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見守って 27
「あーちゃんパパぁ~、こっちこっち」
芽生に手をグイグイと引っ張られた私は、どんな顔をしているだろう?
必死にポーカーフェイスを装うとしても無理だった。頬が自然に緩んでしまう。
『パパ……』
そんな風に呼んでもらう日がやって来るなんて。
美智にも、早く私のこの姿を見てもらいたい。それから、美智も芽生に『あーちゃんママ』と呼ばれたら嬉しいだろうな。不思議なことに美智のことばかり考えてしまう。
ガラス窓に手をあてて中を覗き込んで見ると、こちらには声は届かないが、彩芽が真っ赤な顔で泣いていた。口を動かして泣き叫ぶ様子がスローモーションのように見える。
「お、おい……彩芽、どうした? あぁ泣くな。宗吾、どうして彩芽はあんなに泣いてるんだ?」
思わず隣に立っていた宗吾の袖を引っ張って、聞いてしまう。
「何故って、赤ん坊だからですよ」
「あ、あんなに赤くなって、身体は大丈夫なのか」
「そりゃ、赤ん坊ですからね、赤くもなりますよ」
何を言っても、宗吾はゆったり構えたままだ。
すると瑞樹くんが優しい口調で……
「あーちゃん、どうしたの? うん、大丈夫だよ……うんうん、分かるよ」
すると彩芽はぴたりと泣き止み、瑞樹くんをじっと見た(ように見えた)。
瑞樹くんの共感に本能的に気持ちが落ち着いたのだろうか。不思議な光景だった。
「あ……憲吾さん、すみません。出過ぎたことを」
「いや、それいいな。君は赤ん坊に慣れているな」
「あ……あの実は……僕の弟が赤ちゃんの時、母がこんな風に話し掛けていたのを思い出したんです」
「では、君のお母さんは、泣いているいる理由が分かったのか」
「いえ……きっと赤ちゃんの泣きたい気持ちに寄り添ってあげていたのだと思います」
ポッと心に電灯が灯るようだった。
優しい白熱灯の明かりが、和やかな気持ちを連れてくる。
「いいな……気に入ったよ。その考え」
私はいつから素直に人の意見に耳を傾けられるようになったのだろうか。
瑞樹くんの優しい口調、相手に寄り添う優しい考えに癒やされてから、私もそうありたいと願うようになっていた。更に願うだけでなく、実行してみようと思った。すると不思議なことに、どんどん周りの人が私に優しくなったのだ。
「憲吾、瑞樹くんの言う通りよ。生まれたばかりの赤ちゃんが泣いている理由は不快を訴えている場合が殆どよ。暑かったり空腹だったりで……でも、赤ちゃんの立場に立ったら、今の瑞樹くんみたいに顔を見て……何か嫌な事あったの? 大丈夫。ここにいるよって声を掛けてもらったら、嬉しいわよね」
母さんの言葉には、更に重みと深みがあった。
「いいですね。美智にも教えてあげようと思います」
「そうね。今時はパパも協力して子育てするものね。頑張りなさい。新米パパ!」
「か、母さんまで」
「ふふ。いい顔してるわよ。いっそその銀縁眼鏡やめたらどう?」
「ははっ、間違いなく彩芽ちゃんに壊されるぞ、兄さん」
「くすっ」
和やかな笑い声が病院に響いた。
「おじさん、じゃあ、あーちゃんは泣いてもいいんだね」
「そういうことだな。教えてくれてありがとう」
「えへへ」
芽生の頭を撫でてやると……芽生は明るく笑った。
「あー、かわいいなぁ~、あーちゃんは泣いてもかわいいなぁ~」
それから日溜まりの言葉を、置いてくれる。
「兄さん、赤ん坊は泣いて俺たちと交流しようとしているんだな。だから泣かれることを恐れないでいんだな。って……俺も失敗だらけさ。男親は気が回らないからなぁ。でもめげずに学んでいけばいいのさ」
大らかな宗吾らしい励ましに、張り切りすぎていた心も落ち着いていく。
「なぁ……お前から見たら私も生まれたての赤ん坊のようなのか」
恐る恐る聞いてみる。
「ぷっ、兄さんが赤ん坊だなんて、違う違う! えっと、子育て1年生だ」
「あ、おじさんも、1年生なの?」
「そうだ。芽生と一緒で学びたいことばかりだ」
「じゃあ、いっしょにがんばろうね」
芽生がニコニコ笑いながら、ガッツポーズを取ったので、私も恥ずかしながら「おじさんもがんばるよ」と、ガッツポーズを取った。
父親になった私は……こんな風に周りの言葉に耳を傾け、妻と一緒に彩芽を育てていく。
私も娘と一緒に成長できるように、柔らかい心を忘れない。
芽生と一緒のピカピカの1年生なのだから。
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