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見守って 26

 ガラスの向こうの透明なケースの中に眠る小さな赤ちゃん。  あぁこんな光景は、弟の夏樹を思い出す。  僕が5歳の時、夏樹が産まれた。  …… 「瑞樹、見えるか。ほら、抱っこしてあげよう」 「う、うん」  もう5歳だったけれど、身体の小さかった僕には、背伸びしても赤ちゃんの顔がどうしても見えなくて困っていた。  するとヒョイとお父さんが抱き上げてくれた。  少し恥ずかしかったけれども、久しぶりの抱っこが嬉しくて、お父さんの首に手を回してくっついてしまった。 「はは、くすぐったいよ。今日の瑞樹は甘えっ子だな」 「あ、パパ、よく見えるよ」 「ほら、この子が瑞樹の弟だぞ」  さっきまでこの赤ちゃんはお母さんのお腹の中にいたのに、不思議だな。    わ、小さな手、わ、爪ちゃんとついている。わ、お口もちいさい。 「パパ、この子のおなまえは?」 「夏樹だよ」 「なつき……」 「そうだ。なつきの『樹』はみずきの『樹』だから、瑞樹一文字もらったんだ。瑞樹みたいに優しく元気に成長しますようにと願いを込めたんだ」 「うれしい! うれしいよ。僕、大切にする。夏樹のこと、ずっと!」  ****  憲吾さんと芽生くんの会話に、涙がこぼれそうだ。  僕は最近幸せすぎて、涙もろい。  僕もね、弟と一文字一緒だったのがとても嬉しかったので、芽生くんの嬉しい気持ちがよく分かるんだ。 「瑞樹くん、娘の名前どうかな?」  あやめの花は、5月を代表する花の代名詞で、あやめ、かきつばた、菖蒲など、あやめ属の花を「菖蒲《あやめ》」と呼んでいる。    あやめは、すらりと伸びた茎に1~3輪ほどの花を咲かせ、多年草なので毎年美しい花を楽しめるのが魅力で、花業界でも愛されている。  芽生くんの『芽』を使ってくれるなんて嬉しいな。成長する芽を彩る存在になってくれるのだね。人と寄り添う素敵な名前に感激してしまった。 「彩芽ちゃん、とても素敵な名前ですね」 「あぁ、美智と一緒に考えたんだ。赤ちゃんが生まれてくるのを待ちながら楽しい作業だった。優しく明るく真っ直ぐ育っている芽生は、私たち夫婦の憧れだ。そして五月は瑞樹くんと芽生の誕生月だから、それにちなんだ名前にしたかった」  予定日は6月だったのに……なんだか、もう心が満たされてポカポカだ。 「瑞樹くん、私もその……花言葉を勉強したんだ。『あやめ』の花言葉は、希望、愛、朗報、優雅……そして『あなたを大事にします』だよな? これで……あっているか」  憲吾さんが、小さな咳払いをして照れくさそうに、花言葉をいくつも口に出してくれたのが嬉しかった。 「憲吾さん、改めておめでとうございます。僕も自分のことのように嬉しいです」 「瑞樹くんも家族の一員だ。彩芽のこともよろしく頼むよ。花が好きな優しい娘になって欲しいんだ。だから……」 「はい、僕で出来ることがあれば……是非!」  こうやって僕を一員にしてくれる憲吾さんが、大好きだ。  宗吾さん、お母さん、憲吾さん、美智さん、そして芽生くん。  滝沢家の人たちの心は、大らかな海原のようで、僕ものびのびとした気持ちなっていく。  本当に居心地がいい場所だ。 「あ、あの、僕があやめの花言葉で一番好きなのは『あなたを大事にします』です!」 「私もだよ」    相手を大事にすること。それは人を愛することだと思う。  人は誰もが大切にされるべき存在だ。これは宗吾さんと芽生くんと過ごすうちに自然と芽生えた感情だ。  僕も……自分自身も大切に、そして相手も大切にしたい。 「瑞樹くん、頼りにしているよ」 「ありがとうございます」 「ヤバい……二人の会話に、俺、泣きそうだ!」  隣で宗吾さんが目を赤くして、うるうるしていた。 「俺さ、人と人は全員違うと思ってる、だからこそ互いに認め合って、許し合って……思いやっていきたいんだ。兄さん、俺とそんな関係を目指してくれてありがとうな」  憲吾さんと宗吾さん。  ずっと上手くいってなかったのは知っている。あの日、お母さんが倒れた日の憲吾さんと、今目の前にいる憲吾さんが同一人物だなんて信じられない。  人は変われる、いくつになっても変わりたいと願う心があれば。 「あ、あー赤ちゃん目をあけたよー、あ、泣いちゃいそう」  芽生くんが嬉しそうに教えてくれ、トコトコ僕たちの前にやってきた。  それから憲吾さんの手を、グイグイと引っ張った。 「あーちゃんパパ! あーちゃんがさがしてるよ」   

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