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日々 うらら 13

「瑞樹、悪い。急に連絡があって仕事に呼ばれちまった」 「あ……大丈夫ですよ。僕はこのまま見ていても?」 「もちろんだ、悪いがあとは頼むよ」  宗吾さんにポンと肩を叩かれた温もりが、心地良かった。  芽生くんを、僕に任せてもらえる。  それが嬉しかった。  一時間目が終わった所で、校門で宗吾さんを見送った。  そのまま体育館に移動するため歩き出すと、体操着に着替えた芽生くんとすれ違った。 「あっ、お兄ちゃんー つぎはうんどうかいのれんしゅうだよ~ みていてね」 「うん!」 「あれ? パパは?」 「急にお仕事が入ってね」 「そっか~ でもお兄ちゃんがいてくれてよかった」 「ありがとう。ちゃんと見ているからね」 「うん!」  ニコニコ笑顔の芽生くんが手を振ってくれる。  体操着姿、とっても可愛いね。    幼稚園の時より背が伸びたから、視線が前より近くなって不思議な感じだ。    宗吾さんは背が高いから、パパの遺伝子が強そうな芽生くんも大きくなりそうだ。  いつか抜かされてしまう日が来るのかな?  戸棚の物を取ってもらう日が来てしまうかもと思うと、照れ臭いよ。  僕もそんなに背が低い方ではないのだけれどもね。  その日までは一日一日を、いや一瞬一瞬を大切に過ごしたいよ。    校庭に着くと一年生だけでなく、上級生も集まっていた。 「縦割り班の競技の練習だったのね」 「わぁ~ 六年生って大人みたいな子もいるのね」  保護者の話声を聞いて納得した。どうやら学年ではなく、一年生から六年生までを縦に割った班ごとの競技練習らしい。 「ちょっといいですか」 「ごめんなさいね」 「あ、はい……」    校庭には大勢の父兄が集まっていて、遠慮しているうちにどんどん後ろになってしまった。  困ったな、父兄観覧ゾーンは決まっているので、これでは芽生くんの様子が見えないよ。  こんな時宗吾さんがいたらと、ちらりと思ってしまう。  僕は相変わらずこんな調子だ。  それでも頑張って人と人の隙間から覗き見た。 「デカパンレースですって、かわいい」 「大きなパンツね」  なるほど、大きなパンツに上級生と下級生が一緒に入って、駆けっこをするのか。    芽生くんはどこだろう? 「こっちこっち、こっちが見やすいわ」  またもやドンっと弾き飛ばされてしまった。  まだ運動会の予行練習なのに……参ったな。この分だと本番はもっと激戦だろう。  それでもちゃんと見守りたい。宗吾さんと約束したのだから。  そんなことを繰り返しているうちに、場が妙な雰囲気になった。  何だろう? 何かあったのか。  胸がドキドキする。これはとても嫌な予感だ。 「あら、かわいそうに」 「大丈夫かしら?」 「痛そうね」  そんな声のあと、一年生の担任がこちらに向かって走ってきた。 「すみません! 滝沢芽生くんの保護者の方いらっしゃいますか」  え!! 今、滝沢……芽生と?  心臓がバクバクした。  何事なのか。  目の前が真っ青になってしまった。 「あ……僕です。め……芽生くんに何か」 「あなたはお父さんですか」 「あ……いえ、あ、兄です」  咄嗟にそう答えてしまった。  すると先生は納得したように深く頷いてくれた。 「朝顔のお兄ちゃんですね。保健室に一緒に!」 「あ、あの芽生くんに何か」 「上級生に指を思いっきり踏まれてしまって怪我を」 「怪我!」  くらくらと目眩がして動揺したが、必死に奮い立たせた。  宗吾さんがいない今、僕が保護者だ。しっかり対応しないと。  保健室に近づくにつれて、僕の心臓は更にドキドキしてきた。  胸が痛いよ……芽生くん。  今、お兄ちゃんが行くからね! 「こちらです」 「芽生くん!」 「お、お兄ちゃんっ」 芽生くんは真っ青な顔で、泣くことも出来ずに固まっていた。  分かるよ。人はあまりにびっくりすると涙も引っ込んでしまうのだ。 「こっちに、おいで!」 「う……うん」  怪我していない方の手……震える手を僕に伸ばしてきたので、僕はしっかりその手を握りしめてやった。  絶対に離さないよ!   「滝沢芽生くんの保護者の方ですか」 「はい」 「こちらの不注意で、デカパンを履く時に五年生の子が、滝沢くんの右手を思いっきり踏んでしまって」 「そうなんですね、芽生くん大丈夫だよ。僕がついているからね」 「ぐすっ、ぐすっ、お兄ちゃん……お兄ちゃんっ」  芽生くんの表情が緩んでいく。  ようやく……やっと、芽生くんが泣けた。 「大丈夫。大丈夫だよ。お兄ちゃんがついているからね」 「い、いたい、いたいよぉー おゆびがいたいの」    今度は涙が止まらなくなる。それも分かる。  安心してくれたんだね。 「あの、指……青くなっていますよね。病院に行った方が?」  青というかドス黒い。もしかして、骨折しているのでは?   「えぇ、骨折しているかもしてないので、今すぐ整形外科に行ってください」 「分かりました」  僕は泣きじゃくる芽生くんと一緒に、整形外科に向かった。  すぐにレントゲンを撮ると案の定……芽生くんは右手の人差し指、第一関節部分を骨折していて、キャップのような青いギブスと痛み止めをもらって帰宅した。  診断では複雑ではなくほんの少し折れた程度なので、キャップ式のギブスで3週間ほど固定すればいいとのことだった。 「ズキズキいたいよ……、おにいちゃん……メイあるけない」 「芽生くん、おんぶしてあげるよ」 「うん」  帰り道、芽生くんはもうグズグズになっていた。  僕と二人きりになり、気が緩んだのだろう。  僕も……先ほどまで自分でも驚く程冷静に対応していたが、家に帰ってきたら一気に気が抜けてしまったようだ。 「おにいちゃん、メイ、ねむたい」  ショックと痛み止めの影響で、少し眠くなったようだ。   「お兄ちゃんと一緒に寝ようか」 「うん、おにいちゃん、メイ……指がズキズキいたいの」 「お兄ちゃんがいるよ」 「ぐすっ、いっしょにいて、ぎゅうして」 「うん」    僕はこんな状況なのに、心の中で少しだけ安堵していた。  最近、真っ直ぐに成長する芽生くんがいい子すぎて、少しだけ心配だったんだ。  しかしこんな風に、年相応にグズって甘えてもらえて、ホッとしたよ。  君はまだ一年生、たった六歳だ。まだまだ痛い時は泣いて、甘えたい時は甘えて、自分の感情に素直でいて欲しい。  僕は芽生くんを抱きしめて、背中を優しく撫でてあげた。 「芽生くん、大丈夫、大丈夫だよ。僕がいるから……」 「おにいちゃん……おにいちゃん」  指が痛むのか、なかなか寝付けない芽生くんを抱きしめると、狂おしい程の愛おしさと、この子の成長をしっかり見守りたい気持ちが溢れてきた。    あの日為す術もなく逝ってしまった夏樹を想えば、こんな時間を持てること自体が奇跡だ。  トントンと規則正しく背中を叩いてあげると、やがて芽生くんが眠りについた。つられて僕も眠くなってきた。 「夏樹……お兄ちゃん、頑張ったよ」 パニックになってもおかしくない状況だったけれども、今の芽生くんには僕しかいないと思うと、踏ん張れたんだ。  僕も少しは成長している?  少しは乗り越えていっているのかな。  過去の悲しい別れから……  羽ばたいて――

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