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夢から覚めても 3

 俺は菅野良介《かんのりょうすけ》     大学卒業後、花の総合商社、加々美花壇への就職と同時に東京と埼玉の狭間、(住所は埼玉だ)に一人暮らしを始めた。  平日は一人暮らしを謳歌し気ままに過ごしてはいるが、週末は彼女もおらず暇なので、江ノ島で土産物屋を営む実家に帰省することが多い。  今週末も、実家の店番を頼まれて帰省していた。  朝、ドタバタと木造住宅の階段を踏みしめる足音。  部屋のドアをバーンっと開けて大声を出すのは、実家で同居している姉貴だ。 「もう! 良介ってば、いつまで眠ってるの。起きなさい!」  そのままドシンっと背中に乗っかられ、うめき声が上がる。 「イテテ……」 「悪いけど、ゆうとの面倒みてて」 「えー、なんでぇ……俺、まだ眠いのに」 「あんたの甥っ子でしょ! ほらほら起きなさい」  布団を引き剥がされ、無理矢理、起こされる。  しぶしぶ支度をして下の部屋に行くと、俺の分の朝食が用意されていた。 「やった! 鮭だ! 卵焼きまである。しじみの味噌汁まで~ あぁ実家は天国だな」  母さんが用意してくれた愛情てんこ盛りの飯をかっ込んでいると、背中に衝撃を受けた。 「ゲホっ。ゆうと! 食べてる時はよせ」 「おじちゃん、あそぼー」 「待て待て、食事が先だ」 「じゃあ、お庭にいるね」  ゆうとは、姉の長男で、幼稚園の年長さんだ。 「わーい、わーい!」  なんだ?   縁側に目をやると水色の傘を振り回していた。 「なんだよ。今日は雨か」 「おじちゃん、よくはれているよ」 「だって傘さしているじゃねーか」 「雨じゃないとカサはさしちゃいけないの?」  正論だ! 別にそんな決まりや法律はない。 「じゃあ、どうして晴れているのにさしているんだ?」  随分とご機嫌なので聞いてみた。 「虹が出てるんだもん」 「えー? どこに」  思わず箸を置いて、縁側から空を見上げた。 「おーい、どこにも出てないぞ」 「おじちゃん、こっちこっち」  一見水色の傘だが、広げると虹が内側に描かれていた。 「あ、ここに出ているのか」 「そう。いつでも虹にあえるんだよ。雨の日がまちどおしいや」 ゆうとの明るい晴れ渡るような笑顔に、ふと会社の同僚の顔が浮かんだ。  葉山にも、こんな笑顔を浮かべて欲しいな。 「おじちゃん、これね、ちゃーんとこどもようのカサで、ほらここまるくなっているから、もしも、人にぶつかってもいたくないんだよ」  傘の骨の先は、丸い玉みたいな加工がされていた。   そっか、丸いと当たってもそんなに痛くないよな。  人の心もギスギスと尖っていなくて丸いと、たとえ意見が衝突したって尊重しあえるよな。  葉山とは……仕事ではたまに意見が衝突というか違うことがある。  だが、あいつは丸く優しい心で、俺の意見も尊重しながらよりいいデザインを提案してくれるんだよなぁ。  葉山の傍は、いつだって居心地がよい。  だからさ、俺……葉山の恋人が同性なのも、その相手が子持ちだってことも、すんなり受け入れられたんだぜ。  両親を事故で亡くした葉山にとって、頼れる甘えられる一番近い存在が宗吾さんなのだ。そして、その息子の芽生坊はめちゃんこ可愛い小学生だ。  そういえばこどもの日が誕生日だって言ってたな。  芽生坊もきっとこんな傘、好きだろうな。  これ、あげたら喜ぶかな?  想像すると葉山と芽生坊が嬉しそうに傘を差し、空を見上げている光景が目に浮かんだ。    「なぁ、ゆうと、これさ、どこで売っているんだ? どこで買ってもらった? おじちゃんも欲しいんだ。頼む。教えてくれよ」 「そんなのかんたんだよ。うちのお店でうってるもん」 「そうなのか!」  おぉ!? そうか土産物のひとつか。 「サンキュ! ねーちゃん、俺もゆうとと同じ傘が欲しい!」 「良介には無理よ。子供用だもん」 「だから欲しいんだよ。プレゼントだ!」 「まぁ熱心ね。でも、気の利いたラッピングできないわよ」 「いいって、傘自体の気が利いてる!」 ****  芽生坊への傘を渡すと、葉山は花が咲くように可愛く笑ってくれた。  その姿を見て、やっぱりこれにして正解だと思った。  それに今日はちょうど急に天気予報が外れてザーザー降りの雨になったので 、早速役立ちそうだな。 「菅野、本当にありがとう! これね、きっと芽生くん喜ぶよ」 「あぁ、気をつけて行けよ。少し位、到着が遅れても芽生坊は葉山を信じているから大丈夫さ。焦るなよ」 「うん!」  葉山の無邪気な笑顔を見られると、俺の心も浄化される。  警戒心の強かった葉山が、ここまで俺に気を許した笑顔を向けてくれるようになったのが嬉しかった。  大切にしたいよ。  この縁を。  俺は、葉山の家に宿泊した時、お前からもらった言葉をちゃんと覚えているぜ。 『僕と宗吾さんとの関係を曝け出せたのは、菅野だからだ。僕の秘密を守ってくれる。それに僕を笑わせ、嫌なことを忘れさせてくれる。一緒にいて安心できるし、僕の幸せを喜んでくれる……そんな菅野は僕の親友だよな?』  何度でも返事をするよ。  俺と葉山は……心から理解し合える友人、信じあえる友、お互い仕事に真摯に向き合っている友だ。  心友、信友、真友……全部、葉山にあてはまるぜ!  外はザーザー降りだったが、俺の心は晴れていた。  目を閉じると、傘に浮かんだ綺麗な虹が見えた!

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