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ゆめの国 5

 ゴンドラが動き出すと、先ほどまでの視点が一転した。 船上から見上げる景色は、行ったこともないが分かる。イタリアのベネチアの街並みそのものだ。優雅な心地で眺めていると、まるで本当にイタリア旅行を楽しんでいるみたいな気分になった。  いつかの夢が、もう叶ったような錯覚に陥る。 「わぁ~ お兄ちゃん、ぶつかりそう」  橋を潜る時、その迫力に芽生くんが驚いて小さな手を彷徨わせた。  だから僕が、その手をギュッと握ってあげた。   「大丈夫だよ。漕ぎ手はプロだからね」 「そうだね。ふぅ……ちょっとおどろいちゃった」   すると漕ぎ手のお兄さんが、芽生くんに声をかけてくれた。 「坊や、大丈夫かな?」 「あ、はい。あ、そうだ。あのしつもんしてもいいですか」 「ん? 何ですか」 「このお船って、1さいのあかちゃんも、のれますか」  ん? 宗吾さんと顔を見合わせてしまった。  もしかして、彩芽ちゃんのことを尋ねてくれたの? 「パパやママに抱っこしてもらうか抱っこひもでなら、大丈夫ですよ」 「よかった~、じゃあ来年にはあーちゃんといっしょにのれるんだね」 「妹さんかな? 楽しみだね」 「はい!」  微笑ましい会話だった。  もう芽生くんの中では、彩芽ちゃんは妹のような存在なのだね。 「パパ、お兄ちゃん! あーちゃんが乗れるのりもの、ひとつ見つけたよ」 「あぁ、よかったな。もっと探してみよう。芽生はパパに似てリサーチ好きだな」 「えへへ」  うん、本当にパパに似てきたよ。きっと成長するにつれ、どんどん似てくるのだろうな。  あれ? もしかして好きな人によく似た芽生くんの成長を見守っていけるって……僕、すごい役得?  「お兄ちゃん、なんだかごきげんだね」 「え?」 「ほっぺが、ニコニコしてる」 「あ、ありがとう」  よかった! ニヤニヤと言われたらどうしようかと思ったよ。   「パパはニヤニヤだけどね」  芽生くんが小声でそんなこと言うのだからもう、チラッと宗吾さんを見つめると、バッチリ絡め取られた。  クマ耳つけても、宗吾さんらしさは健在だ。凜々しいクマのお父さんですね。 「瑞樹、写真を撮るぞ」 「あ、はい」  ゴンドラに乗って、運河に架かる橋をいくつか潜ると大きな海に出た。そこで、宗吾さんに写真を撮ってもらった。 「あ、あの僕も撮ります」 「ありがとう」  芽生くんと宗吾さんのツーショットは、まさにクマの親子だ。クリスマスの着ぐるみを思い出すな。この写真……憲吾さんに見せたら喜んでもらえそうだ。  僕はすぐに憲吾さんに、写真と一緒にチャット式のメッセージを送った。 「ゴンドラに乗っています。来年はご一緒に」  すぐに既読がつく。 「瑞樹くんの写真も送ってくれ」  え? 照れくさい。 「はは、瑞樹のは、今、俺から送ったぜ」 「わ! 早いですね」  流石の素早さだ。 「降りたら家族写真も撮ろう、いいスポットがあるんだ」 「はい!」     また運河に戻っていく。  ゴンドラがすれ違う時、皆で「チャオ!」とイタリア式の挨拶をした。  ひときわ大きな声は、芽生くんだ。 「ちゃお~!」 「さぁ間もなく願いが叶う橋です。歌を歌っている間、皆さんはお願い事をしてください」  橋の下を潜る時に、舵を取っている漕ぎ手さんが『オー・ソレ・ミオ』を歌ってくれた。  僕も願おう……!  宗吾さんと芽生くんとずっと仲良く暮らせますように。  家族三人、ずっと仲良く暮らせますように。  パパとお兄ちゃんと、ずーっと一緒にいれますように。  僕らの願いは一つに揃う。 「お! メイくーん、みずきくーん、お誕生日おめでとうございます!」 「え?」  いきなり漕ぎ手さんに言われてびっくりした。    なんで名前? なんで誕生月だと、知っているのだろう?  僕が怪訝な顔をしていると、芽生くんにシャツを指さされた。 『お誕生日おめでとう! みずきくん』   「お兄ちゃん、これこれ!」 「あ、そうか、お誕生日シールには名前も書いてあったね」 「うれしいなぁ~! 大好きなお兄ちゃんのお誕生日を、いっぱいおいわいしてもらえて」  芽生くんが、今日も嬉しい事ばかり言ってくれる。  ここが『ゆめの国』って、本当だ。   ならば……願い事の続きをしよう。  天国のお父さん、お母さん、夏樹に届け!    僕は今幸せに生きている。  だから安心して下さい。  **** 「フッ……」 「え? 憲吾さん。今……もしかして『フッ』って、笑った?」  病院の個室でスマホを開いて、つい声が漏れてしまった。  彩芽を抱っこしている美智に、思いっきり怪訝な顔をされ照れ臭い。 「あ、いや……その……可愛い動物の親子がいるなって」 「は? あ、もしかして瑞樹くんたちの写真? 私にも見せて」 「あぁ、芽生と宗吾はくまの耳をつけているよ。瑞樹くんはうさぎだ。楽しそうだな」  美智に見せると、一緒に喜んでくれた。 「やっぱりお礼、テーマパークのチケットにして良かったわね」 「あぁ、楽しそうだ。来年は……彩芽の1歳の誕生日で私たちも行こうな」 「うん! 励みに頑張るわ。ねぇ憲吾さん、この子……本当に私のお腹の中にいたのよね?」 「あぁ、私と美智の娘だよ。その……抱っこしてみていいか」  おずおずと申し出ると、美智にやはり笑われた。 「いやだわ。彩芽は憲吾さんの娘よ。抱っこしてくれないと困るわ」 「その、まだ首も据わっていないし……小さくて頼りなくて……緊張する。人は……こんなにも小さく生まれてくるんだな」 「そうね。色んな人の手を借りて大きくなっていくのね。私たちもそうやって大人になったのね」 「あぁ、そうだな。大人になると忘れてしまうが、こうやって今度は自分たちが親になり体験していくのだな」 「うん、感謝だね」 「あぁ感謝だ。周りの人に……そして美智に」 「あ……」  私は母になった美智に、口づけした。 「祝福のキスだよ。母になった美智は、私の妻だ。その……あ……」  美智も私も不慣れなことをしているので、真っ赤だ。 「憲吾さん、あの……」 「その……」 「ふぎゃあああー!」  っと、そこでいきなり抱っこしていた彩芽が大泣きだ。 「あ、おっぱいかな。おむつはどうかな? 濡れてる? 憲吾さん確認して」 「え? わ、私におっぱいは無理だ」 「え? あ……もう、くすっ、いやだぁ」 「あ? そうか、おむつのことか」  親になるってこういうことか。  自分本位な時間とは、暫しおさらばだ。  赤ん坊と一緒に泣いて笑って、親になっていく。  

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