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湘南ハーモニー 21

「あ、あそこに魚拓もありますね」 「大きなイカと鯛だな。この部屋は田舎のばーちゃん家みたいだ」 「やっぱり、そうなんですね。僕は知らないですが……」  そういえば瑞樹には、祖父母がいないのだろうか。両親亡き後、誰も引き取ろうとしなかったのは何故だろう? まだまだ彼の亡くなった家族については謎が多い。だが、瑞樹から求めるまでは、そっとしておこう。今、こんなに幸せなのだから。 「あの扇風機や電話もテレビドラマに出てくるみたいですね」 「昭和な匂いがプンプンだな。これはこれで郷愁を誘い宣伝文句に使えるな」 「それって……昨日の民宿再開の話ですか」 「あぁ、今或るものを生かすコンセプトでやってみたい。例えばさ……ポスターの色合いは夕焼け色で……それで……」  いかんいかん、つい仕事モードになってしまうな。  そんな俺のことを、瑞樹は目を細めて見つめてくれていた。 「瑞樹、どうした?」 「あ、あの仕事モードの宗吾さんが格好良すぎて」  瑞樹が目元を染め上げてくれる。  俺は彼のこの表情が好きだ。ずっと憧れていた瑞樹特有の花のように可憐な笑顔だ。   「お、おい。せっかく静めたものが、制御不能になるよ」 「え? そんなつもりでは」  その時、芽生が寝言を!   「ん……たいちょう~ たいへんでしゅ。このヒコウキは、もう……コントロールできましぇん。あれ~」  ええ!? コントロール不能って!?  お互いの股間を見つめて、笑ってしまった。 「も、もうタイムリー過ぎますよね!」 「だな」  俺と瑞樹が明るく笑えば、オネショで濡れたパジャマの代わりに青い甚平を着せてもらった芽生が飛び起きた。 「パパーおにいちゃん、おはよう! とってもおもしろいユメをみちゃった!」 「芽生くん、楽しそうだったね。どんな夢だったのかな?」 「あのね、パパのコントロールボタンがこわれちゃて、ふらふらになったの」 「おーい、芽生! もうちょっとカッコイイパパにしてくれよ」 「うーん、でも、それはムリだよ~」 「どうして?」 「だってヘンタイさんだもん!」 「ええっ」  この発言には、三人で腹を抱えて笑ってしまった。    芽生、ヘンタイさん発言は、ここだけの話だぞ。しっかり頼むぜ! 「よーし、久しぶりに飛行機をしてやろうか」 「うん!」    芽生を足に乗せて高く持ち上げると、手を水平にしてブーンと声をあげて笑ってくれた。 「どうだ? パパの飛行機は高いだろう?」 「わゎぁ~ 安全うんてんでおねがいしまーす」  ****  芽生くんと宗吾さんの無邪気な笑顔が弾ける朝が心地良くて、僕は思いっきり伸びをした。するとはらりと浴衣がはだけてしまった。 「わ……瑞樹!」 「パパ、危ないよ」  グラグラと不時着してしまう。どうやら……宗吾さんのコントロールボタンが再び制御不能になってしまったようだ。  ん? 彼の視線を辿れば……  ぽろりと見えていたのは、僕の乳首だった‼  先ほどのキスで感じた先端がツンと尖っていたので、慌てて浴衣を掻き合わせた。 「瑞樹~ さっきからサービス精神旺盛だな!」 「ち、違います! も、もう閉店です!」    宗吾さんのこと『ヘンタイ』なんて、言えないよ。  僕もすっかり仲間入りだ。  でもこれは僕と宗吾さんだけの秘密。絶対にバレないようにしないと!  朝食後、今度は菅野と僕たちだけで、軽く海で遊ぶことになった。 「パパー あそんで!」 「おぅ!」    ワカメや貝殻が転がっている砂浜で、芽生くんと宗吾さんがビーチボールで遊び出したので、僕と菅野は肩を並べて座った。菅野は何か僕に話したいようだった。 「どうかした?」 「あのさ、朝はごめんな。母さんが唐突に、あんな話をして」 「ん……知らなかったから驚いたけど、僕の言葉は本心だよ。今、菅野は菅野の人生を生きていると感じているから」  菅野は小さな溜め息をついた。 「驚かせてごめんな。いつか葉山にはゆっくり語ろうと思っていたが、なかなか切り出せなくて」 「ううん、今まで僕は……僕のことで精一杯で……こっちこそごめん」 「謝るなよ。あのさ、彼女の名前は知花《ともか》って言ったんだ。花を知る……イイ名前だろう」 「ともかちゃんか。可愛いね」 「可愛い子だったよ。俺を好きになってくれて……俺も好きになったんだ」 「うん……いい恋をしたんだな、菅野は……」  菅野の横顔は明るかった。 「うん、いつの間にか彼女の夢は俺の夢になっていた。俺は今の職業が好きだ。葉山と一緒に働けるのもすげーうれしい!」 「僕もだよ。思えば菅野には何度も何度も助けてもらったね」 「よせやい、照れる。葉山と仕事を一緒にするうちに、俺は知花との別れを乗り越えられたんだぜ」 「僕……? でも、何もしていないよ」  ただ傍にいただけなのに―― 「葉山の瞳の奥に、ずっと知花の面影を感じていたんだ。だが最近の葉山の瞳には、もう彼女はいない。葉山が宗吾さんと付き合うようになってから、どんどん明るくなってくれて嬉しいよ。最近ではついに『ヘン……』おっと、何でもない」  ヘン?  聞き返そうと思ったら、菅野にいきなり手を引っ張られた。 「俺たちも海に入ろうぜ!」 「あ……うん!」  青い空と白い波に誘われるように、僕たちは肩を並べて、ジャブジャブと海に入った。  菅野が空を見上げて呟いた。   「知花が最期にこう言ったんだ。『お願い、どうかまた恋をしてね。私が終わりなんて嫌よ』と」 「……そうだったのか」 「俺さ、最近の葉山の笑顔を見ていると、天国の知花も……今はもう痛みも苦しみもない世界で笑っている気がするんだ。だから葉山はこれからも沢山笑ってくれよ。それで俺も葉山みたいな恋がしたいから、今度は俺を見守ってくれないか」  確かに最近の僕は、長いトンネルを抜け出た心地で過ごせている。そのことが菅野の心を前向きに出来るのなら、こんなに嬉しいことはない。   「うん。きっと菅野にも現れるよ。これからもよろしく!」 「おぅ! 葉山、これからもよろしくな」    僕たちは肩を抱き合い、明るく笑った。  今日の笑顔はきっと届く!   天国にいる知花さんと僕の家族に。  父さん母さん夏樹……見ていますか。  愛情も友情もこんなに温かいのに、ずっと儚く消えてしまうのが怖くて、深入りできなかった。でも……僕も、ちゃんと築けるようになった。いい風が吹く、爽やかな夏の朝を満喫している。それが嬉しくて、それに感謝している。 「菅野、江ノ島に誘ってくれて、ありがとう」 「葉山、それはこっちの台詞だ。来てくれてありがとう。そして、俺にもいい風をありがとうな」  

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