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見守って 19
美しい月の写真を見ながら、美智にエールを送った。
「美智ガンバレ! ガンバレ!」
しかしこれでは運動会の応援みたいで大人げないかと思った時、ふと母の言葉を思い出した。
あれはいつだったか……そうだ母と仲秋の名月を見上げた時だった。
『母さん、月が綺麗だな』
『まぁ、憲吾ってば粋ね。でも私じゃなくて美智さんに言わないと』
『はぁ? 粋? ただ月が綺麗だと事実を述べただけだが』
『月が綺麗は、I Love Youという意味なのよ」
『なんだ、それ?』
『まぁ博識なあなたが知らないなんて』
そう言われれば、気になるじゃないか。
「教えてくださいよ」
「とてもロマンチックなのよ」
ロマンチックな言葉を口ずさむような柄ではないが、無性に知りたくなった。
あの頃の俺は、美智と心が離れてしまっていたから。
母の話だと「月が綺麗ですね」は、夏目漱石が生んだ告白の言葉だという逸話だった。
漱石が英語教師をしていた時、「I LOVE YOU」を教え子に訳させたると、「ワレ、キミヲアイス」と訳したそうだ。それを漱石は「日本人はそんなに直球では愛を伝えないだろう。だから月が綺麗ですねと訳しておきなさい」と言ったそうだ。
『これなら憲吾でも美智さんに言えるんじゃないかしら?』
『いや、難しいですね』
『憲吾、言葉は魔法になるのよ。普段そんなこと言わないあなたが言ったらどんなに嬉しく思う? 言葉は真心の籠もった贈り物よ』
妙に母が力説するのは、何か意味があるのか。もしかしたら、母が亡き父に言ってもらったのかもしれないな。父も私みたいに寡黙で堅苦しい人間だった。
「美智、今……さっきの月の写真を見ているか」
「見てるわ。憲吾さんが贈ってくれた月を」
「あ、あのさ……月が……綺麗だな」
静かな間があった。
美智は大学では国文学科を出ているから、きっと理解してくれる。
そんな確信があった。
「憲吾さん、私……死んでもいいわ!」
「ええっ!」
思わず大声で叫んでしまった!
「美智! 縁起でもないこと言うな! 早まるな!」
「くすっ、定番の返答よ。文豪の二葉亭四迷が『|Yours《あなたのものよ》』という台詞を『死んでもいいわ』と訳したことに由来しているんですって」
「そうだったのか。お前は国文科を出ているから、詳しいな」
「ううん、これはさっきお母さんが気晴らしに教えてくれたのよ」
「なぬ?」
母さんは俺に『月が綺麗ですよ』の使い方を教えて、美智には返事の仕方を?
母さんには参った。
母さんは凄い……場を和ませ、夫婦の距離をグッと近づけてくれる。
「あのね、画面越しでも憲吾さんと見る月だから綺麗なの! それから私は絶対にまだ死ねないわ。だってこれから、この子のママになるんですもの」
俺の脳裏には、美智が満月のような腹を優しく撫でている様子が鮮やかに浮かんでいた。
「あぁ……そうだ。もうすぐ会えるな」
「生まれたら、すぐに二人で考えたあの名前で呼ぼう!」
「うん! 憲吾さん……明日会えるのよね。待っているね」
「美智、待っていてくれ」
電話を切って広樹の所に戻ると、何か手伝えることはないかと申し出てくれた。
残念ながら機密書類ばかりなので……仕事ではなく依頼をした。
「明日、赤ん坊に会えるんだ。この前買ったハーバリウム、妻もとても気に入っていたから、今度は生まれてくる娘のイメージで作って欲しい」
「いいぜ。もう名前が決まっているのか」
「まだ皆には内緒だが、広樹には特別な」
手帳のメモに娘につける名前を書いて渡すと、広樹はにやりと笑った。
「へぇ、可愛い名前だな、芽生くんの従兄弟になるんだよなぁ」
「あぁ、そうなんだ。お兄ちゃんがいるようなもんだ。早く呼びたい」
「安産を祈っているよ」
「ありがとう。広樹のところも来月だろう。そうだ、さっきは月の写真をありがとうな。広樹は見かけによらず文学的なんだな」
「へ?」
全く思い当たらないようだから、その使い方を教えてやると、「早速使ってみるよ」と、嬉しそうに帰って行った。
****
「ヒロくん~どうなった?」
「ん、明日の朝一番の飛行機で戻れるようだ。こっちを10時に出て羽田には11時25分。だから病院にはお昼過ぎか。間に合うかな」
「大丈夫だと信じよう!」
「あぁ」
そうだ、早速、さっき憲吾が教えてくれた言葉を使ってみるか。
「みっちゃん、ベランダに出てみようぜ」
「どうしたの?」
「ちょっとな」
みっちゃんを、外にエスコートした。
「足下に気をつけて」
「んふふ。どうしたのよぉ~ 漫画の読み過ぎ?」
「違う違う、小説の読み過ぎだ」
「なんだろ?」
ベランダに出ると満月がぽっかりと浮いていた。
すごいな! ムーンパワーを浴びよう!
「みっちゃん、月が綺麗だな」
「え……えええ。ヒロくんが知ってるなんて! 死んでもいいわ!」
へっ?
「死んじゃ、駄目だー!!!」
「やだ、これは決まり文句よ。もう、近所に聞こえるじゃない」
「なんだーそうか、焦ったぜ。ちゃんと最後まで教えてもらうべきだった」
「うふふ、インテリそうな憲吾さんの受け売り? ロマンチックなのもたまにはいいね」
みっちゃんが、俺にキスをしてくれた。
背伸びして、まるで夜空に浮かぶ月みたいなお腹を抱えて。
「ありがとう。いつもありがとう」
幼馴染みで長い付き合い。ムードもへったくれもないが、たまにはいいな。
子供が生まれたら、こんな時間もまた減ってしまうから。
「愛してる――みっちゃん」
「うん、私も!」
やっぱり、俺たちにはこちらかな~?
なんて、思いながら抱き合った。
****
「みーくん、元気にしてる? もうすぐお空からあなたの近くに行く、女の子がいるのよ」
星からの声がする。
「母さん……もしかして……それって」
「そうよ。憲吾さんのところに、もう旅立ったわ」
「よかった。待っているんだ、僕も宗吾さんも芽生くんも楽しみに」
「大丈夫、大丈夫よ、信じて、見守ってあげて」
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