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見守って 20
ガブっ、ムシャムシャ――
私は広樹と別れてホテルの部屋に戻るなり、差し入れてもらったハンバーガーにかぶりついた。 ワイシャツを腕まくりし片手でハンバーガーをかじりながら机に向かった。
こんなにも、がむしゃらな気持ちになったのはいつぶりだろう。
大学在学中、司法試験を目指した時以来かもな。
裁判官の仕事では、常に冷静さを求められた。だから、私は元々の性格に輪をかけて冷静沈着な男になってしまった。
一方、弟の宗吾は大学就職を経て……どんどん自由奔放な男になっていった。
兄弟間の溝は、そうやって深まっていったのだ。もう容易く行き来出来ない、大きな亀裂になっていた。
更に死産が妻との溝も深め……弟との距離も離れる一方。
私はひとり……裁判官の仕事に没頭していった。
正確な判断で裁いて……裁いて、まるで自分自身のこの生き方が間違えていないと証明するように、仕事一筋で生きてしまったこの年月。
どこかで寂しがる美智の元に、離婚して子連れで奮闘している宗吾の元に……歩み寄りたいと思っていたのに、何も出来ないでいた。
そんな私の心の橋渡ししてくれた青年が、葉山瑞樹くんだ。
清楚でひたむきで控えめな彼の性格。
それでいて人に優しく寄り添い……
近くにいる人なら、誰でも癒やされる透明の水のような存在。
そうだ。彼ならば私が到着するまで、美智のことを頼めるのでは?
こんな頼みは図々しいか。
しかし美智の心を少しでも落ち着かせることが出来るのは瑞樹くん、君だ。
ペンを持つ手を停止して、私は東京で電話した。
もう遅い時間だったが、どうしても私の口から直に頼みたかった。
肉声には、想いを込められる。
「もしもし……」
「ん? 兄さんか」
「あぁ、今日は宗吾、ありがとう。私は朝一番の飛行機で戻るから」
そう告げると、宗吾は少し驚いていた。
「すごいな、兄さんの行動力最高だ!」
宗吾に手放しで褒められ……兄としてどうかと思うが、嬉しかった。
「今日は宗吾のお陰でスムーズに入院も出来、助かったよ。更に瑞樹くんが広樹に話をしていてくれたので、すべていい方向に動いた」
「瑞樹も心配していたよ」
「あぁ、そのことで頼みがあって」
「何だ?」
「母さん、もう疲れているだろう? 心臓の負担が心配だし……だが明日、私はどんなに急いでも病院到着は昼過ぎだ。それまで瑞樹くんに妻の付き添いをお願い出来ないだろうか。彼の仕事の融通がつけばだが。こんな頼み図々しいのは分かっているが……」
そこまで話すと、電話口の宗吾が瑞樹くんを呼ぶ声がした。
「参ったな。兄さん、俺と同じ考えだ。さっき……瑞樹と同じ事話してた。瑞樹も行きたいってさ」
「そ、そうなのか」
心が通い合う……とは、こんなにも晴れやかなことなのか。
私が必死に願うことを、相手も願ってくれる。
そんな風に思ってもらえる人間なのかと、俄には信じられない気持ちだった。
「芽生を寝かしつけながら、うとうとしていたんだ。今、瑞樹を呼ぶよ」
「あぁ」
暫くすると瑞樹くんの優しい声が聞こえ、私も急いていた気持ちが落ち着いた。
「憲吾さん、僕が付き添ってもいいんですか」
「あぁ、私からそうしてもらえないか頼むつもりだった」
「嬉しいです。僕も朝になったら憲吾さんの許可を頂くつもりでした」
礼儀正しく寄りそってくれる。そんな彼の存在が、私は大好きだ。
「箱庭のアレンジメント……を思い出すよ」
「え?」
「君が私たち家族をまとめてくれた」
「そんな……」
「だから君はもう……私たちの家族だ。戸籍とか法律なんて関係ない。私はそう思っている」
司法の職に就く私の高らかな宣言に、自分でも少し愉快な気分になってしまった。
そうだ仕事は仕事で、しっかりやればいい。
だがこの私の心は、想いは縛れない……。
同性婚は認められていないこの国だが、私の中ではもう君は欠かせない宗吾のパートナーだ。
「兄さん、参ったな。カッコよすぎ……裁判官だった兄さんが言うと、重みがあるな」
「え……」
かつては競争心で満ちていた宗吾からの言葉に、感無量だ。
****
憲吾からの電話で「死んでもいいわ」と返答したのを聞いた時、私は狸寝入りの中、にやりとしてしまったわ。
あの憲吾が、とうとう言ったのね。
『月が綺麗ですね』
『は……はい?』
あれは結婚前よ。
お見合いで結婚するので、愛なんてないのだろうなと少し落ち込んでいた私に、主人となる人が言った言葉。
どんなに見上げても、今宵は闇夜で月なんて見えないのに?
キョトンとしていると、彼が話してくれたのが夏目漱石の逸話よ。
『いいかい、次に私がこう言ったら……死んでもいいとお答えなさい」
『あの……? それってどういう意味ですか』
『私と同じ気持ちだという意味だ』
『あ……っ』
厳しい学者肌。愛情を見せるのが苦手な人からもらった愛の言葉。
そして返事の仕方まで教えてもらったわ。
ねぇ、天国のあなた……
あなたの言葉を、次の世代に無事に引き継ぎましたよ。
あなたからのエールを受けたのだから、きっと大丈夫。
明日には可愛い赤ちゃんに会えそうよ。
二人目の孫は、どうやら女の子みたいですよ。
あの憲吾が女の子の父親なんて信じられませんね。
もう少し私はこの世で、息子達を見守っていきますよ。
天国であなたに会えた時、お土産話沢山持って行きますからね。
見守っていて下さいね。
私たち家族の毎日を。
私達の息子はよき伴侶を得て、毎日を大切に生きています。
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