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降り積もるのは愛 10

「母さん行っておいでよ」 「そうですよ、お母さん、お店もお正月休みだし大丈夫ですよ」  広樹とみっちゃんに背中を押されて、私は飛行機に飛び乗った。  前に飛行機に乗ったのは、あの時だったから少し緊張するわね。 「落ち着こう……」    あの時とは……瑞樹が高校時代に付きまとわれていたストーカーに拉致監禁され、ようやく救助された時よ。  あの時は、飛行機の中でもずっと胸が潰れるような心地だった。広樹と潤に支えられながら搬送先の病院に向かったのよ。  遠い親戚のお姉さんの大切な息子を引き取ったのは、あんな事件に遭わせるためではない。私は親としての責任を果たせなかったと、自分を責め続けたわ。  病室で身体中に包帯を巻いて眠り続ける瑞樹を見た時、息が止まるかと思った。  澄子さんが事故で亡くなった光景を直接見たわけではないのに、その姿と重なり耐えがたいものがあったわ。  誰が私の大切な息子を酷いに目に遭わせたの?  未だにあの日を思えば怒りが湧いてくるのが本音よ。でも瑞樹はもう幸せに暮らしているのだから、私も忘れないとね。  でもね……正直、私にはまだ軽井沢は辛い思い出が真っ先に浮かぶ場所なのよ。  それは私だけではなく、潤も同じ気持ちなのよね。潤は自分が事件の発端になったことを責めていた。あの子がそのまま軽井沢で働くと決めた時に、何も言えなかった。敢えて惨い事件現場近くで働き続けるのは、あの子なりの懺悔の気持ちなのかもしれない。  ともかく正月に帰省もせずに、ひとりで見知らぬ土地で頑張る息子にエールを送りたかった。広樹が結婚して子供も出来て遠慮しているのも感じたのよ。  来ないのなら、私が行こう! 「母さんこっち! こっちー」  久しぶりの再会……潤は健康的な笑顔を浮かべていた。着古したセーターに作業着のようなズボンの息子が誇らしかった。  函館に居た頃のあなたは、見かけばかり気にして滅茶苦茶な服装で粋がっていたけれども、今は違うのね。  それは、懸命に働いている人の姿よ。  亡くなったお父さんもいつもそんな感じだった。 「母さん、元気だった?」 「潤こそ、元気だった?」 「まぁな」  ずっと寒空の下で待っていたのかしら? 鼻の頭を赤くして可愛いわね。 「ごめんな、こんな格好で」 「私もこんな格好よ」  私も着の身着のままで来たようなものだから、毛玉だらけのセーターを着ていた。  お互い見つめ合って笑ってしまった。 「似たもの親子だな」 「そうね」 「母さん、クリスマスに何もあげられなかったから、今日は服を買ってやるよ」 「え!」  潤がそんなこと言うなんて!  驚いて目を見開いていると、潤がもっと気まずそうに話を続けたわ。 「……あのさ、俺も服を買いたいんだけどさ、よく分からないから選んでくれよ」 「え? 潤のを」 「だから、一緒に買い物に行こうぜ」  びっくりしたわ。成人した息子と服を買いに行けるなんて思っていなかったから。  潤が連れて行ってくれたのは、軽井沢駅直結のアウトレットだった。 「まぁ! お洒落ねぇ」 「……だな」  ショーウインドウには今風のお洒落な服ばかり並んでいるので、気後れしつつ二人で歩いていると、フランスのアウトドア用品の前で、同時に足を止めて叫んでしまった。 「あっ、これ!」 「これ!」 「瑞樹に似合いそうね」 「兄さんにいいかも!」  お互いに顔を見合わせて、笑ってしまったわ。考えていることが一緒なのね。  それはミルクティーのように優しいベージュの、ダウンジャケットだった。 「あの子、私に札幌の高級ホテルの食事券をくれたのよ」 「俺にも、軽井沢プリンセスホテルのアフタヌーンティーチケットを」 「広樹たちにはゆめの国のチケットに飛行機代まで」  瑞樹は思い出を作る種を贈ってくれたのね。 「これさ、70%オフだって」 「本当だわ。すごいお買い得ね」 「なぁ母さんが半分出してくんない? そうしたら買えそうだよ」 「まぁ甘えて……いいわよ! その代わりあなたの分も買うわよ」 「へっ?」 「母さんね、兄弟でお揃いを着せるのが夢だったの。今からでも遅くないでしょ?」  私は思いきって広樹にはモスグリーン、瑞樹にはミルクティーベージュ、潤にはブラックのダウンコートを買ってあげたの。 「母さん……オレにもいいのか」 「もちろんよ。あとはあなたのセーターね。潤はお父さんに似てるから、グリーンが似合うわよ」 「そ、そうなのか」 「そうよ、お母さんに選ばせてくれる?」  潤の頬が紅潮しているのは、きっと嬉しいからね。 「アウトレットって、すごいわね。特に新春セールでびっくりな安さよ」 「あのさ、オレ……正月手当をもらったんだ。母さんにもセーターを買ってやるよ」 「え? いいわよ。そんなの」 「……買いたいんだ」  潤が選んでくれたのは、カーネーションのような優しい赤のセーターだった。   「赤って身体が温まるらしいぜ。身体大事にしてくれよな」 「ありがとう、潤……これ今すぐ着るわね」 「オレもっ」     私達は赤とグリーンのセーターを着て、ホテルのラウンジでアフタヌーンティーをした。  ホテルのスタッフから気の利いた言葉に心がポカポカよ。 『息子さんと一緒なんて羨ましいです。赤と緑のセーターは、カーネーションのようで、一体感がありますね』  私が花? 夫に先立たれてから、三人の息子を抱えてがむしゃらに生きてきた私にとって、目の覚めるような言葉だった。 『お前は俺にとって花のような人だ。だから結婚してくれないか』  そんな甘い言葉でプロポーズされたことを思い出して、目頭が熱くなった。 「母さん、雪が降って来たよ」 「あら、本当だわ」 「……雪は落ち着くよ。故郷を思い出すから」 「いつでも戻ってきていいのよ」 「ありがとう。そうだな……母さんがいる場所が、俺の帰る家なんだよな」  ちらちらと舞い降りてくる雪は、とても美しかった。 「潤……軽井沢はいいところね」 「好きになった?」 「そうね。私の息子がいるからね」  この地で悪夢はもう見ない。   ここは、私の末の息子が一生懸命に働いている場所だから。  

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