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花びら雪舞う、北の故郷 6

 車から降りると、花屋の入り口に可愛い顔がひょこっと見えた。  僕の顔を見るなり「お兄ちゃーん、おかえりなさい」と満面の笑みを浮かべながら、抱きついてくれた。  僕はその小さな温もりを、しゃがんで受け止める。  ポスッという軽い衝撃が心地良い。  幸せに重さがあるとしたら、芽生くんのこの軽やかな重さのことだろう。   「お兄ちゃん、おそかったね」 「あ……空を……北の国の空を見てきたんだ」 「お空? 僕もみたいなぁ」 「いいよ。抱っこしてあげよう!」    僕は芽生くんを抱き上げて、大空を見せてあげた。 「わぁー 青い、青いねぇ。それに空気もすっきりしていて美味しいよ!」  芽生くんが大空に手を伸ばして、空気を食べる仕草をしたのが可愛かった。  その時、視線を感じて振り返ると、花屋の入り口にもたれて……潤が僕を見つめていた。 「潤……」 「兄さん、お帰り」 「うん、ただいま」 「もう……大丈夫なのか」 「うん」 「よかったよ」  続いてお母さんも、心配そうに飛び出してきた。 「瑞樹っ、無事ね……無事に帰って来てくれたのね」 「お母さん、ただいま」 「あなた……いい笑顔ね。よかった」 「はい」     その時気付いた。  高橋建設の顛末は、潤もお母さんも、既に知っていたのだ。  知っていて、静かに見守ってくれていたのだ。  先ほど、一度戻った時、本当は僕の気配に気付いていたのかもしれない。  でも宗吾さんと、静かに行かせてくれた。  僕が僕の力で、自由に羽ばたけるように――  あぁ、もう怖くない。  本当にもう怖くないよ。  全部、全部――宗吾さんが塗り替えてくれたから。  それから広樹兄さんや潤、お母さんが見守ってくれたから。  僕にとっての故郷……函館の街はあの男に見つかった日を境に、どこか濁って歪んでしまっていたが、もう大丈夫なんだ。  もう、これでいい。  正直に言うと……  高校時代から付きまとわれて……挙げ句にあんな目に無理矢理遭わされて、男としてのプライドをズタズタにされて、恨んだこともある。  僕も人の子だ。 聖人君子ではない。  アイツに復讐したい気持ちが、微塵もなかったわけじゃない。  でも憎しみからは憎しみしか生まれないことをよく知っている。  そして過去は過去で、どんなに願っても巻き戻せないことも知っている。  だから……今現在……もしもあの高橋という男が、少しでも後悔し、反省してくれているのなら、もうそれでいい。  僕も……もうあの悲劇から離れよう。  憎しみや、悲しみを手放していこう。  あの男の気配が消えた世界は、こんなにもクリアだった。  あの男の幸せを願えるほどの善人でもないし、そんな心境でもないが、ただ、ただ……元気に真面目に真実の愛を知って、その愛を真摯に守って生きていって欲しい。本物の愛は守りたくなるものだから……  最後に願うとしたら、それだけだ。   「お兄ちゃん、ココアが冷めちゃうよ」 「ココア?」 「少しむずかしいお顔してるよ。もう、なかに入ろう」 「うん」  参ったな。感受性の強い芽生くんには何でもお見通しだ。  リビングのテーブルにはココアが置いてあって、芽生くんがマグカップにふーふーと息を吹きかけ、ペロッと可愛い舌で温度を確かめてくれた。 「お兄ちゃん、はい、どうぞ」 「え? これ、僕にいいの?」 「うん! えっと……ちょっとつかれたんじゃないかなって」 「芽生くん、ありがとうね」 「えへへ。よかったぁ」  僕は嬉しくなって……芽生くんを膝に乗せて、ココアを飲んだ。 「瑞樹、美味しそうだな~」 「宗吾さんも冷えましたよね。僕、入れてきます」    立とうとすると、お母さんに制された。 「皆にも入れてあげるわ」 「やった!」  心が凪いでいる。  僕は一人一人の顔をしっかり見つめた。  家族だ、みんな僕の大切な家族だ。 「じゅーん、こっちにおいでよ。一緒に飲もう」 「……いいのか」  また部屋の片隅に立っていた潤を、僕の横に呼んでやった。  僕のトラウマは、同時に潤のトラウマなんだ。  この時になって、気付いたよ。  だから潤のトラウマは、僕が解す。  母さんが入れてくれた潤のココアに僕がフーフーと息を吹きかけてあげた。   「に、兄さん?」 「潤は猫舌だろ? 覚えている? 小さい頃は……僕がこうやっていつも冷ましてあげたんだよ」 「兄さん、それ反則」  潤が目頭を指で押さえて俯いた。 「え! 泣くなんて」 「泣いてなんかねーよ……でも、もっと冷ましてくれよ」 「う、うん」  そんな光景を、芽生くんが僕の膝にちょこんと座って見上げていた。 「おとなも、やっぱり……こどもだね。お兄ちゃん、ボクもふーふーして」 「瑞樹はモテモテだなぁ。俺もフーフーして欲しいな」  宗吾さんが羨ましそうに口を尖らせる。 「宗吾は子供だな、よし。俺がしてやろう」 「え! 瑞樹がいい」 「ははっ、冗談だよ」 「焦ったぜ」  広樹兄さんは、その横でニコニコ笑っている。  隣からは優美ちゃんの笑い声とみっちゃんのママの声がする。  あぁ……幸せで満ちている。  この部屋は、この場所は、僕の心は――  もう大丈夫だ。         

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