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日々 うらら 10
「葉山ー! 今頃、出社か」
「うん、今日は午後出にしてもらった」
会社に着くと、黒いエプロン姿で花材を運んでいる菅野とすれ違った。
「あー、芽生坊の新学期だからか」
「そうなんだ」
「あれ? お前、目元が……」
「え? 何でもないよ」
朝から大泣きしたこと、菅野にはバレバレなのかな。
「本当に?」
「ごめん……何でもないは嘘だ。実は……新学期で荷物が多いだろうから事前に午前休を取っていたのに、うっかり寝坊しちゃってね。そうしたら宗吾さんと芽生くんがもう出掛けちゃっていて、ショックだったんだ」
「あー それで寂しくなって、怖くなって泣いたのか」
菅野が花材を床に置いて真顔で聞いてきたので、首を横に振った。
「違うんだ、そうじゃなくて……芽生くんと宗吾さんから可愛い置き手紙をもらってね、『こわくないよ。大丈夫だよ』って書いてあって、だから」
「そうか、それなら良かったぜ! 俺もそれを聞いて安心したよ」
菅野がニカッと笑って、僕と肩を組んでくれた。
「葉山の目元が腫れているのは、嬉し涙だってのは分かった。でもその寝不足の顔は?」
「寝不足……? な、何でもないって」
「ふふん、宗吾さんが10日ぶりに帰国したんだろ~」
「も、もう! 菅野こそ、小森くんとどう?」
「わっ」
話を振ると、今度は菅野が真っ赤になった。
「照れるから、よせって」
「あっそうだ。宗吾さんからお土産があるよ」
「俺に?」
「んー 正確には、二人にかな?」
鞄の中からニューヨーク限定の『豹屋の羊羹』を取り出して渡すと、菅野は見たこともないような明るく甘い笑顔を浮かべていた。
好きな人がいるっていいね。
「うぉぉ~ すごい! 羊羹……小豆……レア……最高だ。こもりん泣いて喜ぶやつだー 宗吾さんはすごいな」
「っていうか、君たちのあんこの印象が強烈すぎて、忘れられないよ」
ふと月影寺で宗吾さんとした『あんこ味のキス』を思い出して、そっと唇を押さえてしまった。
「へぇ、葉山もそんな顔をするんだな?」
「え……」
「可愛い過ぎるぞ。無防備だから気を引き締めろよ。会社では女子にモテモテみずきちゃんだろ? ファンクラブだってあるんだから」
「お、大袈裟だよ」
「今日も頑張ろう!」
「うん!」
さぁ今日から9月だ!
仕事もプライベートも充実させていこう!
少しだけ日焼けして逞しくなった顔をエレベーターの中の鏡で見つめた。
宿題を終わらせた達成感は、僕の達成感でもあった。
この夏を、僕は満喫した。
夏樹が大好きだった夏を、お兄ちゃん……ようやく満喫出来るようになったよ。
夏を迎える前に、世界から消えてしまった弟に伝えたい。夏樹が経験できなかった小学1年生の夏休みを、芽生くんと謳歌出来たんだ。
夏樹……お兄ちゃんだけごめんね、でも、ありがとう!
僕は生きて生きて……この人生を生きていく。
ようやくだ。
ようやく心の底からそう思えるようになった。
『おにいちゃん、キラキラしてるね。天上の世界からも、おにいちゃんの命の輝きがちゃんと見えるよ』
そんな返事をもらったような気がした。
****
「じゃあ宿題を机の上に出して」
「はーい!」
「みんなちゃんと終わりましたか」
「はーい!」
ボクも元気よく手をあげたよ。
「ねぇねぇメイくん、さやね、おわらなくて昨日はたいへんだったんだ」
「ボクもだよ!」
さやちゃんがペロッと舌を出したので、ボクもマネしたよ。
「お母さんとお姉ちゃんが、てつだってくれたんだ」
「僕んちはパパとお兄ちゃんだった」
「わー、よかったね お兄ちゃんいいなぁ~ さやもほしかったよ」
「えへっ」
朝、言われたことを思い出したよ。
ボクはやっぱりさみしくて、かわいそうな子じゃないよ?
どうしてそんな風に決めつけちゃうの?
ママを見かけないから?
それだけで、ぜんぶ決まっちゃうの、つまらないよ。
「みんな絵日記を机に広げて、一番思い出に残っている日、ひとつにお星さまを描いておいてね」
「はーい」
わぁ……むずかしいな。
ひとつだけしかえらべないのは、タイヘン! ボクにとっては、毎日が一番だったから。
「よーし、決めた」
えのしまにりょこうと迷ったけれども、ボクの一番はやっぱり8月31日だよ!
お兄ちゃんとお出かけして、パパがかえってきて、みんなで協力して宿題をやった日だから、とってもタイセツな日だったよ。
パパがいてお兄ちゃんがいて、ボクがいる。
それがボクの「かぞく」なんだなって、思ったんだ。
あれあれ、なんだか急にお兄ちゃんに会いたくなってきちゃった。ボクのお手紙読んでくれたかなぁ? ひとりで泣いていないかな?
その晩、お兄ちゃんが放課後スクールに迎えに来てくれたから、飛びついちゃった。
「芽生くん! 帰ろうか」
「うん! お兄ちゃん!」
帰り道、朝顔の鉢の前によったよ。
「お兄ちゃん、ボクのお花だけまっ白だから分かりやすいんだよ」
「そうだね、キレイに咲いて、周りと馴染んでいるね」
「そうなの! 目立つんじゃなくて、なんだか周りの朝顔の色がとってもキレイにみえるんだよ」
「そうだね。ちょっと難しい言葉になるけど、白色って『柔軟色』なんだよ」
「じゅうなん?」
「うん、主張しすぎないでまわりを引き立てる優しい色なんだ。お兄ちゃんは白が好きで、お花でもよく使うよ」
「ボクも! お兄ちゃんみたいな色だから、大好きだよ」
お兄ちゃんが元気そうに笑ってくれているのがうれしくて、ギュッと手をにぎちゃった。
そうしたらね、お兄ちゃんがマンションの玄関をあけると、待ちきれない様子でボクをぎゅーっと抱っこしてくれたんだ。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「芽生くんからの手紙、とってもうれしかった。何度も何度も読み返したよ」
お兄ちゃんからは白いお花の匂いがして、気持ちよくて目を閉じた。ボクもきゅうに甘えたくなって、お兄ちゃんにくっついたよ。
「芽生くん……何かあった?」
「……ううん、お兄ちゃんがいてくれてよかったなぁって」
「ありがとう。そんな風に言ってくれて」
「お兄ちゃん、だーいすき」
「僕もだよ」
玄関先で抱っこしてもらっていたら、パパが帰って来たよ。
「おぉ? いいな、パパも混ぜてくれ」
「わぁ! つぶれちゃう!」
「宗吾さん、重たいですよ-」
「ははっ、狭いな、ここ」
わーい! いつものまいにちだ!
これが1年生のボクのまいにちだよ!
笑って、笑って、仲よくすごしているよ。
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