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夢から覚めても 8
北海道、函館。
「ヒロくん~ 赤ちゃん動いているよ。触ってみて」
「胎動か! おっと手を洗ってくるよ」
「くすっ。早く、早くね!」
店じまいし寛いでいると、風呂上がりのみっちゃんに呼ばれた。もう臨月のお腹はまん丸で、靴下を履くのも落ちた物を拾うのも大変そうだ。
店番も今月からは産休と称して休ませているが、相変わらず働き者で、常に身体を動かしている。きっとこのまま予定日に元気に出産するだろう。
「ここ、ここを蹴ってるのよ」
「本当だ!
妊婦さんのお腹は硬すぎず柔らか過ぎず、不思議な感触だ。時折むにゅうっと胎児が足を伸ばしている様子が、外から分かるのには感動した。
「本当にいるんだな。ここに……俺らの赤ん坊が」
「うん。どっちかなぁ。男の子かな? 女の子かな?」
「どっちでもいいよ。みっちゃんと赤ん坊が無事ならば」
俺たちはあえて性別は聞かず、生まれてからの楽しみにしていた。
「俺も、もうすぐ父親かぁ」
「私も、もうすぐ母親かぁ。そういえば、東京の憲吾さんの所に赤ちゃんが産まれたのよね」
「そうだ、瑞樹が早速叔父馬鹿しているよ」
瑞樹からは、可愛い赤ん坊の写真が送られてきた。それから赤ん坊を囲んで、皆で撮った集合写真もあった
あれには泣けたな。
瑞樹は綺麗な笑顔を浮かべて、場に溶け込んでいた。滝沢家の家族に囲まれて、はにかんだ笑顔を浮かべていた。
ついに家族の一員に迎え入れられたんだなと実感したよ。
「女の子だったのよね。可愛いでしょうね」
「だろうなぁ。俺たちの子も可愛いさ~」
「ヒロくん、もうお父さんの顔だね。あ、電話……」
「俺が出来るよ」
電話はちょうど瑞樹だった。
「あの……僕……」
「瑞樹! 分かるさ」
相変わらず甘酸っぱい奴。
「あ……だよね。今日、虹色のカーネーションが届いたよ。ありがとう。すごく綺麗だった。兄さん、七色は難しいのに綺麗に咲かせたんだな。すごいよ」
そしていつまでも可愛い弟だ。いつも目一杯褒めてくれる優しい瑞樹。
「へへっ、ちょっと頑張ってみたんだ」
俺も年甲斐もなくエヘンと自慢モードだ。
俺さ、いつまでも瑞樹の兄でいたいんだ。だから、いさせてくれよ。
「兄さん、ありがとう。あのね……さっき、北の方角に向かってお参りしていたんだ」
「そうか、お父さんに捧げてくれたのか」
「うん」
「俺もしないとな」
「そうだね。あと……虹色のカーネーションは会社でも扱っているけど、原色でもっと派手な色合いなのに、兄さんの咲かせた虹は柔らかい色合いだったね。だからかな、飾っているととても穏やかな気持ちになったよ」
俺の拘りをすぐに理解してくれるのもいい。
「瑞樹が俺の弟になってくれたことに感謝しているんだ。なぁ瑞樹……『感謝』って言葉はいいな。とても素直な気持ちになる」
「そうだね。僕もよく使うよ」
ありがとうと言うだけでなく、己の心を揃えて相手に向けているような言葉で、好きだ。
「みっちゃんは元気? 赤ちゃんは予定日通りなのかな?」
「そうだな。今のところ順調だから」
「生まれたら、すぐに駆けつけたいよ」
「よせやい! 瑞樹には仕事があるだろう。無理すんな」
「でも、広樹兄さんの子供なんだよ! 生で見たいんだ。すぐに帰りたいよ」
珍しく瑞樹が積極的に『帰りたい』と言ってくれるので、じわっとした。
もう滝沢家に嫁にやった気分だったから(古風過ぎる発言だが)、やっぱり嬉しかった。
「兄さん、聞いてる?」
「あぁ」
「1日でも一目でもいいから、会いに行くよ。お父さんになった広樹兄さんに、お母さんに、みっちゃんに……赤ちゃんに会いたいから」
瑞樹の言葉に熱が籠もる。
「瑞樹、どうした?」
「今の僕がこうしていられるのは、広樹兄さんが僕を見つけてくれたからだよ。そのことにいつも感謝しているんだ。でも今は……不思議なことに感謝だけじゃないんだ。ただ単純に会いたいって思うんだ。兄さん、こんなの変かな?」
嬉しかった。
普通の家族みたいに会いたい時に、会いに来いよ。
瑞樹の北の家は、今はここだろう。
「変なはずない! だから瑞樹の来たいタイミングで帰省したらいい」
「帰省か。うん……兄さん……5月の連休は帰れなかったし、兄さんに会いたい。あ……ごめんなさい。兄さんはもうお父さんになるのに……僕、兄離れ出来てなくて」
「いいんだ。瑞樹は、瑞樹だ。そのままでいてくれ」
父になるのと、兄でいるのは別に考えてもいいか。
恋人が同性の瑞樹には実子を持つ日はやってこない。つまり瑞樹は永遠に実父になることはない。だが、 その分、芽生くんの父親として宗吾と力を合わせて生きていくのだろう。
俺は弟……瑞樹のそんな生き方をずっと応援していく、良き理解者でいたいんだ。
「兄さん、話していたら会いたくなってきたよ。産気付いたらすぐに教えてね。絶対に会いに行くから」
「おぅ、予定日は6月28日だ」
「もう、手帳に書いてあるよ。どうか……安産になりますように」
きめ細やかで優しい弟との会話に、仕事の疲れも吹っ飛んだ。
****
「宗吾さん、お待たせしました」
「電話終わったのか」
「はい」
「皆さん元気だったか」
「順調だそうです。あの……」
瑞樹が躊躇いがちに口を開く。
「なんだ?」
「赤ちゃんが生まれたら帰省しても……?」
「当たり前だ。会ってこい。瑞樹の大切な兄の赤ちゃんだ、俺も見たい」
「え……」
「今年は俺の仕事で5月の連休どこにも行けなかっただろう?」
瑞樹の手を引いて、布団の中に閉じ込める。
「でもその代わりに、先日ゆめの国に連れて行ってもらいました」
「北の国にも行きませんか、お姫さま」
「な、何を言っているんですか! くすっ、でもお気持ち嬉しいです」
花のように微笑みながら、嬉しいことを呟いてくれた。
「帰省したい気持ちと、ここで宗吾さんと芽生くんと暮らす日々。どちらも大切で……だから……帰省について来ませんかって……僕からお誘いしようと思っていたんですよ」
「君とは、いつでも以心伝心さ」
「嬉しいです」
瑞樹から唇を重ねてくれる。
それが嬉しくて、薄い肌掛け布団の中に君を巻き込んでいく。
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