってくれてありがとう。
心の中で、芽生くんを抱っこしたい気分だった。
「じゃあ終わりの歌を歌いましょう」
世界中の子供たち……で始まる可愛い歌で、子供の声は澄んで、空高く舞い上がるようだった。
「いいですね」
「あぁ、心洗われる感じがするよ」
なんだかじわっと視界が濡れそうで、慌てて瞬きした。
「月曜日も元気に過ごしましょう。さようなら」
「さようなら!」
****
帰り道、ランドセルを背負ってテクテクと歩く芽生と、その横に並ぶ瑞樹を後ろから見守りながら、俺も上機嫌だった。
授業参観に瑞樹を連れて来て、正解だったな。
彼は行くのを躊躇していたが、君が気にする程、周りは気にしていないし、今日という日は二度とやってこない。今日の芽生の頑張りを一緒に見られて良かった。
子供って先生に褒められたことをずっと忘れないもんだ。だからその瞬間を共有出来てよかったよ。
「お兄ちゃん、今日、見ていてくれた?」
「うん、全部見ていたよ」
「あぁ、よかった」
芽生の満足そうな顔。
瑞樹の嬉しそうな顔。
俺が守りたい二人、見守りたい二人だ。
****
「えー! 兄さん、このタイミングで函館にまた、1週間も出張だなんて」
「……そうなんだ。ややこしい案件で……揉めていて。もう美智は臨月なのに参っている」
どうやら兄さんが今日わざわざ小学校までやって来て昼飯を誘ったのには、理由があったようだ。
しかも美智さんは実家に帰省しないで産むとのこと。どうやらそれにも理由がありそうだが、詳しくは聞けなかった。
「なので、どうか母さん、宗吾、瑞樹くん……美智を頼む!」
「に、兄さん、頭を上げてくれ」
予定日10日前に1週間家を空けることへの不安が、ひしひしと感じられる顔だった。
頭を下げる兄さん……驚いたな。そんな顔もするのだな。
「憲吾、大丈夫よ。私も去年病気をしたから万全ではないけれども、幸い近くに宗吾と瑞樹がいるわ。芽生もね。だから皆で力を合わせましょう。あなたたちの赤ちゃん、必ず守るわ」
母さんの言葉は心強い。扇の要のような存在だ。
「母さん……すまない」
「謝ることじゃないわ」
「あの……お母さん、すみません。私ひとりでは不安で……でも実家を頼れなくて」
「いいのよ。ここは、あなたの家でもあるのよ」
そんな理由で、美智さんと兄さんは産前から産後まで、ここに里帰りすることになった。
いよいよだ!
芽生が生まれる時、玲子は臨月に入る前から里帰りしてしまい、頻繁には会わなかったし、出産も生まれてから連絡して来たんだよな。あの親は……。
今度こそ……って、俺の子ではないが、一番近い兄さんの所にやってくる赤ん坊を全部見守りたい。
「瑞樹、付き合わせて悪いな」
「とんでもないです。広樹兄さんのところも来月には臨月に入るし……人ごとじゃありません。お役に立てるか分かりませんが、僕に出来ることをさせて下さい」
ここには、人の手がある。
経験なんてしていなくても、想いを寄せる手があれば、大丈夫だ
信じて、信じ合って……その日を迎えよう。
「ありがとう。お世話になります。その……今日は寿司を沢山食べてくれ」
なるほど、それで寿司の大盤振る舞いなのだな。
「おじさん、ボクもお手伝いするよ~ あのね、ボクのいとこになるんだよね」
「そうだ、芽生の従姉妹だ。女の子なんだ」
「えええ!」
おっと、それは初耳だぜ!
男の子しか育てたことないし、男兄弟で育ってきたので緊張する。
「……女の子なんですね」
瑞樹も同様だ。君も男兄弟で育ってきている。
「宗吾さん、なんだか一気に気が引き締まりましたね」
「あぁ、俺、壊しそうで心配だ」
「という訳で……もうすぐ女の子が生まれる予定だ。俺と美智の子だから可愛いぞ!」
ニヤニヤ。デレデレ……。
おーい、兄さんの目元に笑い皺が増えたような気がするぜ。
兄さんが女の子の父親になるなんて、未知の世界だな!
そう思うと、またワクワクしてきた。
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