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花明かりに導かれて 25
潤から結婚相手の女性と息子さんを連れて帰省すると連絡があったのは、一昨日だったわ。
「母さん、どうした?」
「潤の顔を見るまでは、落ち着けないわ」
「だよな。潤に本当に三歳の坊やの父親が務まるのか、俺も心配だよ」
花屋の店頭で、広樹と何度か、心配を語りあったわ。
あの小さかった潤が結婚? しかも坊やの父になるなんて。
何もかも急スピード過ぎて、頭の中が整理仕切れていない。
でも、潤の結婚を反対する気は、さらさらないわ。
息子の幸せをいつも願っているの。
ずっと、父親というものを知らずに育った潤が不憫だった。だから潤が父親になりたくて結婚するなんて、嬉しいに決まっているわ。
それから妊娠中に旦那さんが病死し、片親で子育てしてきた女性に、強い既視感を持っているのよ。
息子だけでなく、彼女の幸せも願いたい。
あなたは遠い昔の私だから。
私に再婚という縁はなかったけれども、あなたはまだ若いわ。坊やには父親が必要だし、潤には父という責任ある場所が必要なの。だから、あなたたちの結婚は、最初から賛成よ。
はるばるやってきた三人を前に、私は多くは語らなかったわ。
ただ三人を抱きしめて、受け入れて……素直に彼らの幸せを願った。
「三人で、幸せになってね」
「ありがとうございます」
「母さん、ありがとう」
「おばあちゃん! ありがと」
いっくんは、本当に可愛い子だった。
芽生くんの小さい頃を思い出すわ。あどけない喋り方の中に存在する、素直で優しい性格が一緒ね。
「いっくんね、はっぱとおはながだいすきなの。あとパパもだいしゅき!」
はにかみながら教えてくれ、潤の足に纏わり付く様子が可愛くて溜まらないわ。
潤への信頼は100%なのね。
血は繋がらなくても、この子が私の孫になると実感できたわ。
「潤をどうかよろしくお願いします。『お母さん』と気軽に呼んでね」
「お母さん、もったいないお言葉です。私は一人で生きていく覚悟で息子を産み生きていたのですが、潤さんと出会い、二人で生きていく素晴らしさを実感できました」
「ありがとう。私の息子を見つけてくれて」
菫さんは野に咲く花のように打たれ強く凜々しい面もあり、それでいて明るさも健気さも優しさも持っている。
「あなたみたいな素敵な女性と結婚出来て、潤は幸せね」
「母さん、菫さんといっくんを受け入れてくれてありがとう」
その時になって、はたと隣の男性と目があった。
すっかり存在を忘れてしまっていたわ。私と同い年くらいのこの男性の正体は、ざっくり潤から説明を受けたけれど、えっと、瑞樹の知り合いなのよね?
「……あの」
「あのっ」
声が揃う。
「すみません。せっかくいらして下さったのに、息子のことでバタバタしていて」
「俺こそ約束もせずに突然訊ねて……しかもおめでたい席に勝手に割り込んで、すみません」
大きな身体を屈めて恐縮されては、私も畏まってしまうわ。
「お祝いごとなので、人が多い方が嬉しいです。えっとあなたは?」
「熊田です」
「熊田さん? まぁ、なんてぴったりな名字なの。って、あら……ごめんなさいっ」
「はははっ『森のくまさん』と、みーくんには呼ばれていました」
「あの、みーくんって、瑞樹のことですよね。瑞樹との関係を、もう一度いいですか」
「……俺は彼が生まれる前から、大樹さんと澄子さんとは知り合いでした」
「まぁ、なんて深くて長いご縁なの」
熊のような大きな身体に驚いたけれども、瞳には真心のある優しさが宿っていた。
「あの……俺、事故の後、自己嫌悪からずっと引きこもって、みーくんの元に駆けつけてやれずすみませんでした。こちらのお家に引き取っていただけたと聞いて、どうしても挨拶をしたくて……今更ですが、突然来てしまいました」
瑞樹に、熊田さんのような人がいたなんて知らなかったわ。
「実は、先日、彼が大沼に宿泊した時、偶然再会しました」
「瑞樹、喜んだでしょうね」
「えぇ、お互いに、封じていた記憶が蘇りました」
少しだけ、寂しさが過った。
もう瑞樹には、私は不要なのかしら……
「みーくんを引き取ってくれたあなたに、どうしてもお礼を言いたくて立ち寄りました」
熊田さんに手をギュッと握られて、恥ずかしくなった。
人肌に触れてもらうと、さっきまでの寂しさが消えていくの感じた。
「私は何もしていないわ」
「とんでもない。みーくんを生かしてくれました」
育ててではなく、生かして……
その台詞に、胸を強く打たれた。
この男性も瑞樹の両親の死にかなりの痛手を負ったようだわ。
引き取った当時の瑞樹は、明日にでも後追いしてしまいそうなほど打ちひしがれていたわ。笑顔が消え学校にも行けなくなったあの子に、花の名前を教えたのは私。瑞樹の笑顔をもっと取り戻してあげたかったのに、シングルマザーで三人の男の子の子育ては茨の道だった。
だから……生かすだけで、後は何も出来なかったのよ。
「俺には出来なかったことを、あなたはしてくれました。ありがとうございます」
……私には出来ないことばかりだったと後悔しているのに、私を認めてくれるの? 熊田さんからの熱い眼差しを浴びて、急に照れ臭くなってしまった。
「あ、あの、手を離して下さい」
あかぎれだらけの、汚い手を。
「いい手ですね。暖かく逞しい母の手ですね」
「えっ」
なんだろう? この男性の纏う空気。
深い森の中にいるような居心地の良さ。
はっと我に返ると、息子二人と目が合った。
「ちょっと何をニヤニヤしているの?」
「いや、新鮮だな。母さんのそんな顔」
「も、もう――!」
我に返りあたりを見渡すと、菫さんとみっちゃんが仲良くお喋りしていた。子育てでは菫さんの方が先輩なので、きっと育児の悩みを聞いたりしているのね。いっくんは優美ちゃんの傍で、可愛く笑っていた。
「パパ、ゆみちゃん、とってもかわいいね」
「いっくんも優美もとっても可愛い子だよ」
「えへへ」
広樹と潤、二人の息子が揃って父親の顔をしている。
私は胸が一杯になって、思わず泣きそうになった。
あまりに平和で幸せすぎて、泣いてしまいそう。
ここにはいない瑞樹の笑顔も想像して、涙がほろりと溢れてしまった。
あなたも幸せになってくれた。
「みーくんに会いたいですか」
「もちろん、いつも気になっています」
「実は今日、俺は東京で会ってきたんですよ。写真を見ますか」
彼のパソコンの中で、瑞樹は目を輝かせていた。
好奇心旺盛な子供のような顔をして、笑っていた。
「瑞樹のこんな弾けた笑顔……初めて見るわ」
「……どうかもう肩の荷を下ろしてください」
「ありがとうございます」
「それにしても、この花屋は心が和む空間ですね」
「息子達と一緒に改装したばかりです」
「あぁ……やっぱりとてもいい笑顔だ。俺は動物や景色を撮るのが専門ですが、あなたを撮ってみたくなりました」
「え?」
「す、す、すみません。いきなり……俺、何を言って?」
熊田さんの顔は真っ赤になり、釣られて私も真っ赤になってしまった。
「い、いいですよ」
「ほ、本当ですか」
少女みたいにドキドキしているわ。
私、どうしたのかしら?
「母さんたち、いい雰囲気だな」
息子たちの声が聞こえてきて、ますます恥ずかしくなった。
こんな風に誰かに心を揺らし躍らせるなんて……あの人と死別してからは一度もなかったから。
****
「あぁ、やっぱり我が家は落ち着きますね」
「それは、好きなものしかないからな」
振り返ると、宗吾さんと芽生くんが待ちきれない表情を浮かべていた。
「瑞樹、そろそろいいか」
「お兄ちゃん、いいかなぁ」
「えっと……いいですよ」
何をされるのかは、分かっていた。
ハグ、ハグ、ハグの嵐!
「お帰り、瑞樹!」
「おにいちゃん、だーいすき! あいたかったよう!」
「僕も!」
三人でリビングで、ギュッと抱き合った。
「たまに離れると、存在が増して、すごく会いたくなるもんだな」
「あのね……今日ね、パパとふたりでこうえんにいったらね、ちょっとさみしくなったの。おにいちゃんがいる方がやっぱりいいよ」
「うん、うん、僕もそう思ったよ」
「瑞樹~ 転んでケガしなかったか」
宗吾さんがさり気なくお尻に手を回してくる。もうっ――
「大丈夫でしたよ。パンツは濡れましたが(お尻は)無事です」
「おなまえパンツ入れたのボクだよ」
「やっぱり! 芽生くんのおかげで助かったよ」
「えへへ。ボクも公園でびしょぬれになったんだよ」
「そうだったの? お着替えはあったの?」
「うん、おにいちゃんがしてくれるように、じぶんでもったよー」
芽生くんが、少しずつ成長していく。
それが嬉しいのに、少しだけ寂しくて抱きしめた。
「重たくなったね。でもまだ抱っこできるよ」
「ほんとう? よかったぁ」
芽生くんを抱きしめると、お日さまの匂いがした。
「宗吾さん、ここが僕の居場所です」
「そうさ、ここが俺たちの場所さ」
久しぶりに別行動をしたせいか、お父さんのようなくまさんが帰ってしまったせいか、僕は無性に宗吾さんに甘えたくなっていた。
「宗吾さん、宗吾さん……」
「瑞樹、その声……今はヤバイ」
「あ、そうだ。おにいちゃん、あのね、パパね、今日ね『フオン』だったの」
「わ。芽生、それはナイショな」
「くすっ、くすくす。僕がいないと相変わらずですね」
「そうだ、瑞樹がいないと、俺たちは駄目駄目だ!」
家族の笑顔が満ちていく。
きっと今頃、函館の家でも笑顔の花が咲いている。
赤い花ピンクの花……血色のいい花が、嬉しそうに揺れているだろう。
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