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湘南ハーモニー 35
「りゅうさん、この大きな黒いのモノって、なぁに?」
芽生くんが、カラオケマシーンの前を、ワクワク顔で歩き回っている。
部屋に戻ったと思ったのに、いつの間に?
翠を抱きしめなくて良かったと、密かに胸を撫で下ろした。
「これはカラオケだ」
「から……あげ? それ、ボクも大すきー!」
「違う、違う! あ、でも唐揚げが好きなのか」
「うん! でも、なかなかつくってもらえないんだ」
そうか……宗吾と瑞樹くんは普通の会社員で共働きだから、揚げ物は普段はキツいよな。
「おーし! じゃあ、今日は俺が沢山揚げてやるよ」
「やったぁ~!」
芽生くんはよほど唐揚げが好きなのだろう。俺の周りを万歳しながら、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。
感情に素直なんだなと目を細めると、翠は懐かしそうに見つめていた。
俺は幼い子供と過ごすのは初めてだが、翠は薙が5歳までは一緒に過ごしていたから、過去を懐かしんでいるのだろう。
「翠、もしかして薙も唐揚げが好きだったのか」
「うん、あの子もこんな風にピョンピョンと飛び跳ねていたよ。運動会の時は沢山揚げたから……あっ、ごめん」
「何を謝る?」
前妻の話に触れたことなら、気にしなくていい。
今、俺の前にいる翠が、俺の翠なんだ。
翠の過去は、もうただの過去でしかない。
過去は消せない……だから囚われすぎなようにしているのさ。
今、目の前で俺の色に夜な夜な染まってくれる翠の存在に感謝している。
芽生くんがカラオケに夢中になっているので、無性にこの場で翠を抱きしめたくなった。
「翠……」
「流、ここでは駄目だ」
「一瞬だけ」
「ん……」
手を伸ばしかけるとドタバタと人影が飛び込んできたので、慌てて離れた。
「芽生! こんなところにいたのか。探したぞ! 勝手に出歩くな!」
「芽生くん、とても心配したよ」
「あっ、パパ! お兄ちゃん」
今度は、宗吾と瑞樹くんの登場か。どうやら芽生くんは、勝手に部屋から出てきたらしい。
「あのね、すごいもの見つけちゃった!」
「ん?」
「これ、からあげマシーンなんだって。だから、今日のよるごはん、からあげだって!」
くくくっ……エヘンと得意気な顔は、宗吾そっくりだな。
「芽生~、これはカラオケマシーンだぞ。ここから音楽が流れてマイクで歌うんだ」
「えー!」
「ってか、かなりいいマシーンですね。これどうしたんすか。使っていいんですか」
今度は宗吾が目をキラキラ輝かせている。
こういう所は、俺と似ているよな。
「今日はカラオケ大会をしないか。宗吾、会場設置を手伝ってくれるか」
「おう! 宴会物なら任せておけ。俺は職場で、いつも宴会係さ」
「やっぱり、そうだと思ったぜ」
というわけで、腕まくりした宗吾と二人で黒くて大きなカラオケマシーンを奥の大広間に移動させた。
「なんかこれだけでは盛り上がらないな。装飾が足りない……流、何かあるか」
「そうだ。大学時代に勝手に製作したミラーボールがあるから、天上から吊すか」
「そんなのまであるのか! 流って万能だな」
「まあな」
兄さんを喜ばせたくて作ったんだ。真面目な兄さんは寺と大学の往復で、学生時代を終えてしまったから……
俺と宗吾は意気投合して作業を続け、あっという間に月影寺内に即席カラオケ店をOPENさせた。
芽生くんと眺めていた瑞樹くんが、パチパチと拍手してくれた。
「二人ともお疲れさまです。すごいですね。ここがお寺の中だなんて思えません」
「はは、俺は夕食の仕込みをしてくるから、自由に過ごしていてくれ」
「はい! 芽生くん、ゲームでもしようか」
「うん!」
いつもは静かな空間が、賑やかで和やかな光景に包まれていく。
それが嬉しくて溜らないぜ。
「流、僕も手伝うよ」
「兄さんは危なっかしいから駄目だ。特に今日は揚げ物だから」
「僕だって……何か手伝いたい」
「翠は……体力温存だ」
「な、何を言って……」
翠が赤くなる。
「宗吾さん、お疲れさま。あの、僕も何か手伝いますよ」
「いや、君は体力温存だ」
「えっ、ななな、何を言って」
瑞樹くんもまた顔を赤くしていた。
俺はますます上機嫌になる。
世間で憚られるような関係も、ここでは無意味だ。
互いが互いを尊重し、守り合っているのさ!
その時電話が鳴った。
場の雰囲気を壊さないように、俺が素早く出ると小森からだった。
「流さん~」
「なんだ、小森か。どうした?」
「あのあのあの……僕、どうしたらいいのか分からなくて」
「ん? 話してみろ」
翠の秘蔵っ子の小森風太が、今日いきなり恋に落ちた。
俺のいいつけ通りチューした報告を彼と一緒にしにきたから、一気にバレてしまって可愛かったな。
「あんこが食べられなくってしまったんです!」(なぬ? それは大変だ!)
「何か悪いもんでも食ったのか」
「実は……菅野くんが僕に満月最中を買ってくれたんですよ~」
「よかったじゃねーか。早く食え食え!」
「それが……もったいなくて食べられません」
初耳だ……!
あの小森から『もったいない』なんて台詞を聞く日がくるとは!
「どうしたらいいですか。食べて僕のものにしたいのに、愛おし過ぎて手をつけられないんです」
「ふ、ふ、ふ」
なんだか物の言い方よ。
「そんなの簡単さ」
「教えて下さい。師匠~」
「可愛い弟子よ。最中と一緒に寝てみればいい」
「寝る? 寝ちゃっていいんですか」
「優しく添い寝してやれよ」
「はーい! 流さんはいつも頼りになります。やっぱり僕の指南役ですね」
「くくく、また何かあったら俺を頼るといい」
「はい!」
電話を切ると、翠が怪訝な顔になっていた。
「流、また小森くんに余計なことを言って」
「なぁに、恋には障害がつきものさ」
「そうなの? じゃあ僕……これからも小森くんに最中をあげてもいいのかな?」
「ふっ、翠~ 小森に恋人が出来て寂しいのか」
「ち、違う……」
「俺たち兄弟で彼らの愛を鍛えてやろう。なっ」
「僕は意地悪はしないよ」
「あんこで手懐けるくせに?」
「も、もう――」
菅野くんの恋のライバルは、あんこ。
それで決定だな。今のところ劣勢だぜ!
****
「じゃあ、今からカラオケ大会を始めるぞ」
「誰から歌う?」
皆、譲りあって遠慮しあっている。
カラオケか……今日するとは思わなかったな。
僕は仕事で付き合い程度なら歌うが、トップバッターは無理だよ。
「じゃ、俺から歌ってもいいか」」
こんな時、率先して名乗り上げてくれるのは、宗吾さんだ。
彼らしい行為、彼らしい行動力には、いつも感服する。
あ……また、小さなステップアップだ。
僕は毎日毎日……宗吾さんが好きになっています。
「おー、何を歌う?」
「俺は瑞樹のために歌う! 歌を捧げるぜ」
「ちょっ、曲名を聞いたのに……もう、惚気てんなぁ」
「皆だってそうだろ? 歌は愛の代弁者だぜ」
「宗吾さん……恥ずかしいですから……もう、そんな大声で言わないで下さいよ」
僕は毎回彼からの熱愛に、はにかんでしまうよ。
でも……大好きです……宗吾さん。
あなたといると毎日楽しく、幸せです。
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