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日々 うらら 14

「瑞樹、瑞樹?」  宗吾さんの声が耳元で聞こえて、飛び起きた。  しまった! あれから何時間寝てしまったのか。 「どうした? こんな時間から眠るなんて」 「あ……あの、あ……」  寝起きで頭がぼんやりして、言葉が絡まってしまう。 「おい、落ち着けって、何かあったんだな」 「は、はい。実は……あの後体育で運動会の予行練習をしていて」 「芽生に何かあったのか」 「すみません。僕がちゃんと見ていなかったせいです」 「ん? それは違うだろう、小学校の授業中なんだから」 「でも……すみません。芽生くん……右手の指先を骨折してしまって 「骨折? あ、これか」  僕の隣で寝ている芽生くんの指先を、宗吾さんがじっと見つめた。   「はい……すみません。僕……」  宗吾さんの顔を見たらホッとして、なんだか身体に力が入らないよ。 「瑞樹、謝るなよ。ありがとう! 俺がいない間にそんなことになっていたなんて……ごめんなぁ。君を不安にさせて」 「僕のことなんてどうでもいいんです。芽生くんが痛がってかわいそうで」  そこまで話すと宗吾さんが真顔になった。 「瑞樹、それ以上言うと怒るぞ! 俺にとっては瑞樹も芽生も同じだけ大切なんだ」 「は……はい」  まだ自分に自信がないから、ついそんなことを口走ってしまう。   「瑞樹、子供に怪我は珍しいことじゃない。俺も公園の滑り台から飛んで額を縫ったし、自転車で転んで腕も折った」 「ええ?」 「だから、慣れっこだ」 「慣れなくていいです。もう……宗吾さん、額のどこを切ったのですか」    そっと彼の前髪に触れると、照れ臭そうに首を振った。 「前髪に隠れて見えないよ」 「そうだったんですね。痛かったでしょうね」 「はは、まぁ俺は喜怒哀楽がはっきりしているから大泣きだったよ。まだ幼稚園の頃だったしな」 「想像できます」 「芽生、痛がっていたか」 「最初はびっくりして泣けなかったみたいで、僕が行ったら大泣きで……でも病院では頑張りましたよ」  ギブスをつける時や先生とお話しをする時は、僕の袖を掴んで頑張って耐えていた。 「そうか、本当にありがとう」  宗吾さんが僕を抱きしめてくれる。 「瑞樹……頑張ってくれたんだな、芽生は君が傍にいてくれて、どんなに心強かったか」 「宗吾さん」 「君が居てくれて良かった。瑞樹……君で良かったよ」  宗吾さんは、いつも僕が安心する言葉を注いでくれる。だから僕は宗吾さんにしがみついて、堪えていた涙をほろりと流してしまった。 「これは……安堵の涙か」 「……はい」  僕たちは互いを包むように、抱きしめ合った。 「よかったです」 「俺もだ」 「ん……パパぁ」 「お? 芽生も起きたか」 「う……ん」 「どうだ? まだ痛むか」  痛み止めのお陰で幾分楽になったようで、芽生くんの顔に笑顔が戻っていた。 「さっきより、いいけどぉ……」 「ん?」 「こっちのおゆびつかえないと、たいへんだよ」 「あー、そうだな。ちゃんと手伝ってやるから安心しろ」 「おにいちゃん、どこ?」  僕は宗吾さんの背中で涙を流していたので、慌てて袖で拭った。 「ここだよ」 「おにいちゃん、あせかいちゃってつめたいよ。おきがえしたい」 「うん、分かった」 「おきがえさせて」  ベッドに座ったまま手を広げる芽生くんは、まるで出会った頃のように幼い仕草だった。   「なんだ? 芽生は赤ちゃんに戻ったみたいだぞ」 「だって、おゆび……いたいんだもん」 「そんな柔なこと言ってないで、自分でやってみろよ」 「でもぉ……」  芽生くんが悲しげに僕を見つめる。   「あの……宗吾さん、今日は僕がしてあげても?」 「ん? あぁそうだな。初めての骨折だもんな」 「はい! 今日はうーんと甘えて欲しいです」 「そうだなぁ」  宗吾さんはポリポリと髪を掻きむしっていた。 「悪いな。俺、どうもこういう時、大雑把で」 「いいんですよ。僕の役目があって嬉しいのですから」 「わぁい。おにいちゃん、メイ、だーいすき」  芽生くんがまた幼い口調になっている。可愛いな……甘えてくれて。   すぐに寝汗をかいた芽生くんのパジャマを着替えさせてあげた。  ボタンも全部留めてあげると、芽生くんが今度は恥ずかしそうに笑っていた。  頑張れば出来ないこともないけれども、今は甘えたい気分なのだろうね。分かるよ。  病気になると、お母さんが赤ちゃんみたいに扱ってくれたから、僕も赤ちゃんに戻ったみたいに甘えたんだよ。 『みーくん、ほら、あーんして』  お母さんの作ってくれたすりおろしリンゴの蜂蜜がけ……美味しかったな。 『みーくん、おきがえしようか、今日はママがぜんぶしてあげるね』    弟が出来てから甘えるのが恥ずかしくなった僕も、その日だけは遠慮なく甘えてしまったな。   「ほら、出来たよ」 「おにいちゃん、ありがと」   初めてこの家に泊まった時を、思い出していた。  まだ芽生くんも小さくて、ひとりで幼稚園の制服を着るのが難しそうだったから、手伝ってあげた。あの頃のあどけない感じ……とても懐かしい。 「瑞樹、そういえばランドセルは? 学校に報告はしたか」 「あっ! 慌てて体操着のまま病院に行って……そのまま寝てしまって」 「よし。まだ17時前だから取ってくるよ」 「すみません」 「謝るな。これは俺の仕事だよ、ついでに帰りに買い物もしてくる。芽生、何か欲しいもんあるか」 「アイスがたべたいな」 「了解!」  宗吾さんは行動が早い。こういう時、本当に頼りになる。 「パパ、あっというまにいっちゃったね」 「うん。芽生くんはどうする?」 「んっと、おのどかわいたな」 「くすっ、お茶をもってくるね」 「うん! あとテレビもみたいな」 「じゃあ、あっちにいこうね」    今日だけだろうが、全面的に甘えてくれるのが可愛い。僕がいないと駄目なのも、嬉しいよ。  子育ては毎日新鮮なんだな。  今日みたいなハプニングもある。  すくすく成長するとは、ただ真っ直ぐに伸びていくのではない。  たまには寄り道や、後戻りもしてもいい。  疲れたら休んでいい。  無理が一番良くないんだね。  僕は芽生くんを通して、今日も人生を学んでいる。  僕も一緒に、一休みしよう――    ソファで芽生くんを抱っこしながら、思うこと。  愛しい人の存在をゆっくり味わう時間だよ、これは――  

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