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花明かりに導かれて 24
いよいよ函館の実家に、菫さんといっくんを連れて行く。
といっても、函館は軽井沢からはかなり遠い。
オレたちは東京まで新幹線で出て、羽田空港行きのモノレールに乗った。
「わぁ、いっくん、はじめて!」
「よかったな!」
「潤くん、あのね……本当にごめんね」
いっくんの興奮とは裏腹に、菫さんがしょんぼりと謝ってくる。
「どうした?」
「私が平日休めたらよかったのに。今日だってせめて朝一で出発出来たらよかったのに人手不足で……」
「いいんだよ。二人の休みが合うのが、たまたま今日だっただけさ。それに夜便で良かったよ。どうせ日中は花屋の方が忙しいから。オレはいっくんとたっぷり遊べて嬉しかったよ」
「潤くんって……優しいのね。そう言ってくれると救われるわ」
以前のオレだったら、こうはいかなかった。
自分以外の誰かの都合に合わせるのなんて、大っ嫌いっだ。
そうやってよく兄さんを振り回した。兄さんが受験前にもかかわらず、家の用事を押しつけたり、最初から最後まで思いやりの欠片もない嫌な奴だったんだ。
いっくんはモノレールの一番前で、食い入るように外の景色を見つめていた。
「パパぁ……ここは、はっぱさん、あんまりいないねぇ」
「函館に行ったら葉っぱだけでなく、お花も沢山あるぞ」
「わぁ~ おはなさんも? たのしみ」
興奮したいっくんが、頬を薔薇色に染める。
「いっくんのほっぺの色みたいな花だらけだよ」
「はやくいきたいな」
そんないっくんが飛行機の座席に座るなり、突然べそをかきだした。
「ど、どうした?」
「ぐすっ……パパぁ……こわいよ」
いっくんが、オレのセーターの端をギュッと掴んで訴えてくる。
「もしかして飛行機乗るのが初めてだから、怖いのか」
「ううん、ちがくて……あのね、ひこうきって、くまさんも……のっていいの?」
「?・?・?」
「きゃ! こっちにくる」
いっくんがオレの胸に更に顔を埋めた。まるで隠れるように小さな頭をぐりぐりさせてくる。
なんだ、なんだ? なんで突然、熊なんだ?
いくら北海道に行くからって、オレは熊には遭遇したことないぞ。
キョロキョロ見渡すと、そこには熊のように大柄な男性がいた。
胸元には何かをぶら下げている。
よく見ると、真っ黒な一眼レフだった。
あまりに身体が大きいので、カメラが可愛らしく、おもちゃみたいに見える。
「いっくん、大丈夫。あれは人だよ」
「そ、そうなの?」
「よく見て! れっきとした人間だ」
「ちょっと潤くんってば、しっ――こっちに来るわよ」
「ごめん」
「ひゃ」
いっくんがまた固まる。
あぁ可愛いな。こんなことで身体をいちいちビクッとさせて。
オレ、どんな時でも、小さないっくんを守る盾になるよ。
熊のように大柄な人は、オレたちの前の座席にドスンっと座った。
シートベルトサインが消えても、いっくんはおっかなびっくり熊のような人を見つめていた。
初めての飛行機、もっと喜ぶと思ったのに、熊にもっていかれたな。
「いっくん、目が離せないみたいね」
「だな」
菫さんと顔を見合わせて苦笑してしまった。
これもまた思い出になるだろう。
「いっくん、もう大丈夫だよ」
「パパぁ……ほんとうに、くまさんみたいだねぇ」
いっくんは恐怖から感心へと興味が変わってきたようで、客室乗務員さんにもらった塗り絵セットで、無心に熊の絵を描いていた。
「パパ、ほっかいどうには、ほんとうのくまさんもいるかな? キツネさんにもあえるかな?」
「そうだなぁ、パパの家の周りはビルや家だらけだからなぁ。でも大沼の方まで行けば、キツネには会えるかもな」
「いっくん、あいたいなぁ」
函館空港から函館駅までは、電車に乗った。
「パパ、くまさんがついてくるよ」
「え?」
振り返ると、機内で見かけた男性が大きなリュックを背負って歩いていた。
「……たまたまだよ」(と思いたい)
ところが、電車を降りても後ろをついてくる。正確には片手に地図を持って、ドスドスと歩いてくる。
たまたま……うちの実家の近くに用事でも?
オレまでドキドキしてくるぞ。
いっくんも菫さんもオレも、熊に襲われそうになった人間の気分だ。
「潤くん、こういう時は死んだふり? 目を見て後ずさりだっけ?」
「菫さん? いやいや彼は熊じゃないから」
「パパ、こわいよぅ」
「もうすぐだ! ほら、あの灯りがついている店がパパの実家だよ」
あと数歩で実家に辿り着く。
逃げ切ったと喜ぼうとした瞬間、トントンと背中を叩かれて、オレは悲鳴をあげそうになった。カッコ悪つ!
「あのぉ~」
「な、ななな、なんですか」
「ここは葉山生花店ですよね?」
「そうですが……」
何だ? うちの店の客だったのか。
でも東京から、なんでわざわざここを目指すんだ?
「君は?」
「あ、この家の息子です」
「ふぅん、みーくんより年下だから、弟の方か」
一瞬何を言っているか分からなかった。
「へ? あの、あなたは?」
「あぁ、その……何て言ったらいいのかなぁ」
ニヤリと照れ臭そうに笑う様子に危険信号が灯る。
これは怪しい! 怪しすぎる!
もしかして『みーくん』って瑞樹のことか。またヘンな奴にストーカーされてんじゃないよな。
「菫さんといっくんは中に入っていろ」
「おいおい、オレは怪しい者じゃないよ」
「充分怪しいですよ」
「うーん、こまったな」
熊のような人は、心底困った顔をした。
「くまさん? やっぱりくまさんでしゅか」
そこに清らかないっくんの声が響く。
「おぉ、君もオレをそう呼んでくれるのか。うれしいな」
「パパっ、くまさんのおめめ、やさしいよ。いいひとだよ、いじめたらだめだよ」
いっくんが両手をあわせてお願いのポーズを取る。
「……怪しくないのなら、証拠を見せてください」
「俺は、瑞樹くんのご両親に近しい者なんだ。あ……これを見てくれ」
彼はいきなりリュックからノートパソコンを取り出して、地ベタに座り込んだ。
「あの?」
「実は今日、瑞樹くんと撮影旅行に行ってきたんだ。それで……彼を引き取って育ててくれた家が気になって、大沼に帰る前に寄ってみたんだ。ほら、これが今日の写真さ」
ノートパソコンの画面には、今日の日付と白い一眼レフを構え嬉しそうに撮影する兄さん。そして目の前にいる熊のような人と仲良くじゃれ合っている写真が映っていた。
「俺は写真家のnitayこと熊田です」
「くまだぁ?」
「パパ、ほらね、やっぱりくまさんだった~」
「???」
何がなんだか分からなくなって、瑞樹に電話をした。
「潤、どうした?」
「兄さん、今日熊田さんって人と屋外撮影会に行った?」
「え? どうして知って?」
「オレ、今、函館。熊田さんと一緒にいる」
「えっ、潤、今……くまさんといるの? いいなぁ」
「え? そう来る?」
兄のいつもよりぐっと幼い羨望の声にまた驚いた。
「あ、ごめん。そうか……熊田さんってば……葉山の家にも挨拶に行ってくれたんだね。潤……彼はね僕の両親の親友だった人なんだ。実はこの前の大沼旅行で偶然再会して、皆にまだちゃんと話せていなくてごめんね。だからよろしく頼むよ」
「あ、あぁ分かった」
という訳で……
菫さんといっくんとオレ。
熊田さん。
みっちゃんと広樹兄と優美ちゃんと母さん。
不思議なメンバーで、顔を付き合わせることになった。
沈黙を破ったのは、いっくんと優美ちゃんだった。
「あのね。ぼく……いっくんでしゅ。よろちくおねがいしましゅ」
いっくんがたどたどしくも可愛く挨拶すると、優美ちゃんが真似して頭をぺこんとした。
「あぶぶ……あぶ」
「可愛いですね。何歳ですか」
「優美はもうすぐ10ヶ月なんですよ。そちらの坊やは」
「樹といいます。3歳になったばかりです」
「はっぱさん、たくさんあるね。パパぁ、いっくん、ここ、すき」
「まぁ、潤をパパと……」
母さんが泣きそうな顔で、オレを真っ直ぐ見つめてくれた。
「母さん、オレの大事な菫さんといっくんだよ。宜しくお願いします」
「……菫です。どうぞ宜しくお願いします」
母親同士の優しい視線が混ざり合う。
母と菫さんは境遇が似ている。
だから……わかり合える……確かな絆を感じているようだった。
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